【昭和野球列伝】隠し球の隠し場所は広島・木下の脇の下だった

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 阪神はなぜ、あの場面で誰も隠し球に気付かなかったのか? 当時はまだ珍しかったボールの隠し場所に、その秘密があった。

 真弓の投前バントのとき、一塁ベースカバーに入って送球を受けた木下は、投手・大野豊に歩み寄ると、握っていたボールを大野のグラブの中に上から押しつけるようにして手渡した。

 そこまでは、二塁に達していた北村も、三塁ベースコーチの一枝修平も、一塁ベースコーチの並木輝男も確認している。

 しかし、次の瞬間。

 北村は、「どのくらいの前進守備をしてくるのか、振り返って外野の守備位置を確認した」。

 一枝は、「次の弘田に自由に打たせるのか、1球目は待てにするのか、(前進守備の外野正面にヒットが飛んだとき)北村に本塁を狙わせるのか、三塁ストップか、確認しようと(ダグアウトの)監督の方を向いてしまった」。

 並木は、「木下の背中で、手元の動きまでは見えなかった。次打者の弘田に声をかけていた」。つまり、3人とも目を切ってしまったのだ。

 そしてこのとき、木下は、一塁側の並木の視線は自身の背中で、三塁側の一枝や阪神ナインの視線は向かい合って立っている大野の背中で遮りながら、ボールを素早く抜き取り、隠した。場所は、グラブの中ではなく左の脇の下だった。

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