信者です。よろしくお願いします。
まず
>私ども夫婦が真如苑の除籍をし、智流院で学んでいる方が不利になることはありますか?
ですが、別の回答者さんが説明してくださっているように、智流院には入行、進行、卒行の時に、その人の実績を基準に評価しますから、質問者様が除籍したことで進行や卒行できなくなる事はあり得ます。
ですが、そう簡単に進行や卒行ができないのが「本人のため」だと私は思います。
真如苑開祖の伊藤 真乗は真言宗醍醐派に伝わる法をすべてマスターした人物で、様々な難行苦行を修してきました。
その伊藤は「行は難しくなかった。一人の心に仏を刻むこと(菩提心を持たせること)が一番難しかった」と申しております。
弟子である教徒も、この言葉に込められた意味を追体験することが大事だと私は思っています。
教えをお取次ぎして、何の苦労もしなくてもその方が悟りを求める心(菩提心)を起こして、自ら精進するようでは導いた方の修行はないのではないでしょうか。
教師になるまでには、自分の導いた方に「辞める」と言われたり、反発されたりという体験をしないとダメだと思います。
それがないと「自分はできる」と慢心する事だってあり得ます。
「まだ足りない」と身を低くして、足りない処に取り組んでいくという「高い菩提」を身に着ける経験が教師になる経験だと私は信じています。
形ばかりの実績をそろえて智流院を卒行し、教師の補任を頂く人も少なからずいるでしょうが、そのようにして教師になっても実際に自分の集会などで確かな教化ができるのか?私は疑問に思います。
がっかりする体験、打ちのめされる体験をしなかったら教師に補任していただけるありがたみも解らないし、先々で困ります。
よく会合などでいろいろな教師の発言を聞かせていただくことがありますが、形だけ整えて教師になった方はすぐわかります。
言葉が軽すぎて響いてきません。
ですから、質問者様は導き親さんの修行の土台になってあげているのと同じだと思います。
どういう理由で除籍されたいのかはわかりませんが、それも導き親さんにとっては修行だと思います。
なので後ろめたく思われなくて良いと思います。