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ジツが使えないことは対魔忍として最下層に位置することであった。
だが、今は違う!
「イヤーッ!!」
「イヤーッ!!」
これは絹を裂く女性の悲鳴であろうか? 否、ニンジャ聴力をお持ちの読者諸君であるなら分かるだろう。
カラテ・シャウトだ!!
一人の少年と赤黒いニンジャ装束を纏ったニンジャが広い板張りの体育館でぶつかり合っていた。
少年は膝裏を狩るカーフキックを放ち、一方でニンジャは脛で受け止めて逆に足刀を破壊しに掛かったが、いなされると判断した瞬間に蹴り足は減速! ダメージを最小限に抑え、小さな振りかぶりでのローキックが引き戻される。
「イヤーッ!!」
「イヤーッ!!」
そして、ケリをいなした対手がワンインチ距離に詰めて肘鉄をねじ込めば、首を竦めて頬の高さで拳を掲げていた少年は同じく肘で迎撃! 人体の最も硬質な、それこそ長じれば殴打するのではなく〝斬る〟ことが能う部分同士がぶつかって得も言えぬ轟音を立てる。
「イヤーッ!!」
そして、少年は勢いを受け止め兼ねて蹈鞴を踏んだ……と思いきや、勢いを逆用して半歩下がることによって空いた間合いに頭部狙いのハイキックを見舞う! 足首、膝、腰、上体の捻転が完璧に伝導し、素足の足裏が地面をしっかりと踏みしめた一撃は熊の首であろうがねじ切るだけの勢いを秘めている!!
「イヤーッ!!」
しかし、受け手も然る者。僅かに身を屈めて腕を盾に蹴撃を受け止めるのではなく、虚空に流す!
「イヤーッ!!」
そこで普通ならば大振り故の隙ができるのだが、少年は蹴り足を振り切る勢いを使い、なんと空中に跳躍! そのまま身を捩って後ろ回し蹴り、アルマーダ・マテーロと呼ばれるカポエイラのカラテを披露した!
「イヤーッ!!」
隙のない二段構えの攻撃に本来ならワンアクション遅れそうなものであるが……このニンジャは違う! 紅梅色のセンコめいた瞳がぼぅっと光り、残光を残して高速移動! 受け流しの姿勢から僅かに肘を上げ、蹴りを肘鉄で迎撃したのだ!
「グワーッ!?」
しかも、ただの肘鉄ではない。上体を捻った上、額に添えた拳に頭突きをして押し出すような形で全身の力を伝達するような肘打ちだ! 脛に突き立った一撃は勢いを殺すのみならず、蹴撃を跳ね返して少年を大地に転がした。
「グワーッ!! 骨がーっ!!」
「安心しろ、折ってはおらぬ」
ペイン・オブ・ベンケイと呼ばれるまでに脛は痛みに敏感であり、ここばかりは蹴りを放つため鍛えに鍛えても限界がある。痛みに耐えるため、敢えてここを何度も竹刀で打っ叩くシュギョーを積んだ少年であっても、流石に耐えかねたのか足を押さえて激しく地面を転がった。
「イッポン! そこまで! センセイの勝ち!!」
これを継戦不能状態と見て取ったのであろう。観衆の中でも一歩前に出ていた少女が手を挙げた。
健康的な褐色肌と愛らしいツインテールがよく似合う彼女の名は、水城・ゆきかぜ。そのバストは〝高等部一年生〟になったとは思えぬほど平坦であった。
「グワー……まだ痛い……ちょっと立てない……」
「しっかりしろ、タツロウ=サン。イクサで敵は痛みに悶えているからと油断してくれぬぞ。むしろ、好機とばかりにオイ・ウチが飛んでくるものだ」
一方で地面で悶えている少年は秋山・達郎といった。
そう、ご存じであろう。あの〝斬鬼の対魔忍〟や〝必中の鉄砲玉〟などとソンケイと畏怖を持って呼ばれる、五車随一のテッポダマ、秋山・凛子の弟であった。
「もう、情けないわねタツロウ=サン! 折角途中まで良い感じだったのに!」
「うう、ユキカゼ=サン、だってこれマジで痛い……骨折れてない……?」
「センセイがその辺のコントロールを失敗する訳ないじゃない! 立った立った!!」
「グワーッ!? つつかないでくれー!!」
激痛に悶える達郎の足をつま先で突っつき立つように急かすゆきかぜは、気心知れた関係であることが一目で分かるように幼馴染み同士であった。
いや、むしろ少しヘタレたところがある彼を弟のように見ている節がある。
そんな彼は中等部入学と同時、ジツに開眼していないことを悩み、それをゆきかぜに相談したところ藤木戸に弟子入りさせられた。
曰く、私のセンセイはカラテだけで上忍になったんだから、ジツが使えないくらいで腐ってんじゃないわよ、とのこと。
このような縁もあって中等部の三年間をドップリとカラテに漬けられた今、達郎は立派な徒手格闘ニンジャとなっていたのだ!
師は彼の下半身が持つ強靭な粘りに着目し、自らが得手とするジュージュツの構えではなく、徹底的に足技を仕込んでいる。
手は足の三倍器用であり、足は手の三倍の破壊力を持つという。ならば、足を手と並んで器用に使えるようにすれば良い! という実に脳内筋肉率が高い回答によって、彼はカポエイラ・カラテの技法を骨身に叩き込まれており、そのワザマエはジツを使える同期を速度と蹴撃の威力で訳もなく下せる領域にあった!
今の彼にジツが使えぬという負い目はない! カラテを鍛えた戦闘ニンジャとしての誇りがあるばかりだ!
「さて、今のインストラクションで近接格闘のみでも、ここまで殺意を高められることを皆分かったと思う」
途中、色つきの風めいて動く二人を、この春に高等部に上がった一年生達の何割かは視認することができていなかった。
純粋な体術、そして体内での対魔粒子操作のみでここまでやれるのだという演舞も兼ねて、カラテ・インストラクションを行った男の名は……藤木戸・健二!
マゾクスレイヤーと名乗り、魔と魔に与して悪徳に溺れる者に対する殺戮者であり、未だ〝徒手格闘最強〟の名を欲しいがままにしているカラテ・メンターは、三年間の勤務によって今の所、五車の正式な体育主任となっていた。
「ノーカラテ・ノーニンジャ。どれだけ強力なジツを持とうが、アンブッシュからの不意討ちで首を狩られては何の意味もない。土俵を前にイヌジニの典型例にならぬよう、俺はオヌシ等に最低限のカラテを仕込むようここに立っている」
しかし、あまりの苛烈な鍛錬に〝頼むからもうちょっと真面なのを用意してくれ!〟と生徒から嘆願が上がるのが毎年の恒例行事と化していたが、それをアサギが呑んだことはないという。
訓練で死ぬ思いをすればするほど、実戦ではジッサイに死ぬ状況から遠ざかる。骨が折れない程度の――それでも生きているのが嫌になるくらい痛いが――苦痛と辛苦に頭まで浸かってこそ、戦地から生還できる一流の対魔忍になれると皆が信ずるが故、彼は抗議を受けようが、揺るがずにこの地位に立っていた。
「俺はお前達が憎いのではない。同胞として愛している。故にみっちり仕込む。嫌になろうが泣き喚こうがカラテする。何処までもカラテを叩き込む。戦地でブザマを晒す前に、ここで何度でも叩きのめして生きて帰ってこれるニンジャにするために」
しかし、新一年生たちのざわめきは止まない。
空手? 明らかにカポエイラじゃなかったか? だとか、古式空手とは肘の使い方が違わないか? だとか色々言われているが、藤木戸にとってニンジャが行う徒手格闘は全てカラテなのだ。
オカシイと思いませんか? あなた? という幻聴がある者達には聞こえただろうが、ニンジャ=カラテであることは変わらない。
「と、言うことで演舞だけで終わってはいかんので、その身にカラテを叩き込む。そうさな、先ずは全員……」
藤木戸は雑音を全て無視して決断的にジュージュツの構えを取ると、挑発するように突き出した左手で手招きした。
「掛かって来い。ジツでも何でも好きに使え。一撃〝徹せれば〟今期の評価は、全て欠席しても優にしてやる」
このアオリ・ジツは能く効いた。
体育館に詰めている人数は総計四九人。学年の中で体育の――つまり徒手格闘講座――受講が免除されている一部の特殊な人員を除いた一年生全体の数であり、腕に覚えのある者も少なくない。
そして、対魔忍は大なり小なり自らのワザマエに自負を持っている。プライドが肥大化し易く、尊大な自己を自らの裡に醸造しがちな時期である中等部から上がったばかりの学年ならば尚更だ。
「センセーイ! それって私も入ってますか!」
「勿論だ、ユキカゼ=サン。遠慮せず来い。俺はそう簡単に越えられる壁ではないぞ」
言われ、ゆきかぜは舌舐めずりしたのち、ジューウェアの帯に突っ込んでいたライトニングシューターを抜き放った。
そのピストルカラテのワザマエ、デン・ジツの威力から高等部上がりたてにしてグレーター級ニンジャを越え、アーチ級ニンジャに匹敵する戦闘力を持つと目される彼女は、油断なくピストルカラテの基本形を取ると笑った。
「混戦の中でも油断しないでくださいね。私のピストルカラテは何処からでも狙っていますよ」
「御託は良い、さっさと来い」
安い挑発だと分かっているが、全員が乗らずにはいられなかった。流石に足が痛いのでつき合っていられるかと見学を決めた達郎を除き、藤木戸にジツで、カタナで、スリケンで殺到する生徒達。
「ドーモ、ヒヨッコ共、藤木戸・健二です」
しかし、悠々とアイサツを行ってから、それらを迎撃していく藤木戸。
結局この日、体育を全て欠席しても〝優〟を貰えるだけの生徒は現れなかった…………。
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特に汗を掻いた訳でもないが講座の後などでシャワーを浴びた藤木戸は、唐突に主任室へと呼び出されていた。
何事かと体育教師らしくジャージ姿で訪れた彼は――流石にジューウェアで出歩かないだけの常識はあったらしい――書類を片手に難しい顔をしているアサギに礼儀正しくアイサツした。
「ドーモ、アサギ=サン。藤木戸・健二です」
「ああ、来てくれたのね藤木戸くん。ありがとう」
彼女は手を合わせ七五度の立礼をする藤木戸に早く来るよう促すと、幾枚かの書類を見やすいよう彼の方に向けて放り出した。
「……これは!」
そこに映っているのは、最大望遠で撮られたこともあって解像度が荒い一組の男女。恐らく場所からしてヨミハラであろう光景は、地上に直結しているノマド幹部や一部の富裕層しか使えない直通エレベーター付近で撮られた物だ。
それ自体は問題ないが、映っている人物が藤木戸のニューロンを刺激した。画像補正を掛けてもガビガビとした輪郭をしていようと、見間違うはずがない。
「シラヌイ=サン!!」
そう、写真の人物、小汚い中年男性としかいいようのない仕立てだけは良いスーツが、嫌らしさを助長する人物に撓垂れかかって腕を組んでいる彼女を忘れるほど彼は薄情ではない。
数年前にMIAとなり、未だ未帰還の水城家前頭首、水城・不知火その人ではないか。
昨年、彼女の夫にして水城家当主代理が激しい闘争によって殿を務め、大魔族数名を道連れとして散華していたのだが、よもやその後に彼女が生きている形跡が見つかるなど。
「これは……クローンでは?」
「まさか。アレは徹底的に叩き潰したでしょう。私と、貴方で」
「だが、米連も中連も諦めが悪い。ぞろ人造マゾク計画などを練る奴儕だ」
「だとしても、発見した斥候班は極めて当人の可能性が高い、との所見を添えているわ」
根拠は? と問われ、アサギは〝水分身〟に襲われて、斥候班の二名が四肢を失う負傷を負ったと答えた。
不知火は極めて高度なスイ・トン・ジツの使い手であり、自らと遜色のないブンシン・ジツを扱うことができる。見た目だけで本人と識別することは困難であり、それらと自分の位置を幻の如く入れ替えて戦う戦闘スタイルから付いた〝幻影の対魔忍〟という二つ名は伊達や酔狂ではないのだ。
水に纏わるジツを用いる者は多いが、ここまで高度に自己複製ができるのは彼女だけだ。劣化したジツしか使えないクローンでは有り得ない精度だったと、大傷を負って帰還した者達は口を揃えて言ったという。
「これは至急動く必要があるだろうな」
「無論よ。ただ、一つ悩んでいることがあるの」
「……それは?」
「実の娘であるゆきかぜに知らせるかどうかをね」
「ヌゥー」
難しい問題であった。斥候班に攻撃を加えたと言うことは、センノウか調教か、何かしらの抗いがたい改造を施されて敵側についたと言うことだろう。
それを対魔忍であることに誇りを持ち、今も母のようになるのだと常のように言っているゆきかぜに伝えるかは些か悩ましい。
テッポダマのように跳び出されても困るし、さりとて血の繋がった家族に〝一応は生きていた〟という朗報……と呼んで良いかは微妙だが、情報を渡さぬのも不義理な気もする。
二人は暫し悩んだが、どのみち生きていることを確認したのであれば、奪還せぬ訳にも行かぬ。
報せ、任務に組み込むかどうかはダンゴウによって決定することとなった…………。
オハヨ!!