【昭和野球列伝】隠し球の隠し場所は広島・木下の脇の下だった

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そのまま、ボールをはさんだ左脇を締め、左手のグラブを広げて、右手も「パー」にして、両手をひらひらさせ、『ボール持ってませんよ』オーラを発しながら、二塁の守備位置へ戻っていった。

 今では、高校生でも使う隠し場所だが、当時はまだ珍しいやり方だった。だからみんなが、その演技にひっかかってしまったのだ。とはいえ、隠し球はひっかかる方が悪い。自身もボールから目を切ってしまっていた監督吉田も、それは痛感していた。

 「いろいろありますなあ。隠し球にやられてしもうたなあ」

 「8年ぶりの采配? こんなもんですわ」

 「池田がいいピッチングをしてくれていたのに」

 「クリーンアップが打てまへんでしたなあ」

 三塁側ダグアウトでトラ番に囲まれ、はんなりとした京都弁で、質問に淡々と答えていた監督吉田の体は、少しずつふるえ始めた。そして、我慢の限界に達した。

 「この悔しさを忘れたらあきまへん!! 1年間、絶対に忘れたらあきまへん!! ええ、私は忘れまへんで!!」

 かぶっていた帽子を脱ぎ、額をぬぐった吉田はそう叫びながら、バシッ!! バシッ!! バシン!! 帽子を3度、ベンチにたたきつけていた。 (敬称略)

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