マスコミが招いた「自殺ブーム」女学生の自殺報道が944人の死者を生んだ三原山事件とは
炎上とスキャンダルの歴史5
著名人の自殺報道がさらなる自殺者を生み出す危険性については、WHOも注意喚起を行いガイドラインを発表している。日本でも戦前、三原山で男女944人が命を絶つ凄惨な自殺ブームが起きていたことをご存知だろうか。この悲劇を生んだのも、ひとりの女学生の死を憶測とともにセンセーショナルに書き立てたメディアの報道だった。
■人生これから、しかし「これからの人生」こそを悲観した戦前の女学生
三原山(伊豆大島)
炎上するのは、人間だけではありません。昭和8年(1933年)、伊豆諸島の中でも最大の大島の三原山火山は「大炎上」してしまいました。
この年だけで男性804人、女性140人が、三原山の火口から投身自殺を決行、それらの事件を興味本位で記事にする新聞、それを批判する世間の声が絡み合い、うねるようにして不吉な大炎上の火柱が立ち上ったのです。
すべての始まりとなったのは、この年の2月12日の悲劇です。東京・渋谷の実践女子専門学校(現在の実践女子大)の国文科2年に通う、二人の女学生がフェリーから降り立ち、椿の花咲く山道を登っていきました。
松本貴代子と富田昌子は同じ21歳。「平生から同胞(きょうだい)のやうな親しい間柄」でした。傍目には、仲の良い女学生たちが、観光名所の三原山火口見学のため登山している……そのように見えたそうです。
しかし、彼らの目的は「自殺」でした。貴代子は短歌が趣味の耽美的な文学少女で、「自分の気にいった歌が一つできたら、いつ死んでもいいわ」と口にしていたそうですが、まさかそれを実行に移すとは……。家族、周囲の誰もが想像していなかったことでした。
当時の「文藝春秋」の記者の取材によると、貴代子は「極端な結婚否定論者」で、実の姉が3人の子持ちになっているのを「何が嬉しいんだろう」と非難したこともあったそうです。戦前日本の女性は、結婚すれば法律的に無能力者となり、夫の男性の支配下で生きていかざるを得ません。それを貴代子は耐え難いと感じていた可能性もあります。
富田昌子は「人生これからよ」と貴代子を引き留めようとしましたが、「これからの人生こそ、受け入れがたい」と考えている貴代子を止めることはできませんでした。
三原山の火口部で番をする「御神火番人」の雨宮甚松という男性によると、「2人のもつれを遠くからみているうち、1人は紫の着物をフワーッと浮かしながらとびこんでいったが、それが陽光に映えて、まるでセミがとんでいるよう」という最期の姿だったそうです。
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