第2話 水と油の龍と狐

 まず一つに、臥龍暁人がりょうあきとは一般人ではない。というか、この島で一般人を探すのは困難と言っていいだろう。

 無論その一般人の定義がひとそれぞれというのもあるが、例えば平和な国で比較的安定な環境で学生時代を過ごし、順風満帆とは言えないまでもそこそこの大学を出て就職できて、手取りで二十数万近くもらっている新卒を一般人と定義するなら、まずこの島にそんなやつはいない。

 絶対、いない。この世に絶対なんてものはない、という耳あたりのいい言葉を信じている諸兄には申し訳ないが、それだけは断言できる。


 通学バスで吊り革に捕まってエレフォン——超電子携帯端末エレクトリック・フォーンをいじっている暁人は、その頬に微かながら龍の鱗が浮かんでいる。流石に目立つほどの角までは生えていないが、小ぶりながら角も尾も生えていたし、言うなれば龍人——そう呼んで差し支えない少年である。

 元々は、外見自体は普通の人間だったが、この四年で侵蝕が進み、龍化現象が顕著に現れ始めたのだ。

 龍化は一定の段階に入るまでは加速度的に進み、あるところで停滞期、あるいは安定期に入るというが、暁人はまだその安定期にすら到達していない。侵蝕は今後も続いていくだろう。


 然り。彼は平安の世に霊山で龍神の加護を受けて生まれた子供の子孫であり、現在二十八代目まで続く臥龍家の嫡流——

 ある事情で実家から絶縁されて、暁人は現在妹と叔父の三人で暮らしていた。——高校生をやっているのも不本意ながらというものであり、バイト先の事務所の所長と叔父から、高校くらいは出ておけときつく言われているから嫌々通っているのだ。

 でなければ中学を出てすぐに、陰陽師一本でやっている。


 周りにも——内情は別として、外見が——似たような半妖や妖怪は多く、つまりここは場所なのだ。


 陰陽師、妖怪、そして脛に傷を持つならず者が集まる島。日本の中でありながら日本ではない、そんな独立自治区。溟月島くらつきじま

 島の大半を大岩戸おおいわとと呼ばれる巨岩に覆われたそこは、南側の沿岸部の一部分のみが外に面しており、あとは全て天然の中で刳り抜かれた巨岩の中に都市が建造されている。

 この桜坂区は沿岸部を除き、大岩戸の内側だ。故に昼間でも尚暗い内部は、妖力行灯で照らされ、幻想的な光景を醸していた。

 ここはそれ自体が堅牢な要塞であり、日陰者が暮らすにはもってこいの立地であった。


 宮城県は仙台湾から六十三・四キロメートル東北東に離れたところに浮かぶ、一つの県と同等の敷地面積を誇る島であり、ある組織が第二次世界大戦の混乱期に、ドサクサに乗じて国から買い取ったものだ。


 ——マイノリティな天才が虐げられる、その様子に耐えかねた座卓の座長・霊天りょうてんの英断であるとも、単なる気まぐれであるとも、その説は様々であるが……。


 ——と、歴史で習った。気がする。

 暁人は学校の授業をほとんど聞き流しており、勉強するのはテスト前の一週間だけという不真面目学生なので、ちょっとその辺の歴史には自信がない。流石に故郷に興味がなさすぎるが、別に、みんながみんな郷土史に詳しいわけではないのだ。


 と、エレフォンに新着メールが届いた。


「焜とは同じクラスなんだろう? 仲良くね」


 禮子からだ。

 暁人はそのメールを見るだけで少しうんざりする。焜——千穂川焜ちほがわこんは野生上がりの野良妖狐でありながら、わずか六十七年で四尾にまで成り上がった完全実力派の妖怪だ。外見年齢は十代半ばから後半ほどの美少女であるが、なにぶん性格が——平成ラノベのヒロインのような、破天荒というか、ちょっと扱いづらいものだった。今時には絶対煙たがられる性格であるが、不思議と友人は多い。


 才能がありながら実家から離れている——という、傍目には恵まれているおぼっちゃまの道楽陰陽師、と見えなくもない暁人を目の敵にし、事務所で顔を合わすたびにつっけんどんな顔で、ふん、と鼻を鳴らされる。

 そこに悪意があるのかないのかは本人にしかわからないとはいえ、やられる側は気持ちがいいものではない。正直、不快だった。

 そんなやつと仲良くバディを組んで仕事をしろ? おいおい冗談だろ? 暁人は、ため息をつく。


 通学バスは二十分ほどで、私立星䨩桜坂高等学校しりつせいれいさくらざかこうとうがっこうについた。

 在学生がバスから降りていく。暁人も定期券をかざし、バスから降りた。

 正門前には鬼族の生徒指導員が立っており、大きな声で挨拶を投げている。暁人も適度な声量でそれに応じつつ、昇降口に入った。

 もう帰りたい。全溟月もう帰りたい協会の高等学校部門代表を自称している暁人は、実を言えば通学バスを待っている段階でそう思っている。


 上履きに履き替えると、隣に、青い髪の少女がやってきた。

 噂をすれば、だ。

 狐耳、邪魔にならないように四本の尻尾は小ぶりに縮小させている。

 千穂川焜、その狐である。


「あんたとバディとか、マジあり得ない」

「んだとコラ」


 千穂川焜だ。開口一番、これである。こんなのと組んで仕事しろだって? 冗談じゃない。こんなのに背中を預けたら、油断している隙に背後からブッスリだ。


「でも私が最強になるための踏み台にはしてあげる。感謝しなさい」

「その上から目線マジでなんなんだよ、俺がなんかしたか?」

「スカした態度が気に食わない」

「そういう性格なんだよ。つかスカした覚えなんてねえよ」

「そこがまさにそうじゃんか」


 二人は悪態をつきながら、三階の一年二組の教室に入った。

 二人の不仲(?)はクラスでも知れ渡っていて、水と油の龍と狐といえば学校でも有名なくらいだった。水油龍狐すいゆりゅうこなんていうわけのわからない四字熟語まで頂戴する有様である。だれだ、そんな勝手なところで無駄な文才を発揮しようとした奴は。ちょっと分けてくれ、と思う。


 ことあるごとに張り合い、言い合い、その癖決定打となりうるような悪罵は言わない。どこかじゃれているようにも見えるという様子から、一部ではデキているんじゃないか? なんて不名誉な噂もあった。はっきり言って、やめてほしいことこの上ない。

 こんな自信過剰女を恋人にするなんて、胃に穴が空くこと請け合いである。どうせなら禮子のような大人の女性にお願いしたい。


 一年二組の教室に入り、最後尾の席に着く。暁人は窓際、焜はその隣。席替えでこうなった。最悪だ、と暁人は思っている。天運はつくづく暁人を虐めたいらしい。神様ってのは、きっとサディストなんだ。そうに決まっている。


 制服は冬服のブレザーであった。色は紺色。男子も女子もズボンだが、女子はスカートも選べる。さりとて昨今、ジェンダーレスが叫ばれる時代だ。ズボンを履いている女子も——ファッション的にどうとかというより、単に防寒の観点から——多い。

 季節はまさしく冬であり、今は令和八年、十一月二十七日金曜日。今年もあっという間だった——なんてことは、無論ない。陰陽師を目指して勉強に修行に明け暮れた四年間、中学の秋からは本格的な実戦練習を禮子と行ってきた。

 人生でこの四年は、あまりにも濃密だった。


 そしてさらにいえば来週から期末テストであり、暁人はそのことが一番のストレスだった。

 大切な冬休みをかけた大一番——というのは無論のこと、毎度のことだがテストには暁人のクビもかかっている。


 ——私立校で赤点なんて取ってみろ、叔父さんに顔向けできねえ……!


 ただでさえ学費のかかる私立校である。そこで赤点、すなわち留年の危機ともなれば流石に仏のように優しい叔父も龍の逆鱗にふれたかの如く怒るだろう。なんとなれば高校進学と卒業を条件に陰陽師を認めたのが叔父である。下手したら陰陽師を休業しろ、なんて言われるかもしれない。


「な、なあ焜。期末テストどんな具合だ?」

「何急に。気持ち悪い」

「いや、この程度のことで気持ち悪いとかねえだろうよ。流石に傷つくな……。ってそうじゃなくて……ぶっちゃけ陰陽師と二足の草鞋だろ? 勉強どうかなって」

「そうね……呑気にゲームしてる暇を勉強に充てれば十分点数は取れるかな」

「…………」


 ぐうの音も出ない正論に、暁人は黙り込んだ。

 暁人は自他共に認めるゲーム好きだ。仕事がなく、修行を終えた後は部屋で今年の九月に出たばかりの探索系死にゲーである「マグナスブレイヴ」をプレイするのが日課であり、学校の勉強などほとんどしていない。中学の頃から定期テストの一週間前にやけっぱちの付け焼き刃で、なんとか凌いでいる。

 言わずもがな、成績は地を這うが如しである。

 私立校なので課題はほとんどなく、勉強は自己裁量なので、振り落とされるやつは自己責任、ということだ。


「なあ。勉強教えてくれねえか?」

「いいわよ。稲原園いなはらえん奢ってくれるならね」

「マジかよ……よりによって焼肉? 牛丼じゃだめか? 一杯三二〇円並盛り。なんなら豚汁と温玉つけてもいいぜ。それかマスクドバーガーでランチセット——」

「なら家庭教師は諦めることね」

「わかったわかった、背に腹は代えられねえか……留年よか財布が軽くなる方がずっとマシだ」


 こういう、不仲とは程遠いやり取りをしているから、デキてる説が浮上することを二人は気づいていない。

 周りもこそこそ「やっぱ仲良いよね」とか「同じバイト先でしょ? そりゃあねえ」とか言い合っている。

 漏れ聞こえてきたやり取りに暁人はきついひと睨みをして、群衆を黙らせた。


「おー怖、龍の逆鱗に触れたくねえなあ(ニヤニヤ)」

「ブレスで焼かれるぜお前(ニヤニヤ)」

「うっせえな! 俺をモンスターかなんかだと思ってんのか! 俺がモンスターなら初見殺しポイントで焼き払って皆殺しじゃボケ!」

「稼ぎに使われそうな序盤特有の火吹きドラゴンこわ……」

「ていうか何それ。元ネタわかんないんだけど」


 普通はそうなるだろう。我ながらニッチな怒り方だと思う。


「がははは、冗談だろ冗談。暁人、お前あの噂知ってっか?」

「んだよ梶原」


 噂付きで知られる男子生徒の、梶原瑛二かじはらえいじが肩に腕を回してきた。

 犬妖怪のこいつはそれゆえかひと懐っこく、そして他人の懐に入るのが妙に上手い少年だった。ムードメーカーであると同時に、走るスピーカーという不名誉なあだ名も頂戴している。こいつに何か知られたら、次の休み時間には命はない。なんなら暁人と焜の実はデキてる説を広めたのもこの男だ。


「噂って? なんだよ。くだらねえゴシップなんざ聞かねえぞ」

「違うって。そんなんじゃねえ。もっと切羽詰まったもんだよ。お前と千穂川さんにとっちゃ命取りだ」

「お前にレスラー似の彼女でもデキたとかか?」

「確かに笑い時に死して命取りになるわね」

「はっ倒すぞコラ。そうじゃなくて」梶原は声を潜めた。「陰陽師狩りの噂さ。最近巷で陰陽師を狙った殺傷事件が流行ってる……らしい。ボヤキーとか陰陽掲示板で集めた情報だから不確定だし、書き込みもすぐ消されんだけどさ。でも、消された投稿って自発的な消去じゃないっぽいんだよな」

「何それ。私たちも狩られるって言いたいの? こっちから狩ってやるわよ」

「さすが千穂川さん、そこらの陰陽師とは意気込みが違うぜ。ちなみに暁人のどういうとこが好き?」

「死ねこの馬鹿!」


 焜が繰り出した狐パンチを、梶原は優れた反射神経で躱した。伊達にボクシング部一年ホープを名乗っているわけではないようだ。


「あんな過剰反応するってことはやっぱ千穂川さんって……」「暁人も拒絶しねえもんなあ」「ぶっちゃけやっぱデキてんじゃね」

「お前らうるせーよ、バーカ! マジでほんと次言ったらグーパンだぞ!」


 暁人が怒鳴ると同時に、ホームルームの予鈴が鳴った。

 クラスメイトがニヤニヤ笑いながら席に着く。


 暁人は窓の外に視線を遣った。とっくに片付けを終えた野球部が教室に戻っていく様子が見える。

 平和だよな、と思った。


 ——陰陽師狩り。


 なんだろう、胸騒ぎが……やけに、胸の内を掻きむしる感覚がした。

 四年前と同じ。あの、父がいなくなる——あの時と同じいやが漂っていた。

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