ID非表示さん
2014/3/23 3:55
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真如苑について質問です。私は仕事のお客を通して、真如苑に入信しました。最初はお参りだけならと抵抗もなくそのうち真如苑について知りたいと思うようになり、智流院にも入り霊位もいただけました。
真如苑について質問です。私は仕事のお客を通して、真如苑に入信しました。最初はお参りだけならと抵抗もなくそのうち真如苑について知りたいと思うようになり、智流院にも入り霊位もいただけました。 プルーフや苑の出版物で必ずと言っていいほど出てくる奇跡。これだけたくさんの方が救われているのなら信じていいのかもと思い一所懸命精進してきました。私には救ってあげたい人がいたからです。親戚中、精神病や癌で苦しんでいたので、 仕事が休みの土日は田舎へ帰り、親戚に教えを語り、入信してくれました。たまにはわざわざ応現院まで来てくれました。 一時的に病がよくなる時もありましたが、悪化すれば動くこともままならないため、帰苑どころではありません。そういう時決まって上求菩提すれば、あなたが徳を積み精進すれば徳は回る、相談接心で聞けば、あなたが向上すれば救われる。当然救ってあげたい私は、3つの歩みにと一所懸命精進してきました。私は20代ですが、他にやりたいこと、仕事以外のことをすべて犠牲にするぐらいの勢いでした。 しかし、叔父はうつ病を患ったまま去年自殺、叔母も今年癌が全身に回り亡くなりました。 真如苑ではたくさんの方が救われているのかもしれませんが、私には抜苦代受、済摂摂受はありませんでした。私は自分のことでも仕事等で苦しいことはありました。しかし、自分のことで祈ったことはありません。私の何が足りなかったのでしょうか?真如苑に期待していただけに2人の死を自分のなかでうまくとらえることができません。 真如苑は病気治しではないかもしれません。ご利益信仰でもないかもしれません。ただ、救いがないのならそれは信仰呼べるのか?これから、真如苑を続けていくか迷っています。私は真如苑に期待しすぎていたのでしょうか? 特に篤信のかたからの回答お願いします。きれいごとはいりません。
outukaさんへ 無条件の信心と言われたときに、私は向上した先にもしかしたら失うものの方が大きい気がして恐怖があります。信心すればするほど、宗教が生活のメインになりそれが今までできたこと、凡人として世間のなかで生きてきた者にとっては想像がつきません。またoutukaさんと同じように私にも精神疾患があります。小さいころ、父親にDVを受け精神的苦しみを持っています。若い頃の原体験というのは、その人の一生を左右するものだと思います。会座修行のように自我を抑圧するようなこと、小さいころから抑圧されていた者にとってはどうってことない修行に感じるし(目的は違うかもしれませんが)、また同じ人生を繰り返さなくてはならないと思うと私には必要ないかなって思います。また過去の苦しみをわかってくれる暖かい人は世間の人たちです。苑の方は義務的だったり少なくとも導き親はあんたのは苦労じゃない!って一蹴されましたが。全部がそう人だとは思いませんが、親部にいってみたりすると、人間は変わらないんだろうなと思ってます。そういう感じで、世間の中で支えられることのほうが多かったので、向上すればとか言われても会座には参座してませんでした。
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