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小さな闖入者

 ナインの手が、布越しに自分の肩から鎖骨をさする。


 恐る恐るというように、指先が骨に当たる際に、ただでさえゆっくりな速度が、より遅くなる。


 右肩を二、三往復すると、首の付け根を過ぎ、反対側も同様に。


 それも終わると、要領の悪いことに、また首に戻って来た。そして躊躇して、耳の下からうなじへ。


 そこで突然右手をそっと取られた。思わず振り返って肩越しにナインを見上げると、こいつは気付いているだろうにあえて自分の視線に気付かぬふりのまま、二の腕を拭き始めた。


 持ち上げられて、脇を晒される。


 ……腕の内側を見られるというのは、何故こうも気恥ずかしいものなのだろうか。いや、誰に見せても恥ずかしくない自信はあるが。


 羞恥だけではなく、太い血管の通る体幹に近い部位が無防備になることを、生物は本能的に嫌がるというのは……師匠のエヴァに習ったことだったか。


 腕も清められた。

 背中を、ふかふかの感触がなぞっていく。そこは苦手だ。特に翼の根元は敏感だ。

 声を上げて、それをこいつに聞かれるのは、弱味を与えるような気がして嫌だったのだけれど。


「んっ」


 どうしても抑えられないくすぐったさ。


 立ったままでいるのも辛くなり、思わずベッドに座り込む。


 放置されたナインは、ぽかんと口を開けたが、どうしたものか一瞬逡巡した後、失礼します、とベッドに上がり込み、改めて背中に手を伸ばしてきた。


 ……いやらしい手つきだと思う。


 いや、実を言うとそんなことはなく、汗を拭くため、それだけの動きでしかないのに、そんな感想を抱いてしまった理由については深く考えたくはない。


 ただ、この男の手が不快ではないのが不思議だった。


 ……前からの疑問でもあった。こいつには何度も……触れられる機会があったけれど。本当に不思議なのだが、それがどうも気持ち悪くは感じなかったのだ。だからしょっちゅう足を舐めさせては、アロマに怒られていた。


 ……こいつは、自分の体の味を知っている。


 そんな思考が不意に浮かび上がり、思わず。体が勝手に身を守ろうとお腹に両手を回してしまった。

 硬直した自分の体に反応して、自然、翼が内側に強くたわむ。


「わぷ」


 ……物心ついてからは誰にも言ったことはないが、自慢の翼だ。


 真っ白で、柔らかで、綺麗だと我ながら思う。アロマのくるくるホーンに負けず劣らず、立派なチャームポイントだと思っている。


 それが今、ナインを巻き込んでぎゅっと包んでいる。

 ……自分は、本当は。こいつを一体どうしようというんだろう。


 さっさと殺してしまえば良かったのに。だけど、今更だ。


 今自分が手を下せば、アロマたち部下は……大切な彼女たちは、自分にかつてのような笑顔を向けてくれることがあるだろうか。いいや、きっと無理だ。


 あの娘たちは、もうこいつの毒にやられている。


 近くにいれば、嫌でも伝わる。

 こいつの矛盾した本性は、醜悪だけれど、確かに多少なりとも興味深かった。


 強いと思えば、ひどく弱い。ガロンはそんなところにやられてしまったのだろう。


 怖いと思えば、妙に優しい。アロマはそれで……自分の気付けなかった心の隙間に付け込まれたのではないだろうか。


 初心かと思えば、女衒ぜげんじみた顔をする。身の程知らずにも、純真なエルを誑かしおった。


 無力かと思えば、思いもよらない結果を引き起こす。それがきっと、エヴァの関心を引いた。


 他にも何人か、こいつに惹かれた者がいるらしい。


 しかし、いずれにせよ趣味の悪いことだ。


 こいつには男性的な魅力はないだろう。ないと思う。

 顔立ちは整っているほうだと思うが、普段のにやけ面が胡散臭すぎる。何より目だ、こいつの目は、なんというか、見ているだけで不安を誘う。安定していない。だけど目を逸らせない。

 まるで今にも崖から落ちそうな者を見ているような、そんな気にさせられて落ち着かないことこの上ない。

 

 どちらかと言えば、こいつの面白さは見た目ではなく、何をするか予想が出来ないところだと思うのだが……。


 ……まあ、獣人はまだしも魔族には男が少ないから、奴らは経験不足が悪い方向に働いたな。

 余は騙されんが。


 ……ふん。

 どの道、悪い虫であることには変わりがない。


 特に気にしておくべきはエルとの距離だ、もう奴はエルに近づけないようにしなければならん。

 こいつはもう、余が一生を飼い殺しにしてやる。下手な動きもさせん。どうせ人間の元に居場所もないのだ、何を気にすることもない。


 ……恐怖など、王の義務感に比すればなんとしたものぞ。

 アロマが進めている、イスタ陥落計画が成されれば最早人間どもの掌握など容易いことだろう……。


 そうだ。余にはもう、恐れるほどのものなど何もないじゃないか。

 何もない。全てが魔族の念願の元、良い方向に行っているじゃないか……。

 もうすぐで世界は、我々が望んだ優しい姿に変わる――。




 ……己がどれだけ混乱し、矛盾した思考と感情を持っているか自覚もなく、クリステラは思考する。

 そして未だにナインを翼で抱き留め続ける。


 気付いているか、いないのか。

 ただ、傍から見れば離すまいという様子であるのは間違いなかった。



 ――そんなクリステラの目の端に、何かが映る。


「……?」


 眼球だけを動かし、僅かに動くそれをクリステラの視界がとらえた瞬間。



「ふきゃあああっ!!」





 ――――――――――――――――――――――




 珍妙ながらも、切実な悲鳴が部屋に響いた。


「え、え、なんですなんです!?」


 羽根に包まれ、不本意ながらも安らぎを感じてしまっていたナインは、あまりに唐突な大声に困惑を露わにする。

 しかし、未だに魔王の翼で全身を覆われているため、事態が把握できない。


 二人してわーだのきゃーだの騒いだ挙句、ナインが……全く不本意ながらも幸せな癒し空間から脱出して、クリステラの悲鳴の原因を発見した。


「……あら、可愛いお客さん。こんな所によくもまあいらっしゃいまして」



 蛇である。

 子供であろうか、一尺にも満たない程度の小さな蛇が、寝台の下から這い出てきていた。


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