今季からサンケイスポーツ専属評論家に就任した阪神OBの藪恵壹氏(54)が、自身の野球人生を語るコラム「攻め続けた男」(毎週火曜日付)。第16回は米国から来た審判との思い出をつづる。ブレないストライクゾーンが、やがて訪れるメジャー挑戦のきっかけの一つになる。
吉田義男さんが指揮をとられた1997、98年頃といえば、清原和博さん(巨人)との対決を思い出す方が多いでしょう。この連載の1回目で紹介しましたが、真っ向からドンドン内角を攻める投球を応援してくださるファンも多く、思い出深いです。
それとは別に、この時期は一つの出会いが強く印象に残っています。97年にMLBから派遣審判員として来日したマイク・ディミュロ。当時の川島廣守セ・リーグ会長が審判技術の向上のために日米交流したと記憶しています。
キャンプから日本に来て準備して、阪神戦も球審を務めましたが、打者がストライクゾーンの違いに戸惑う光景をよく目にしました。不満を口にする監督、選手も多かったです。
でも、私の見方は全く違っていました。確かに微妙にストライクゾーンは日米の差があったかもしれませんが、彼は当時の日本人の審判と明らかに違う面を持っていました。
自分の中で明確なストライクゾーンが確立されていて、それが絶対に変わらなかったのです。日本人の審判の中には、2ストライクまでと、2ストライクに追い込んでからのゾーンが変わる審判がいたんですよ。あくまで個人的な印象です。誤解を生むかもわかりません。正直な感想です。
そんな審判に比べたら、彼は一度ストライクのジャッジをしたら、その後も絶対にストライクでした。ブレなかった。本当は、これが当たり前の話なのですが。米球界の審判の技術、威厳を感じましたね。後にメジャーへ挑戦するのですが、いくつかある「米球界に憧れた理由」の一つと言っていいかも分かりません。