ヒンジ
「ロットン、お邪魔するわよ!?」
騒々しく自室に入って来た女の姿を認めて、ロットン・ガムは手元の書物から顔を上げて闖入者の顔を見た。
「やあやあ、リリィ。どうしたのかな、そんな怖い顔をして。あまり怯えさせないで欲しいかな」
「どうしたの、じゃないでしょう……! あなた、自分が何をしたか分かっているの!?」
不躾な登場をしたこの女性の名は、リリィ・スゥ。
我らが使徒の一員、すなわち同胞である筈なのだが、彼女の表情はとても仲間に向けるようなものではなかった。
面倒なことに……厄介なことに、まったく予想通り面倒なことになったな、と、ロットンは思わずため息を吐く。
「何を? 何をと言われてもね。具体的な術式を聞きたいのかな? 専門的な話になるけれどよろしいかい」
「ふざけないで! 何よあれ、あんな無茶をローグにさせて、一体どういうつもりなの!?」
「ほーらやっぱり。ぼかぁローグに言ったとも、リリィお姉ちゃんが怒るってさ。だけど彼は望んだよ、望んだのさ、手術を。それが僕の手によりなされることをね。だから僕も臨んだんだ、繊細極まる故の麻酔無しでの手術に……」
「そんなこと聞いてない! あんな……あんなの! 人倫を外れてるわ、そうでしょ、違う!?」
……彼女は、まったく使徒らしくない女だった。
プロ意識が欠けている、と言った方が良いのかもしれない。その点、ニーニーナとは大違いだ。
ロットンはこう思う。
こんな一般人じみた感性の女性を態々地獄に引き込んだ我らが宗教団体は、まったくもって嘆かわしい集団だと。
きっとこの女は、己がこれまでやってきたことの実際を、詳細には聞かされていないのだろう。
彼女の能力はあまりに優しく、甘やかなものだ。
だからこそ、彼女が魔族や獣人らに与えた被害は甚大であり、ディアボロ含む北方勢力は彼女の存在を最大の危難の一つだと見なしているのに。
「今更俺に倫理を問うかね、お嬢さん。違法な術式も数えられんほどやって来た。この身が一体何人にメスを突っ込んだと思ってる。これは持論だが、卑しくも医師ってのはね、患者の人生を豊かにする為には手段を選びゃしないんだ」
ほら。
こうやってちょっと怖い顔をして見せれば、リリィは怖じた表情を見せる。どんな些細なことでも、彼女は争いが本質的に嫌いなのだ。
だけれど、弟分のローグを見捨てることも出来ないから、いつまでもこんな血生臭い仕事を続けているのだ。
だけれど、なおそれでも納得いかないと、こちらを気丈に睨んでくるその視線は心地よいものだ。
そんな彼女の芯の強さは、嫌いではなかった。
「……御託はいいわ。要するに、アレはローグが選んだことだって言うんでしょ。でも、私は許さないから。覚えておきなさいロットン。私をこれ以上怒らせたら承知しないわ。分かった?」
「はいはい、はい、はい」
こちらを鋭くにらんで、足音高くどすどすと、彼女は退室した。
「……ふう」
好き好んでこっちだってやった訳じゃないっていうのに。患者の傷や病だけじゃない。人生を治療できてこそ一人前なんだ。
だけれど。
「ローグの激しい気性は、最早彼自身が穏やかな人生に安んじることを許さない。敗北を受け入れて生きることが出来るほど、彼のプライドは生易しくはない」
呟いて、椅子に体をもたれかけさせる。
「治療されるのを望まない患者だっている。傷が消えることを望まない、傷が残ってこそ人生を充実させられる、そんな人間もいるんだよ……」
確かにローグに移植したモノは、彼の寿命を多少縮めるだろう。
だが、今まで彼がしてきた無茶が体に蓄積した分は、こっそり治療しておいた。
……ローグには術式の前に脅すようなことを言ったが、体への負担を考えれば、正直トントンといったところだ。
「だけどもね、死にたがりがいつまでも生きていけるほど世の中は甘くないんだよ、リリィ……」
自分は医者だ。
だからこそ、自らを大事にするものこそを愛する。
「好き好んで鉄火場に行きたがる人間が、寿命で死ねるほど長生き出来るわけがないだろうに。毎度毎度、見送る側になる辛さは、この仕事をしていないと分からないだろうなあ」
ため息を、もう一つ。
「なあ、そうだろう」
そう言って、ロットンはピエロ衣装の内側、胸元の中にある何かに向かって問いかける。
その声は、ひどく優しげで、寂しげだった。