KAZUMI Inanura HYOGO Pref Governor VOTEing

親の子供に対する慈愛の光には偏りが無く遍く平等に照らし降り注がれるに等しい。知事は父(父性、父心)であり母(母性、母心)である、知事になれば全ての県民の為の知事となる、と言った気概、度量、懐の深さが求められるし、そこには特定の政治勢力や政党色は必要無い。井戸知事まで力強く強靭で尚柔軟な父親的県政が連綿と構築されて来た、が、3年前不心得な政党勢力と政治屋(国会議員と一部県議)が連れて来たポッと出の三流総務官僚を知事に据えた結果、県政は深く傷付き停滞した事は眼前の事実であり現実現状です。県政を破壊した前任者は未だ思い付きの改革なる物で県政を前に等と再選立候補するし、またぞろ国会議員や一部県議が画策して別のポッと出の総務官僚の擁立を画策し始める始末、全く反省と言う物が無く、倫理観念の無さを露呈している。今、喫緊の課題は、深く傷付き停滞した県政を如何に癒し治療し回復をさせ再建し更に前進させるのかの一点。この3年ポッと出の三流総務官僚が知事になり県政を破壊した。今、深く傷付き停滞した兵庫県政の癒し治療し回復させ再建させ再建し更に前進させるのに必要なのは、県政県民を遍く平等に照らす母の慈愛の光だろう。政党云々は横に置くと言うより、県政保守には幅広く奥行きのある高い寛容性が求められる。特定の政党や政治勢力は関係しない方が良いし、ある意味において拒絶されるべきだ。県政保守は言わば県民目線に立脚しているかどうがが第一のボーダーとなる、つまり広義の県政保守とは、多様で多軸的に交錯する複数の立ち位置の人々の集積であり集合体に拠る首長(知事)の選出だ、特定の政党や政治勢力を指す狭義の保守観では県政(地方自治)保守の方向性を見失う。その様な考えに立ち、私は今般の兵庫県知事選挙では、稲村和美(前尼崎市長、元兵庫県議会議員)さんを推すと言うより、共に理想の兵庫県再生に向け共に為せる様に、多様で多軸的に交錯する複数の立ち位置の人々の集積であり集合体に拠る首長(知事)の選出を目指す、同志の方々と手を携え支援して参りたいと考える次第であります。