知恵袋ユーザー

2017/1/19 9:56

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真如苑の因縁、先祖供養について 真如苑では、接心により、「先祖の因縁がーーー」という触れ込みで、護摩を要求し、1体500円という金額をかき集めています。

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知恵袋ユーザー

質問者2017/1/21 11:48

>確かめられないものを持ち出して、信者に何をさせとしているかを見て、金銭目的だったり、勧誘して人集めをさせる目的だったりを読み取りましょう。 【見極める目】というものを常に持っていないと騙されてしまいますね。 人は、人生経験においてそういう目を養うことも修行のひとつだと思います。 目をつぶされてしまった真如苑信者が気の毒です。

その他の回答(3件)

まず護摩と施餓鬼の違いを確認してください。 以下は私の解釈です。 護摩とはお清めです。風呂に入るのと同じ。つまり昔、神仏を使いものにして利益を引き出しておいてお詫びもしてない人間的な念や穢れを少しづつ清めるもの。 施餓鬼とはご先祖様へのプレゼント。 仰る通り、供養とか清めとかは気持ちの問題です 供養とか清めをしようと思って天に向かってお金を投げても天は「あんた自分で使いなよ」と返してくれます。 お金がない人はそれで良いと私は思います。 ただ、もともと本当にお金を出す気があったのなら、気持ちだけは神仏が受け取り、自分の懐に戻るはずだったお金は真如苑の維持発展に役立ててくださいというのが趣旨だと思いますね。 でね、経典などには施餓鬼をしたら先祖が地獄から極楽に上っていったとか書いてあるんですけど、私はそんなものじゃないと思っています。 地獄に落ちるってこの世でいう懲役じゃないですか。地獄に落ちて罪を償うんだから。 供養したからって懲役がたちまち免除されるなんて事はないと思うんですよ。 供養とは先祖に面会に行く、あるいは手紙を送るようなものじゃないかな? この場合、自分の気持ちが「面会に行く自分」であったり手紙に相当します。 で、導師様が修してくださる法がプレゼント(差し入れ)。 「つらかったね、楽になってね」と語りかけ、おいしい食べ物と「一如の道(真如苑の教書)」を差し入れる。 で、先祖が落ち着きを取り戻し、模範囚になれば懲役が少しは軽くなる。 子孫が向上すれば時々、特赦や恩赦が与えられる。 そんな風にして「おつとめ」を果たして初めて応援霊とか先祖霊として活躍してくれるのじゃないかと思うんです。 だから本当に苦しい霊が救われるのは時間がかかると思いますよ。 一如の道なんて読む余裕もないくらい苦しくて、人の話なんて聞けないくらいに辛い霊は一度や二度の面会・差し入れなんて効果が限られるでしょう。人間でも聞き分けのない厄介な人っているじゃないですか? ああいうのの肉体がないヴァージョンですよ。 それとこれも私の勝手解釈ですけど、真如苑で500円払わなくても、希望するもの全員、つまり真如苑なんて関係ない人の分まで祈りを込めて法要が行われています。だって、導師様が「一切の霊を供養しました」と仰っているし。 霊が「大きなお世話だ」と断っても「ここに置いておきますね」と差し入れはもらってると思いますよ。 もちろんほとんどの霊は「真如苑のような新興宗教の供養など誰が受けるか」と思うでしょうし、子孫が先祖に心を向けないのであれば「こんなものだけで面会にも来ないし、手紙一つよこさないじゃねーか」とこれまた生きている人間と同じように反応すると思うのです。 長くなりましたがまとめると ・向ける気持ちと差し入れる法が大切 ・懲役受けてるんだからいきなり無罪放免極楽往生なんて事はない ・自分のお金の所有権が真如苑に移るのが嫌な人は自分で使えばよい ・それでも真如苑は一切が救われるまで祈りを止めない。信じない人は無理に信じる必要はない 以上で~す!

あ、追伸で~す! 「救われたかどうかなんでわかるの?」って疑問があるみたいですけど、接心で「もう救われました」って示される事もあるし、自分の体で感じる事、心にふと浮かんでくる事など様々な形で示されてきま~す! もちろん、信じなくていいですよ。信者が勝手に言ってるだけですから。

苑に繋げるとかお繋ぎする。。。 という言い回しですから、単純に繋ぐから”手”なんじゃないでしょうか? 何度も、、、というのは、設定として”因縁は次から次に現れるものだ”という前提があるからだと思います。 私の親も次から次へと新しい因縁を聞いてきましたし。 議論をふっかけるつもりもないのですが、他の信徒の方が”その親はレベルが低い(要約)”と書かれていますが、そもそも団体そのものとして基本方針が全員に周知されていないのってどうなのよ? と個人的には思います。 思うのですが、完全にこれは私の邪推ですが、 苑の場合 ・勧誘が修行であり、信徒評価につながる。 ・苑に繋がることで大難が小難になる。 ・苑でないと因縁を絶てない。 です。 つまり、一回で全ての因縁が苑によって払われてしまったら、継続して苑を信仰する必要はないわけで、因縁が絶たれた時点で辞める可能性があるわけです。 苑の資金源は信徒の財布ですし、継続して苑を信仰させる状態にしないと自分の下の信徒が辞めことで相対的に自分の評価が下がり、大難が小難にならなくなる。 という恐怖感があるのではないでしょうか? なので、次から次へと出てくるような言い回しをするのでは? と思っています。 千葉の木更津に苑の霊園が(いまでもあるのかな?)あるのは知っていますが、葬式については不思議ですよね。 あれほど因縁が切れないなんのやっているわりには葬式はその家の宗派で、、、っていう。 確か信徒さんが、(その家庭の宗派を無視して苑で)葬式を行うのは問題がおきることがあるから苑ではその家の宗派で行うのがベター(大分前の記憶なのでうろ覚えですがこんな感じでした。)と書かれていましたが、おかしな話だと思いました。 あ、ちなみに伝統仏教や通常の仏教団体のことを”葬式仏教”として下に見るのはわりと新興宗教ではあることですから、葬式自体見下してるんじゃないですか?

知恵袋ユーザー

質問者2017/1/21 2:23

おぉ!葬式の見解についても回答を頂けてありがとうございます。 その家の宗派を無視して、真如苑で習ったお経をあげているのだとしたら・・・ご先祖様、居心地悪いでしょうにねぇ? それこそ、あの世でご先祖様が泣いてますよってかんじで。 葬儀こそ、死者を現世からあの世へ送るための大事な入口であるのに。 ずかずかと真如霊界とやらからドアをノックして眠っている先祖まで起こしているんじゃないかと思います。 ・・・ とある本に、新興宗教と自営業者の繋がりが書かれてありました。 ①自営業者のところに新興宗教信者が悩みがないかと聞きに行く。 ②自営業者だから、事業を大きくしたいだの客が少ないだとか相談する。 ③いいお寺があるよと新興宗教を紹介する ④自営業者が新興宗教施設をお参りする ⑤新興宗教は信者を使ってその自営業者に仕事を依頼する ⑥ご利益があったと騙される ⑦自営業者から宗教にお布施が入る そんな仕組み・・・。おもしろいw

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2017/1/19 10:04

そういうのの教え方って 経(すじ)によって違うんですよね 私のとらえ方としては御護摩は 先祖様に対しての気持ち、だと思ってます どうか貴方の気持ちが楽になりますように、って。 先祖様も人間ですからそりゃね、「500円で済ますのか!」「一回だけかよ」なんていう方もいらっしゃるでしょうね でもそれも御護摩の積み重ねで そういうご先祖様の気持ちが変っていくわけです 感謝に変るというか。 すると、ご先祖様も気持ちよくなりますから、生きていた間に報われなかった気持ちもスっと楽になって、貴方自身の気持ちも救われていくわけです 残念ですが、貴方の経親さんは説明がヘタクソというか それじゃあ示されたご先祖様が汚いと言うことになるような…(私が読んで受け取った意味です) しんにょえんの問題ではなく、その教えてくれた人の解釈の問題。 しんにょえんはそんな雑な宗教ではありません。 とまぁ。。あたしにもまだよく分かりませんが、手を洗うのとは違うような…??

知恵袋ユーザー

質問者2017/1/19 10:16

おぉ!!信者様から回答を頂けるとは思ってもみませんでした。 さっそくの回答ありがとうございます。 議論に持ち込むつもりは毛頭ありませんので、私の思ったところを書かせて頂きます。 >私のとらえ方としては御護摩は >先祖様に対しての気持ち、だと思ってます そうですよね。気持ちって先祖供養の基本だと思ってます。 金額の大小じゃない。だったら手を合わせるだけでよくないですか? 毎晩寝る前に「気持ちが楽になるように~」って。 >でもそれも御護摩の積み重ねで そういうご先祖様の気持ちが変っていくわけです 何で変わっていったのかがわかるのかしら・・・? 真如霊界からのお告げで、因縁のあった先祖の一人でも、真如霊界に行った人がいますか?つまりは成仏した人がいますか? 前回の人は真如霊界に行きました。 今回は次の人です!!!みたいなかんじでしょうか? >しんにょえんはそんな雑な宗教ではありません そうですか。ありがとうございます。