真如苑信者です。
よろしくお願いします。
さて、幸福の科学さんのHPを拝見すると次のようなポイントがありました。
(幸福の科学の教えは)
>「愛」と「悟り」と「ユートピア建設」の3つの柱に集約されます。
>「愛」の教えとは、「愛をもらう側から、与える側に立つ」こと、他の人の幸福を願って日々を生きることです。
>「悟り」とは、「仏によってつくられた自己と世界の本質を知り、人生の目的と使命を知ること」です。
>「ユートピア建設」とは「愛と悟りによって、社会をより良くしていくこと」です。
(この3つを実現するために)
>基本教義は「正しき心の探究」と「四正道(愛・知・反省・発展)」
という事のようです。
真如苑でも霊を肯定し、「正しき心の探究」という概念と同じかどうかはわかりませんが、「己の因縁(心の傾向性、性質)を知る」という事が大きなテーマになります。
その具体的な実践として幸福の科学さんと真如苑とを対比します。
・愛 → 「奪う愛は偽物の愛、愛を与えることで幸せになれる」という教えです。この教えの実践だけでも、天国への道が開けていきます。
真如苑では「大乗利他」という言葉を使います。自分だけでなく、まず他の為につくすから救われるというものです。救われる原理に当たるものですね。
この利他の具体的な行いは「三つの歩み」と呼ばれ、「お歓喜(布施)、お救け(布教)、ご奉仕(体を使った奉仕)」があります。
幸福の科学さんでは「植福、伝道、作務」がこれに相当するでしょう。
・知→霊的人生観など、この世とあの世を貫く霊的知識、智慧を獲得する教えです。人生の試練を乗り越えていくことができます。
真如苑ではこれに相当するものは「接心修行」という禅定(瞑想)の修行です。
自分の心を鏡に映すように霊能者によって自分の心を映し出してもらい、その立て替えを行うと同時に、自分に影響してくる霊的な事情もこの接心修行で具体的に示して頂けます。
そして、それをもとに実際に自分で行って獲得する智慧を通して、物事の道理や霊的なものの受け止め方を身に着けていきます。
・反省→「反省によって過去の罪を消すことができる」という教えです。光り輝く仏の子としての、本当の自分を取り戻すことができます。
幸福の科学さんでは、反省によってカルマが帳消しになると教えておられるようですが、具体的にどのように取り組んでおられるのかが疑問です。
自分の病気や事業不振の原因をまず「心のあり方」に求め、そこに憑依してきている憑依霊や先祖霊と「同通」しなくなるように反省で心を磨くと言います。
また、その連続が悟りを高めると説いておられると思います。
しかし、自分では自分の心のどこが欠点なのか主観に捉われて自覚できないと思われる事、さらに、救われたくて縋ってきた憑依霊や先祖霊はどうなるのかという事です。
自分の心の向上がなされたか否かをどうやって知るのか?もそうです。
往々にして人は他人の欠点は良くわかりますが、自分の欠点は全く分からないものと思われます。
「自分の心を客観的に知る」
これができるかどうかが宗教の命だと私は思います。
幸福の科学さんのいう「正しき心の探究」というのもこの事を言っているのだと思います。
真如苑では、接心修行によって自分の心得違いがどこにあるのかを納得ができるまでアドヴァイスしていただけますし、事業不振や病気の原因になっている心得違いや、どのような霊的事情が影響しているのかまで教えていただけます。
それはあたかも自分の顔についた汚れは自分では見えないけれど、鏡に映せばはっきり見えるのと同じです。
霊能者とは心を磨くことで、他人の心を映し出す「鏡」を磨きだした人です。
接心修行に於けるアドヴァイスを担当し、霊能鏡に接心者の心を客観的に映し出す役割をしているのです。
接心者は、鏡に映った汚れを浄化して心を磨いていくのです。
更に、縋ってきている霊を排除するのではなく、供養やお浄めをして自分だけでなく縋ってきた霊も救済します。
幸福の科学さんでも年に2回供養があるとのことですが、具体的に自分の性格と一体になっているどのような霊を供養するのか?雲をつかむような供養だと思います。
人間というのはたいてい先祖の影響を受けていて、かかる病気や性格の傾向など代々受け継いでいます。
つまり遺伝子のように因縁(心の傾向性、性質)を受け継いでいくのです。
ですから、良い因縁は更に良くし、悪い因縁は浄めていくのが大切なのです。
具体的にその因縁、苦しみの元になっている先祖霊などの霊的事情にきっちり的を絞って供養できるのは、霊能がある真如苑だけだと思います。
これによって救済された霊は、今度は逆に応援霊に変わっていきます。
従って、向上すればするほど多くの霊の応援を頂くようになり大きな功徳が現れていきます。
これは現に、その人の性格が変わってきたり、病気や事業不振が救われたり、心が落ち着いてくるなど具体的に形になって表れてきます。
また、そのようにして取り組んだ結果、心を浄化して悟りが高まったかどうかも、接心修行によって明らかにされます。
真如苑では悟りの段階を霊位というもので証します。
霊位とは心の境涯で、大乗(利他の心を起こす)→歓喜(菩薩の初めの境涯)→大歓喜(大菩薩の境涯。不動の心)→霊能(心の一面を磨き切り、他人の心を映し出す鏡の能力を相承する境涯)と順次向上していきます。
心を磨いていく事で他人様の心を映す鏡、つまり霊能者になっていけるのが真如苑です。
霊能者になる事で他人の因縁切りの土台になれるので、これは究極の「与える愛」の実践であり、更に菩薩として向上していく事になります。
幸福の科学さんとここが大きな違いになっていると思います。
ちなみに私が「自分は今まで人に求めるばかりで、自分から人の為に何かしたことがあっただろうか?」と心底覚ったのは、最初の段階、大乗を相承する時でした。
人間は誰もが自分では「与える愛」を実践しているつもりでいます。
でも、そんな事は全然ないという「事実」を悟るのは結構難しいものです。
・発展→自分の幸福感を広げつつ、地上をユートピアに変えていく教えです。積極的な思考で、個人や企業の成功と国家繁栄を実現します。
これはおそらく自分の覚ったものを社会に活かして世のため人の為に捧げていく事をさしていると思います。
もちろん真如苑でもそのように教えています。
自分が悟ったものを世の中に活かしていくというのはどの宗教でも同じであると考えられ、これが真如苑でいう「お救け」、幸福の科学でいう「伝道」へと繋がっていると思います。
その上で、真如苑ではあの世の事情がこの世に反映されていると教えています。
従って、修行の結果、自分の悪因縁(心の穢れ)を浄めてあの世が救われる事で、この世の自分自身も物心ともに救われていくと教えます。
以上、簡単に比較してまいりました。
両者の共通点ですが「大乗利他」と「与える愛」というのは同じ事だと思います。
ここに「世のため人の為に捧げていく」という事、また、霊や霊界を認める事、人間の心に悟りを認め、それには段階があり、その「正しき心の探究」を継続的に行うように説く事、単なる心の問題ではなく具体的に利益というものを表していく事などは同じだと思いました。
ただ、幸福の科学さんは、政治や経済などの分野についても多くの主張をされ、霊的な事としては、信者個人の問題とはあまり関係がないと思われる有名人の霊を降ろしたり、守護霊?を降ろしたりしています。
このようなアプローチは真如苑では行っていません。
ポイントをまとめますと、人は自己の魂を浄化するために自己を見つめなければなりませんが、幸福の科学さんでは接心がないので主観に頼らざるを得ないと思います。
本を読んだり、研修を受けるだけではなかなか自己を見つめるのは難しいと考えられるのです。
その点、真如苑では接心修行を通して自己の魂を鏡に映してポイントを絞って心の状態を把握できるし、心の浄化の道も示して頂けます。
つまり「正しき心の探究」は真如苑の方が、接心修行があるので優れていると思います。
真如苑にはそのほかにも確かな救いの源泉として、「伝統の法脈」と「大般涅槃経」とが存在し、霊能と併せて「三つの宝」としていますが、この二つに関しては長くなりますので説明は割愛させていただきます。
ただ、前にかかれている方が仰っていますが、あまり理屈で考えても宗教というものはわからないと思います。
特に真如苑は密教ですのでその内容をすべて理屈で説明するのは困難です。
何か感じるものがあり、それを信じていくという事が宗教の入り方なのだろうと思います。