真如苑を批判しておられる方に質問です。 かなり多くの方が 「真如苑を勝手にやる分には良いが、おたすけと称して勧誘するのは勘弁してほしい」 「真如苑は仏教ではなく新興宗教だ。

補足

残念ですが、このまま待っていると投票に移行してしまうので一旦、BAを選ばせて頂いて、真如苑被害なるものの詳細についてもう少し詳しく伺いたいので、また別に質問を建てさせて頂きます。

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真如苑の教えは自分の霊位と人格向上に努める「自己解脱」の教えではありません。 また、太陽が万人に差別なく光を注ぐように、真如苑の信者であろうがなかろうが御仏の慈悲は万人に注がれます。 私がここで声を拾っているのは批判の中にも聞くべきものがあるかもしれないからです。 ですから聞く必要の無いものは無視しています。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆様ありがとうございました。 >周りの霊能者の方やすじおやさん、事務局員の方も自分の時間なんて全然ないですよ。 >ちょっと手があいたかと思えば、またじょうぐぼだいの連続。 > 電話ばっかりかかってきて、自分のことできるのは寝るときくらい。 この指摘に自分の甘さを認識いたしました。 まだまだ教えを説く者として未熟すぎると痛感いたしました。

お礼日時:2017/5/28 21:43

その他の回答(12件)

血脈相伝という重大事が伴っていないので、日蓮正宗以外の仏法は邪教です。

そもそも血脈相承というのは真言密教から始まった概念です。 師子相承であり、奥義を師匠から弟子に伝えるというスタイルは天台にルーツがあるわけでなく、まして日蓮正宗のオリジナルでもありません。 天台は学問としての仏教を学ぶ場でしたが、密教部門が欠けていたため伝教大師が自ら「下僧 最澄」と申し出て、空海に弟子入りした際に血脈相承を承けたのが始まりです。 そして真如苑は連綿伝持の血脈相承を承けて成立した宗教です。 また法華経を巡っては古来より様々な議論がありますが、法華経の眼目は声聞・縁覚・菩薩の三乗の差別を超えて誰もが救われると説く一乗のおしえであり、他を排除する思想と法華経の思想とは真逆です。

この質問者もかなりおかしいよな。 宗教なんかに勧誘されたらふつうは誰だって怪しいと思うだろう。 まして霊能とかオカルトなものを売りにしている宗教団体なんていかがわしいことこの上ない。 全部の回答を見ても質問者は否定されているし。 それとも釣りでこの質問をしたのだろうか。

他人が賛成しているから正しいとは限らないし、他人が否定しているから間違いだとも限りません。 地動説は今では科学的真理ですが発表当初は異端でした。 私は周りがどう反応しているかを質問している訳ではありません。 彼方はどう思うのかを質問しています。

自分の勝手な思い込みかも知れませんが 真如苑を始めとする宗教法人は法の網目をすり抜けて お金儲けに走ってるだけのような気がします。 お布施とかを何故強要されるのでしょうか? 何をするにしてもお金が必要なのが理解出来ません。 暇なご老人とか専業主婦を食い物にしてるだけにしか思えません。 友人が言ってましたがコマーシャルもしないで集客するには 建物自体を立派なものにする必要があると・・ 真如苑の建物も立派ですよね!立川にあるものとか

お金が必要な理由は2つあります。 ひとつは無論、教団の管理運営上の必要性から。もう一つは「安易にならないため」です。 斉藤一人という実業家をご存知の事と思います。彼は自分の話を聞かせてあげてもお金を取らないと自ら強調していた人です。 しかし、最近、その誤りに気付いたのか、話を聞かせるのにお金を取るようになりました。 彼は億万長者なのでお金など本当はいらないのですが、お金を払ってでも話を聞きたいと言う覚悟の無い者には話さないというスタンスになったのです。 お金を取らないと安易に話を聞く。そして安易に話を聞けば曲解につながると気づいたわけです。 およそ何かを身に着けようと思えば、時間と労力と金をつぎ込むというのは原理原則です。 まして、宗教と言うものは曲解してしまったら大変です。幸せになるためにしている事が、まるで逆の結果になってしまいます。 信者が真剣に正しく教えを求めるためにもお金は取る必要があるのです。

釈尊が法を説いたのは、求められたからですよね?他人に悟りなさいと強制していた訳ではないはずです。(こんなことしたら、だれもお釈迦様のようになりたいとは思いません) 一方の真如苑では、強引に誘ったり、教えを説かずに真如苑に入れば救われるよと言ったりしておたすけをする人が少なからずいます。 真如苑における本来のおたすけは違うとしても、間違ったおたすけも他人から見れば真如苑のおたすけに変わりありません。 間違ったおたすけをされた方からすれば、間違ったおたすけ=真如苑のおたすけです。 おたすけに対する批判を無くしたいなら、信者全員が本来のおたすけを実践できるようおたすけや教えについて正しく理解すべきです。

おたすけに対する批判をなくしたいわけではありません。 お釈迦様の時代にもお釈迦様を批判する人はたくさんいたでしょう。 批判されないというのは認知すらしてもらえないという事です。 また、おたすけとは先にff_mm_r氏に書きました六波羅蜜を具足しないと上手くいかないものです。 入信させるだけではなく、その後、精進するまで人をいざなうには六波羅蜜に依らなければ無理だと言えます。 ff_mm_r氏のように歓喜を相承し、教師にもなったと言うのは大変な事なのです。幹部教徒と言っていい位で、100人をおたすけするより大変な功徳を積んでいると言えます。 間違ったおたすけでは、そこまではいけないようになっています。

仏教をベースに独自の解釈をしているのです。 含まれる、、、ではなく、「苑として含まれると解釈している。」の間違いではないですか? それをもって仏教を否定するとか、おたすけそのものを仏教とするのはおこがましいのではないでしょうか? 新興宗教は過剰に依存し、価値基準や判断基準を団体におく人間がでやすいです。 信仰のためなら暴力も許される、批判者の子供はいじめられて自殺する、そのようなことを平気で書ける人間が出ます。 新興宗教の信徒が身内に居ることは学会やオウム、大石のような事件があった以上、家族にとってはリスクでしかありません。 苑が新興宗教である以上、信教の自由があったとしても身内に迷惑をかける可能性があるのでやるべきではない、私はそう考えます。 書かれているように「実践」ができてない方が必ず存在し、他者に迷惑をかけているのが実情で、他者からすればその実践ができるようになるまで待つ義理はありません。 仏教だとか、お釈迦様を引き合いに出す前に、他人を勝手に信徒にできる杜撰な入信手続や管理、過剰に依存する構造、勧誘無しに向上しない霊位や智流学院への入信、そういったものを改善されたらいかがですか?