真如苑には仏教用語にもない「抜苦代受」というものがあると主張していますが、信者はそれを本気で信じているのでしょうか?
真如苑には仏教用語にもない「抜苦代受」というものがあると主張していますが、信者はそれを本気で信じているのでしょうか? 自分の代わりに誰かが自分の苦しみを受けるなどというなら、自分の代わりに誰かが勉強して自分が学校に合格すると言うような「他人任せ」が通用すると言うことでしょうか? あるいはお腹が減ったからと言って他人が食事をしたら自分のお腹も満たされるなんてことがあり得ますか? どちらも自分の苦しみを他人が受けて自分はメリットだけ受け取るという話です。 そんな事がこの世であり得ると本気で考えているのですか?
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