海外のリアル情報は現地人が一番知っている
海外のリアルな情報がよくわからない時こそ、その土地の情報に詳しい現地人に聞くのが一番確実だ。サーメルはイラク情勢が危険だと分かっていたからこそ、香田さんのイラク行きバスの手配を拒否し、最後の最後まで香田さんを説得した。
しかし、香田さんは「どうしてもイラクに行きたい」と心が変わらず、サーメルは最終的にバスのチケットを手配。そして、香田さんがイラクに向かったことを日本大使館に連絡した。サーメルはバクダッドの宿にも電話をし、香田さんが泊まっていないかを確認したが……その後ニュースで彼が人質となったことを知る。
もし、自分がもっと強く彼を引き留めていたなら……最後までバスの手配を自分がしなければ、彼は今でも生きていたかもしれない。香田さんの肉親以外で彼の死を一番嘆いたのはサーメルだったのではないだろうか。
そして、サーメルの強い意志により「KODA HOTEL」をオープンさせることにし、日本人旅行者が彼の意志に賛同、日本人から一切お金を受け取らないサーメルに代わってクリフホテルに募金箱を設置した。
その後、サーメルは雇われではあるものの悲願の「KODA HOTEL」をオープンさせた。
私がサーメルと会ってからもう13年の月日が経つが、時々フッとサーメルは元気にしているかな?と思い出す。