教師から経営者へ 聖心で学んだ成長見守るリーダー像
手塚加津子・昭和電気鋳鋼社長(下)
聖心女子大学を卒業した後で教師になったのは、人が育っていくことを見守るのが好きだと気づいたからだという。
東京の自宅に、季節折々の花が咲く庭があると話しましたが、小さい頃からタネをまいたら芽が出て葉をつけ、大きく伸びていくのを観察するのが大好きな子どもでした。その後、結婚して子どもが生まれてからも子育てが楽しかったですし、幼児教育を学んで応用することなども好きでやっていました。自身が会社経営に当たるようになってからもそうですが、「何かが成長していくのを見守る」ということに自分は価値を感じているのだな、と気づきました。
聖心女子大学を卒業して歴史の教師になったのも、そういう背景があったのだと今では思います。高等部の頃にユニークな歴史の先生がいました。高野英信先生という、江戸時代後期の医者・蘭学者だった高野長英の子孫だった方です。西洋中世史がご専門だったと思いますが、フランス革命やマリー・アントワネットの話になると滔々(とうとう)と話し続ける先生でした。教科書通りには全然進まず、授業の後はいつも友達と「きょうも進まなかったね」と話していたことを覚えています。でもおかげで歴史に興味を持ったのです。
私のいた学年は「いたずら好き」といいますか、先生たちにはとても扱いにくい学年だったと思います。反抗期まっさかりで、いたずらをしては先生方を困らせていました。そんな私たちを担任として真正面から受け止めてくれたのが、体育教師だった鯨井政信先生です。真摯に向き合って成長を見守ってくれた先生方に憧れて、自分自身も「教師になろう」と思いました。
植物でも人材でも成長を促すには「相手が何を欲しているか」を見極めることが、非常に大事だと思っています。植物も、肥料を与えすぎてもダメですし、太陽に当て続けても干上がってしまいます。会社経営でもそうですが、「何をどこまで欲しているか」、逆にいえば「本当に必要なことは何か、タイムリーに手を打つべきは何か」を的確に見抜いて、対応することが成長には重要だと確信しています。
当社の属する重工業のような業界も、中国やインドのように経済が伸長している国では業績もいいのでしょうが、日本のような需要が伸び悩んでいる国では厳しいのも事実です。鋼(はがね)の鋳物で造る大型部品は日本の品質が現状では圧倒的に高いのですが、国内大手の系列部品メーカーは「不採算だから」という資本の論理で会社が売られたり解散したりで、技術者も研究者も少なくなりました。
我が社のような独立系の鋳鋼部品メーカーは、その残存者利益もあってパイ(市場)の取り分は増えていますが、どこまで日本が持つこの優れた技術を守れるか、いい「ものづくり」を続けられるかは、国も政策として考えていくべきだと折にふれ提言しています。ものづくりの基盤を支える「とても大事なことをやっているのだ」と従業員らを励ましながら、これからも優れた部品で「ものづくり日本」に貢献し続けたいと願っています。
(ライター 三河主門)