日本経済研究センター JCER

竹中平蔵のポリシー・スクール

2008年7月1日 失敗教訓生かしたブラジル

 日本からブラジルに初めて移民が渡ったのは、1908年のことだった。791人の日本人移住から始まった日本・ブラジルの関係は、第2次大戦で一時中断したもののその後も発展を続け、いまやブラジルの日系人は150万人に達している。移民100年目に当たる今年は、日本・ブラジル間でさまざまな記念行事も予定されている。筆者も先般、記念事業の一環として、サンパウロで記念講演を行なう機会を持った。

 日本とブラジルの経済を見渡して共通しているのは、ともに奇跡的といわれるような高度成長期を経験していること、一方で同じく失われた十年といわれる停滞期を経験していることである。改めて、経済政策のあり方次第で一国の経済は大きな影響を受けるということが実感される。

 まずブラジルの経済は、1960年代の後半から70年代の前半にかけて奇跡の成長の時代を迎えた。そもそも、50年代終盤にコーヒー相場が大暴落し、国家財政の破綻建て直しによって経済再建が進められた。64年にはカステロ・ブランコによって軍事政権が樹立され、国営企業を中心に大型投資が進むなかで経済の成長が実現されていった。この時期、日本からも企業の進出が活発化している。その数は、一時500社にのぼったといわれている。

 しかし、70年代の石油危機などを経て、状況は一変する。当時の中南米諸国の多くがそうであったように、返済能力を超えた累積債務、しかも先進諸国の金融機関からの短期融資に依存した外貨調達を行なったことによって、経済体質の弱体化が進んでいった。ついに82年、ブラジルでは利払い停止という異常事態が発生した。この80年代初頭から90年代初頭までの期間が、ブラジルの失われた十年である。92年に成立したフランコ政権の蔵相となったカルドーゾ(後の大統領)の経済政策「レアルプラン」は、専門家の間ではよく知られている。90年代に入ると、失われた十年を踏まえてブラジルは新たな政策を採用していった。

 具体的にいうと、緊縮財政の下での健全なマクロ経済運営、国営企業の民営化、貿易自由化、外資導入などである。いわゆる市場経済の活力を活用した、またオープンな政策によって、治安、インフラ不足などの問題を抱えながらもBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)の一角として力強い経済基盤を作りつつあるといえよう。

 今日のブラジル経済を特徴付けるものとして、いくつかの点をあげることができる。まずは、航空機産業の存在だ。国土の広いブラジルは、コミューター機の数で米国に次ぐ第2位の地位にある。これを受けて同国のエンブラエル社は、エアバス、ボーイング、ボンバルディア社に次ぐ世界4位の航空機メーカーとなっている。同社も、国営企業が民営化されたものだ。

 第2は、バイオエタノール(およびフレックス燃料車)である。石油危機のダメージをきっかけに、徹底した代替エネルギー戦略を採ったことの象徴である。ガソリンスタンドにガソリンとアルコールの両方のノズルをつけ、かつアルコールをガソリンより安い価格に保つなど、インフラを含めてバイオエタノールの普及に徹底した戦略を採ることによって、この分野の完全な先進国となったのである。
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(日本経済研究センター特別顧問)