空爆を受けたような被災地で、焼け残った高橋病院(中央左)=1995年1月18日、神戸市長田区

「爆発か」むき出しになった景色、土煙

 奇妙な音は、かなり前から聞こえていたという。

 神戸市長田区にあった高橋病院。4階で夜勤中だった看護師大野邦子は、1995年1月17日の午前5時ごろ、入院患者に早朝配るさゆを準備し始めた時に耳障りな音に気付いた。87人いた入院患者は寝静まっている。「ドゥーンというか、ズーというか。なんか気になる音なんです」。阪神・淡路大震災の前兆だったかどうかは分からない。

 しかし異音は、時折途切れながらも大きくなり、ガタガタ窓が振動しているように感じるようになる。

 「何か変な音するね」

 大野は当時43歳。同世代の同僚と、音の原因は「貨物列車か飛行機か」と話したが、窓を開けても冷えた空気がしんと漂うだけ。

 看護師詰め所にあった心電図モニターが、一瞬切れる。水を入れたやかんを火にかけようとしたその時、強い衝撃とともに宙に浮いた。冷蔵庫が1回転し、飛んできた花瓶が頭に当たった。2人は叫んだ。

 「地震や」

     ◆

 その約15分前。当直医の島田順一は、病院に隣接する木造一軒家の1階当直室にいた。「こんなことでいちいち起こさないでくれよ」と心の中で毒づく。病棟の看護師から午前5時半ごろ、熱を出した患者に座薬を処方していいか確認する電話が入り、眠りを邪魔されたからだ。医師8年目の32歳。京都府立医科大(京都市)の大学院生で、アルバイトとして週1回宿直に入っていた。そのまま17日の日中も継続して勤務する予定だった。浅い眠りを中断され、受話器を置くとベッドにあおむけになった。

 「グー、ドォーン」

 激しい突き上げに驚く間もなく、天井が急に迫ってきた。バリバリと真横の窓がつぶれる。頭上の本棚がつっかえになって、崩れた天井は足元にかけて斜めに落ち込み、足を挟まれた。エックス線フィルムが顔に落ちた。わずかな時間、意識を失った。この時の恐怖から、島田は今も、あおむけに眠れない。

 気がついて、むき出しになった外の景色を見ると、土煙の中に倒壊した建物が見えた。爆弾が落ちたか、ガス爆発かと思った。とにかく隣の鉄筋コンクリートの病院に逃げなければならない。幸い、挟まれた足は柔らかいベッドのおかげで抜くことができた。眼鏡や財布はどこに行ったのか。飛び散ったガラスの破片をはだしで踏み越え、ゆがんだ扉を蹴り破った。

 当直事務員の男性に会った直後、激しい余震が来る。神戸市発行の「阪神・淡路大震災神戸復興誌」によると、午前5時46分の本震後、同49分、同52分に神戸で震度4の余震があった。

 島田は病院の電話で高橋玲比古(あきひこ)院長の自宅や携帯電話にかけるが連絡がつかない。京都の家族はつながったが、「病院が壊れそう」と言ったところで切れた。

     ◆

 本震の直後、停電になった。病棟は真っ暗だった。4階看護師の大野は、コンビを組む同僚に「私が患者さんを見に行くから、(人工)呼吸器がついてる人の所に行って」と伝える。大野は懐中電灯を脇に抱え、紙の束とマジックを持って病室を回った。部屋番と、確認した患者の名を書く。

 歩ける患者は廊下に出てきていた。「看護婦さんはけがないか」。ベッドは動き、テレビが落ちた病室もあったが、患者は無事だった。寝床であぐらをかいて呆然(ぼうぜん)としている人もいた。

 南側の窓をこじ開け外を見た。「すこーんと家がなくなってるのを見て、鳥肌が立った」。大野は同僚と2人、「どうしよ」と顔を見合わせた。涙が流れた。

     ◇

 阪神・淡路大震災で「火の海」になった神戸・長田。焼け跡の中心にあった高橋病院の医師はどう動き、何を考えたのかを伝える。

=敬称略=

(霍見真一郎)