第3話 叔父の箴言

「お兄ちゃん、考え事?」


 十一月の二十八日、土曜日。私立校である星䨩桜坂高校は完全土日休みなので、暁人は学校が休みである。中学生である妹——輝子てるこは半ドン授業で、午後から所属バンドの「スイート・ピロートーク」の練習会があるとかで、昼食を摂り次第出かけることになっていた。

 輝子が作ってくれた野菜炒めを食べながら、暁人は「バイト先の嫌な奴と組むことになってさ」と何気なく愚痴った。

 本当に何気ないつもりだったのだが、思いの外感情が顔に出ていたらしい。輝子が苦笑しながら、


「焜さんのこと? 嫌な奴ってことはないんじゃないの? いい人じゃん」

「同性にはそう見えるんだろうけど、俺にとっちゃ違うよ。性格悪いし自信過剰だし暴力女だし。あれは、天敵だ。ムカデだよムカデ」

「嫌いな割に詳しいじゃん」

「嫌な奴については詳しくなるもんだろ。身を守るために。お前もだってチマキや笹餅は食わねーだろ? ……つうか、美人なんだから、変な厄介ファンには気をつけろよ。なんかあったら兄ちゃんに言えよ」

「はいはいごちそーさま。過保護なシスコンおにーちゃん、洗い物よろしく。行ってきまーす! ったく、自分が結婚する時心配だよ私」


 輝子はストラトキャスターを入れたケースを背負って居間を出た。

 彼女はバンドでギターボーカルを担当しており、打ち込み音源で作曲もしている。将来はメジャーデビュー、溟月劇場ホールでライブをすることだと言っており、そのための努力は欠かさない努力家だ。

 暁人は輝かしい青春の道を歩む妹を眩しく思いながら、昼飯をもそもそ食べる。俺はそんなにシスコンだろうか、と思いながら。

 相変わらず輝子の手料理は美味い。将来旦那になる男がいるとすればとんだ果報者だろう。無論、暁人とてタダで妹を渡すつもりなどない。ふさわしい男でなければ、〈龍殻剛爪の術〉で八つ裂きにしてやるところだ。


 と、居間のドアが開いた。

 叔父の、臥龍健一郎だ。

 臥龍家は代々嫡流に暁の字をつけるが、次男三男にはつけない謎のしきたりがある。健一郎と言っているが、叔父は三男だ。


「輝子は?」

「バンド練習だってさ。俺はこれからテスト勉強」

「日頃のバチだな」

「うるさいなあ。いいだろ、赤点はなんだかんだとってこなかったんだし」

「アホ、常日頃の積み重ねを軽んじるなという説教だ。いただきます」


 健一郎は白出汁の味噌汁を一口啜る。豆腐と白菜、油揚げのシンプルな具だが、素朴な味付けが、味噌汁というでしゃばらない料理を引き立てていた。


「叔父さんは原稿どう?」

「初稿を編集に送ったところだ。三日かそこらは、暇だな。しばらく映画とかゲームで、リフレッシュするよ」


 叔父は作家である。

 十八歳、高校を卒業してすぐ実家を飛び出し、バイトをしながら新人賞に投稿していたが箸にも棒にもかからず、精神疾患に至るほどだったが、五年前、三十二歳で新人賞を受賞。石塊の花というホラー恋愛小説で、溟月文学賞の大賞を受賞した。本州でも人気を博し、ネットドラマ配給サービスのネットモフリックスでドラマ化もしている。

 彼の描く独特な死生観とホラーとエロスが入り混じる文章は瞬く間にカルト的な人気を生み、今や売れっ子作家であった。

 健一郎自身、少年期に親友が投身自殺するという経験があり、それが創作人生に大きな影響を与えた——と、家族にだけ打ち明けていた。周りには、精神的に病んだからこそ見えた世界があった、とだけ語っているが。


「叔父さん、夢を叶えるって、どんな気持ち?」

「どうもこうも、まだ叶えてないな。叶うのは多分、死んだ後だ」

「作家になったのに? 死んで叶う夢って想像できないけど」

「作家は目標であって夢じゃない。俺の夢はお前らが立派な大人になって、あの世で兄貴に子育て頑張ったぞって胸を張ることだ。兄貴と姉貴が志半ばで絶たれた夢を、俺が完成させるんだ」


 こういうことを平然と言える大人は、掛け値なしでかっこいいと思える。

 健一郎が暁人の亡き父・暁久あきひさと、同じく亡き母・れいに、売れない時代に金銭的な援助をしてもらっていたことや、精神を病んだ際親身に相談に乗ってもらったことがあるという話は、酔ったはずみに聞いたことがあった。

 父は現当主で暁人の祖父にあたる暁信あきのぶのことは明確に嫌っていたが、決して弟や妹は嫌っていなかったという。たとえその才覚を弟妹自身から疎んじられ、蔑まれていたとしても。


「俺は……そんな立派な大人になれそうもねえよ」

「何かあったのか?」

「野菜炒めにこれ以上塩かけんなっての。血圧異常で再検査になるぜ。……いや、なんつうか波長合わねえやつと組んで仕事することになってさ」


 健一郎は塩を振る手を止め、


「社会に出たらそんなんばっかだ。俺もバイト先で嫌な奴がペアになったことあるし、無能な上司に責任転嫁されてクビになったこともある。でもお前、そいつのことそんなに嫌いか?」

「なんで?」

「暁人は兄貴と同じで、本当に嫌なことは口に出さないだろ」


 そう——なのだろうか。自覚は、はっきり言ってこれっぽっちもない。


「嫌って言葉に出せる以上は、どっかで認めている証拠でもあると、俺は思う。俺もライバル視したり、嫉妬したりする作家は多い。だが、同時に認めてもいる。すげえ奴だってな。あとはそこにどう折り合いをつけるかだ。あえて深く知るってことが、状況を打開するかもしれないな」

「深く知る、か」


 暁人は野菜炒めの鶏皮を摘んで、頬張りながら考える。

 確かに焜の実力は、認めている。術式の性能、扱う技量、能力の理解と戦闘のセンス——どれをとっても実戦叩き上げの彼女の方が上だ。

 ——俺の嫌いって感覚は、ひょっとしたら認めたくないって感情の表れなのか?

 と、エレフォンが震えた。

 メールだ。差出人は天城所長、とある。


『溟人発生の依頼が入った。場所は在川区工業コンビナート。焜ちゃんにも連絡を入れておいたから、一時間以内に現地で合流して祓葬ばっそうに当たって』


「どうした?」

「仕事。ごめん、洗い物頼める?」

「ああ。ただし飯は最後まで食っていけ」

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