ベストアンサー
このベストアンサーは投票で選ばれました
補足 こう書くと、信徒の方は、当人の精進次第と言い訳をすると思います。 ならば、何故勧誘時にこの手の言葉を使うのでしょうか? ネズミ講やマルチ商法の勧誘では「儲かるから。」と勧誘します。 しかし、実際は儲かるような状況を作る必要があり、これが作れなければ赤字になるだけです。 一握りの必ず儲かっている人は出ます。 しかし、反面赤字で苦しみ人間関係を破たんさせてまで依存する人もいます。 儲かって居る人や上の人間は「販売努力が足りないせい。」とこの場合言うのですが、苑の信徒さんの理屈と何も変わりません。 つまり、苑という信仰はダメだった場合の言い訳までしてくれる便利なものなのです、もちろん皮肉です。 -- 当人次第です。 そして、それが本当に苑によるものなのか、判断するのって誰ですか? 当人じゃないですか? まわりじゃないですか? しかし、それが第三者が、苑によって幸せになれたことを確認できないのなら、それって結局思い込みなのです。 苑は新興宗教団体であり、新興宗教団体とは、明治以降に設立された団体を示します。 苑は、教祖が真言宗で修業し、仏教等から独自に解釈をした仏教を自称する新興宗教団体です。 よく考えてみてください、有史以来とか、お釈迦様が生まれて亡くなって何年たっていると思います? 何人人類が生まれ、亡くなったと思いますか? 苑でなければ、本当に因縁が切れないのなら、その方たちは誰一人として幸せな人生を送れなかったのでしょうか? まわりをみてください。 幸せな人、努力している人、不幸な人、いろいろな状態の人がいるはずです。 苑でなけれらばダメなのでしょうか? 苑でなければ因縁は切れないなんてことは、信徒当人がそういっているだけです。 他団体の信徒に聞いてみてください、「うちこそが本物です。」そう言うはずです。 そもそも仏教の概念で因縁を切るなんて概念はありません。 その輪から解脱するという考え方はあります。 日々生活する中で行いを正すことで、今起きていることの原因を減らすという考え方はありますが、苑の場合、断言しますが、次から次へと因縁がでてきますよ? うちの親は信徒ですが、よく「苦しんで死んだ先祖がいてそれが原因」なんて聞いてきてましたが、でるはでるは次から次へと因縁がでてきます。 私はどうも本来仏教でいう因縁と彼ら信徒の言う因縁が同じものに思えません。 本当にそんな因縁があるのなら、同じ先祖を持つ親族は平等に悪い状態になっていなければおかしいはずです。 過去にさかのぼれば上るほど、同じ先祖である確率はあがるわけで、ってことは先祖は依怙贔屓していると言う話になります。 あ、ちなみに信徒に言わせると、こうやって批判するのも批判する因縁を私が持っていて、DNAも因縁の一種なのだそうです。 こんな目に見えないものに怯えても仕方ないのではないでしょうか? 現状を打破するには現実的な努力しかなく、どんなに努力してもダメな時はダメなのです。 それを受け入れる心構えを持つことが重要ではありませんか? 苑は新興宗教で修業するなかで勧誘しないといけません。 新興宗教は何が問題かといえば、過度な信仰や依存を持つ人間ができることで、苑も例外ではありません。 あなたが勧誘して相手の人生を破壊してもあなたは責任を取れないはずです。 だから、苑にかかわるのは止めたほうがいいです。 他の信徒が書いていますが信徒数が多いそうです。 しかし、これはペーパー信徒が多く、ろくに教育もできない信徒も多いそうなので止めたほうがいいです。 また、勝手に他人が無断で入信できる手続や霊位(苑内の位)や学校に入るために勧誘世帯数の実績が必要です。 本当に幸せになれるかどうかは本人の努力しかありません。 苑で言うような思いやりだの相手のためなんていうのは小学校の道徳レベルの話です。 身を正し、行いを正し、克己心をもち気長に地道に行動するのが結果的に一番の近道だと思います。 どちらにしても、苑で仮に幸せになってもそれは他人の人生の上につくられたものです。 関わらない方がまわりに迷惑をかけませんよ?
この回答はいかがでしたか? リアクションしてみよう