忘れもしない97年5月30日の巨人戦(甲子園)。ディミュロ球審がストライクの判定をする外角へどんどん投げ続けましたよ。延長十一回、144球1失点の完投。八木裕さんの犠飛でサヨナラ勝ちです。
揺るがない、変動しないストライクゾーンに投げ込んで、この試合で10奪三振をマーク。おかげで、5月の全農賞(月間最多奪三振)を受賞できたんです。ディミュロほど投げやすい球審はいませんでしたね。
ところが、大事件が起きてしまうんですよ。ディミュロ球審の判定を巡って、中日の大豊泰昭さんが猛抗議。言葉の壁もあったのでしょう。中日側は「質問をしただけ」と主張も、映像では2人の体は接触していましたね。米球界では退場に値する行為だったわけで、ディミュロからすれば当然の判定だった。
そして、中日が大勢で詰め寄った行為に、ディミュロは「身の危険を感じた。もう、ここでは審判はできない」と辞職を申し入れたんです。
帰国したのが6月上旬。ずっといてくれたら、あの年の私の成績(10勝12敗、防御率3・59)はもっとアップしたのではないか…。すごく残念な騒動でしたが、審判として大事なものは何かを教えてくれた人物でした。
★日本野球ではトラブル続き
藪氏がシーズン途中の辞職、帰国を惜しんだディミュロ審判員だったが、来日以来、トラブル続きだったのは確か。野村監督(ヤクルト)はボーク判定で揉め、「米国の審判が日本野球をメチャクチャにする」と激怒。吉田監督(阪神)はタッチプレーに関して抗議に出向くと「退場!」。ディミュロが退場宣告した第1号になってしまった。そして大豊の事件が起きる。
ディミュロ辞任を報じた当時のサンスポ紙面で、セ・リーグ6監督から同情論は出なかった。その紙面で唯一、「辞めないで」と声を上げたのは藪氏だった。
■藪 恵壹(やぶ・けいいち) 1968(昭和43)年9月28日生まれ、54歳。三重県出身。新宮高、東京経済大、朝日生命を経て94年D1位で阪神に入団。同年に新人王。2005年、FAで大リーグ、アスレチックスに移籍。メキシカンリーグ、ジャイアンツなどを経て、10年途中に楽天に移籍し同年に引退。NPB通算279試合登板、84勝106敗、防御率3・58。MLB通算100試合登板、7勝6敗1セーブ、防御率4・00。11~13年に阪神の1、2軍で投手コーチを務めた。現役時代のサイズは186センチ、98キロ。右投げ右打ち。