【昭和野球列伝】隠し球の隠し場所は広島・木下の脇の下だった

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★曲者として活躍

 木下は14年間の現役生活で一度も規定打席に達しなかったが、昭和57(1982)年には2桁本塁打(10本)を記録。「年俸1000万円がレギュラーになった証し」と言われた時代に、年俸2000万円を超えていた。

 隠し球を、この阪神戦を含めて2度決めたほか、打って走って守るだけでなく、いわゆる「曲者」としても活躍した。二塁の守備位置から相手のダグアウトの動きをみてサインを見破り、自慢の口ひげの端を右手親指と人差し指でつまんで、ピンと一回はじけば『送りバント』、右手全体でひげを左右にごしごしさわれば『ヒットエンドラン』といった具合に捕手の達川光男へ伝達し、どんなカウントからでもウエストさせて一塁走者を二塁でアウトにしていた。

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