英国人紳士と訪日の最終日に東京都内で再会した。記者の習性からか、つい口走ってしまった。
「これからしばらく会うことはないと思うので、最後に写真を撮らせてもらっていいですか?」
「ダメです。身元が割れるようなことはしたくありません。記事では本名も伏せてください。過去にかたった偽名の1つであるケネス・マレンとしていただけますか」
マレン氏と称するこの人物は女王陛下に忠誠を誓った英国の元諜報員だ。来日中に何度か会う機会を得た。聞けば1990年代半ばから英軍の諜報部門に所属し、その後、複数の英諜報機関を渡り歩いたという。インターネットの本格的な普及が始まった2001年ごろからは、ハッキングなどの手法を自ら開発し、実行したサイバー諜報活動の生き字引だ。
サイバー諜報活動の世界では日本企業の被害が後を絶たない。三菱電機やNECなどがサイバー攻撃を受け、企業秘密を盗み取られていたことが2020年1月以降、相次いで発覚した。中国当局の管理下にあるハッカー集団の関与が疑われている。
警戒すべきは非友好国にとどまらない。マレン氏によれば、友好国のサイバー部隊ですら日本を狙っている。パソコン内ののぞき見に始まり、スマートフォンを使った暗殺作戦に至るまで、サイバー諜報技術を進化させた当事者による貴重な証言に耳を傾けよう。
(聞き手は本誌・吉野次郎)
諜報員になった1990年代半ばというと、まだインターネットも普及していなかった時期だと思うのですが。
マレン:新米の諜報員だったころはまだ昔ながらの電子機器でテロリストを監視する時代でした。自宅に盗聴器を設置して会話を盗み聞きし、クルマに追跡装置を取り付けて動きを追いました。留守中に居間のテレビに監視カメラを仕込んだりもしました。
テロリストグループの幹部が自宅でひそかに女装している姿を盗撮し、「仲間に知られたくなかったら内通者になれ」と脅したこともあります。当然、密告はリスクを伴います。裏切りがバレた内通者が、仲間から拷問を受けて殺される様子を延々と電話越しに聞かされたこともあります。窮地に陥った内通者を助け出すことはありません。金銭で情報を売買していた間柄だと、割り切っていました。
インターネットを駆使したサイバー諜報に乗り出したのはいつごろからでしょう。
マレン:2001年に米同時多発テロが発生してからです。当時、インターネットの普及が本格に始まっていましたが、ハッキングの技能を持つ人はほとんどいない時代です。先人がいないので、誰にも教わることができません。協力関係にある米国からコンピューターウイルスを取り寄せるなどして、テロリストの監視に使う方法を自分たちで編み出しました。まさに手探りです。自分はサイバー諜報の分野を切り開いた第1世代だと自負しています。
同時多発テロを境に主な監視対象もアイルランド共和軍(IRA)などのテロリストからイスラム過激派に移っていきました。
具体的にどのように監視したのでしょうか。
マレン:例えばテロ組織の幹部が頻繁に訪れているアダルトサイトを突き止め、ウイルスに感染する仕掛けを施しました。感染に成功すると、パソコンの中身が丸見えとなり、ファイルを盗み読みできるようになります。パソコンに保存している写真を確認することも忘れてはなりません。テロの実行現場を下見したときに撮ったとおぼしき写真を見つけることができれば、どこを狙っているのかが分かります。テロ計画の決定的な情報は、サイバー諜報で得られることが多かったですね。
発電所や核燃料施設など本当に重要なシステムは、外部からのハッキングを恐れてインターネットにつないでいないことが多いです。このような場合はどう対処しましたか?
マレン:標的のシステムがある建物の敷地内にコンピューターウイルスを仕込んだUSBメモリーを投げ込んだりしました。たまたま誰かが拾って不用意にパソコンにつなげば感染する仕掛けです。私もある国で工作活動をしていたときに、この方法を使いました。具体的にどの国でやっていたかは書かないでくださいね。
スマホで要人の位置特定し精密爆撃
スマホの普及はサイバー諜報活動にどのような影響を与えましたか?
マレン:英政府通信本部(GCHQ)がスマホ用の強力なウイルスを開発してくれたおかげで、サイバー諜報活動は大きく進化しました。感染に成功すると、通話していないときでも、スマホのマイクを起動させて周囲の音を拾えます。スマホが盗聴器になるわけです。スマホの位置を1メートル四方の単位で割り出せるウイルスもありました。周囲にある複数の基地局との位置関係に基づき、三角測量の原理で特定します。シリアやアフガニスタン、リビアでは、敵対勢力の要人がどこにいるかをスマホで特定して、上空の無人機からミサイルを撃ち込みました。クルマに乗って移動中に車両もろとも吹き飛ばしました。
スマホを使って暗殺までしてたんですね……。サイバー空間で日本が警戒しなければならない国家はどこでしょう。
マレン:まず中国から解説しましょう。人民解放軍の戦略支援部隊の傘下にサイバー部隊が存在します。主な任務の1つは破壊工作です。中国軍は兵器の技術力で日本や韓国、台湾、米国などの装備にまだ勝てないことを理解しています。そこで軍事衝突の際にはサイバー攻撃で敵国の通信インフラや電力インフラなどに障害を引き起こし、社会を混乱させることで優位に立とうとします。
もう1つの主要任務がサイバー諜報活動です。当然日本も標的で、戦闘機や原子炉、艦艇の技術に関心を示しています。中国は海軍力を強化するために、特に艦艇に関する情報であれば、何でも手に入れたがっています。それと日本のミサイル防衛や防空など、防衛態勢の情報も積極的に入手しようとしています(筆者注:防衛省と取引する三菱電機、NEC、神戸製鋼所、航空測量大手パスコがサイバー攻撃を受けていたことが20年1月下旬以降、相次いで発覚。三菱電機から装備の試作品の入札情報が、NECからは潜水艦ソナーの研究資料などが漏れた恐れがある。中国の関与が疑われている)。
北朝鮮の活動についても教えてください。
マレン:日本が最も警戒すべきは北朝鮮のサイバー部隊かもしれません。北朝鮮の諜報機関、偵察総局の傘下に121部隊や180部隊などのサイバー部隊があります。破壊工作やサイバー諜報を手掛けるのが121部隊です。一方、180部隊は外貨の獲得を任務としています。国家が金銭目的のサイバー攻撃に手を染めること自体、極めて異例です。
日本を狙う西側諸国
西側諸国も日本を狙っているようです(筆者注:内部告発サイト「ウィキリークス」によれば、米国家安全保障局=NSA=は日本の内閣官房や財務省などの要人を盗聴し、三菱グループや三井グループのエネルギー部門なども標的にしているという)。
マレン:ええ。外交などを有利に進める情報を得るためなら日本政府だけでなく、日本企業もハッキングの対象となります。必要な情報を得るためなら、官民を問わず標的となります。要するにサイバー空間では西側陣営、東側陣営にかかわらず、全国家が全国家に対して攻撃を仕掛けていると考えてください。西側で最も強固な同盟関係にあるとされる英国と米国ですら互いにハッキングしているくらいです。
西側諸国で特に注意しなければならない国家は?
マレン:フランスです。どの国も程度の差はあれ、手は汚れています。その中でもフランスは特に汚れている。仏諜報機関、対外治安総局(DGSE)のサイバー部隊は、外国企業の知財や営業秘密を平気で盗んで、自国企業に流しています。特に興味を持っているのが自動車や製薬のようです。どちらも研究開発に大きな投資と長い時間がかかる分野です。外国企業から知財を盗み出せれば、フランス企業は研究開発費を節約でき、競争上優位に立てます。中国のサイバー部隊のように節操がないことから、フランスは「西側の中国」などと揶揄されています(筆者注:サイバー空間に真の味方はいない──。その現実を受け入れるほかなさそうだ。なおマレン氏のロングインタビューを拙著『サイバーアンダーグラウンド/ネットの闇に巣喰う人々』に収録した)。
英国の元諜報員、ケネス・マレン氏も登場! 日経BPから『サイバーアンダーグラウンド/ネットの闇に巣喰う人々』を刊行しました!
本書は3年にわたり追跡した人々の物語だ。ネットの闇に潜み、隙あらば罪なき者を脅し、たぶらかし、カネ、命、平穏を奪わんとする捕食者たちの記録である。
後ろ暗いテーマであるだけに、当然、取材は難航した。それでも張本人を突き止めるまで国内外を訪ね歩き、取材交渉を重ねて面会にこぎ着けた。
青年ハッカーは10代で悪事の限りを尽くし、英国人スパイは要人の殺害をはじめとする数々のサイバー作戦を成功させていた。老人から大金を巻き上げ続けた詐欺師、アマゾンにやらせの口コミをまん延させている中国の黒幕、北朝鮮で“サイバー戦士”を育てた脱北者、プーチンの懐刀……。取材活動が軌道に乗ると一癖も二癖もある者たちが暗闇から姿を現した。
本書では彼らの生態に迫る。ソフトバンクグループを率いる孫正義氏の立身出世物語、イノベーションの神様と評された米アップルの創業者スティーブ・ジョブズ氏が駆け抜けた波瀾万丈の人生など、IT業界の華々しいサクセスストーリーがネットの正史だとすれば、これは秘史を紡ぎ出す作業だ。悪は善、嘘はまこと。世間の倫理観が通用しない、あべこべの地下世界に棲む、無名の者たちの懺悔である。
サイバー犯罪による経済損失はついに全世界で年間66兆円近くに達した。いつまでも無垢なままでいるわけにはいかない。
ネット社会の深淵へ、旅は始まる。
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