叫ぶ統合失調症の姉を両親は閉じ込めた 弟がカメラで記録した23年

平岡春人

 女性の叫び声が響く。

 「どうしてあんたそんなにひどいの! やだこんな人! なんであんなにひどいの! なんで私にばかり恥をかかすの!」

 真っ黒な画面には、その言葉の字幕が浮き上がるだけ。やがて画面に映像が現れ、家族の23年間がドキュメンタリーとして映し出されていく。カメラを構えたのは、統合失調症とのちに診断される女性の、弟だ。

 突如叫びだすなどの特異な症状が姉に表れたのに、両親は病院に行かせない。弟は、そんな家族にカメラを向け、撮りためた映像を映画にした。

 各地の映画祭で上映され、大きな話題となったそれは、衝撃的な内容だった。統合失調症の人には会ったこともあるし、家に閉じ込められた人のうわさも時々聞く。けれど、家の中で症状が悪化している様子を見たのは、初めてだった。精神科医の星野概念さんが「精神的な危機状態が続く人とその家族の20年以上にわたる映像は、他に例がないのではないか。極めて稀有(けう)な記録だ」と語るほどの101分――。

 12月7日に東京や大阪などで公開されるタイトルは「どうすればよかったか?」。弟の率直な逡巡(しゅんじゅん)の思い、そして観客に問いかけたい思いを込めたという。

 監督となった弟の名前は藤野知明さん。札幌で生まれ育ち、医師で研究者の両親と8歳上の姉と暮らしていた。16歳だった1983年、医学部に通っていた姉が家の中で支離滅裂なことを叫びだし、救急車で運ばれたのが始まりだった。

「姉が精神障害なら、お前もか」

 なぜか両親は姉をすぐに病院から連れ戻し、藤野さんには「病気のように振る舞っているだけだ」と伝えた。しかし姉の症状は治まらなかった。

 藤野さんは大学に入学後、教員に相談すると「姉が精神障害なら、お前もか」と言われ、デートをして仲良くなった女性に姉のことを打ち明けたら連絡が途絶えた。

 「普通の幸せが手に入らないなら、好きな映画の仕事をやろう」。就職した会社を2年で辞め、日本映画学校(現・日本映画大学)に入った。

 卒業して職を転々とし、2001年から、帰省するたびにカメラで家族を撮影するようになった。最初は朗らかな場面をホームビデオ風に。母に「何で撮っているの」と尋ねられても、はぐらかした。

 やがて姉の様子を撮影していった。「母にはすぐ本心がばれた。『撮らないで』と言われ、何度もカメラを下げた」。それでも藤野さんは撮るのをやめなかった。姉に治療を受けさせるために、精神科医に見せる証拠が欲しかった。両親はいつか、姉の病気をなかったことにするのではないか、という疑心もあった。とにかく記録しなければと思った、という。

玄関に南京錠、べとべとになる髪

 母が、姉が家を脱走したと語る。両親が家の玄関に南京錠をかけ、鎖をまきつける。姉の髪がべとべとになっていく。姉を病院に行かせないことについて藤野さんと母が口論する。姉が来客に大声でわめき続ける――。どれも、撮影していった。

 母の認知症が悪化したのを機に藤野さんは父を説得。08年に姉は精神科に3カ月間、入院することになった。入院翌日には統合失調症の診断が下った。症状は劇的に改善し、姉は料理をしたり、カメラの前でおどけたり、会話を楽しんだりするようになった。

 藤野さんは退院後の姉を見て初めて、撮りためた映像をドキュメンタリー映画にすることを発想したという。「両親を説得するのに25年もかかった。タイトルの意味は、自問でもあり、両親への問いでもあり、観客に考えてほしいことでもある」

 1950年まで、精神障害のある人を個人宅で監禁する「私宅監置」が認められていた。現在も統合失調症の疑いのある家族を家に監禁し、餓死などさせる事件が起きている。「監禁が当事者の精神に良くない影響をもたらすと伝えたい」。そんな思いが膨らんできた。

 姉はすでに他界。残った父の許可を得て、上映に踏み切った。

医師である両親がなぜ

 藤野さんの両親は、精神科医ではないが医師だ。なぜ医療に従事する立場にありながら姉を病院に行かせなかったのか。

 姉の症状が表れた83年は、統合失調症が「精神分裂病」と呼ばれていた。同年には宇都宮市の精神科病院で看護職員が患者をリンチ死させる事件が起きていた。

 社会の目を恐れたのか、医者ゆえに当時の精神科を信用しなかったのか。映画の終盤、藤野さんは、父に理由を尋ねることで自分なりの「答え」を見いだそうとする。

 精神科医の星野さんは「家族の風景をリアルに切り取った作品でもある」と今作を評している。一人ひとりが姉の状態について別々の考えを持ち、何度も家族同士で衝突するからだ。

 「家族は一つの塊のようで他者の集まりでもあるが、特別な関係ゆえそれが忘れられがちだ。多くは気遣ったり争ったりしてなんとか過ごすが、藤野さんの家族はそれが困難な状況にあった。藤野さんは、家族に自らの声が届かないから、カメラを向けながら家族と居続けたのだろう」

 その藤野さんはこれまでアイヌ民族に関するドキュメンタリーも手がけてきた。現在、障害者運動の第一人者、安積(あさか)遊歩さんの活動を追うドキュメンタリーの制作にも関わっている。

 「人に社会問題を伝えたい思いは今も変わりません」。今後もカメラを構え続けるつもりだという。

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この記事を書いた人
平岡春人
文化部|映画担当
専門・関心分野
映画、音楽、人権
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    本田由紀
    (東京大学大学院教育学研究科教授)
    2024年12月2日12時0分 投稿
    【視点】

    日本社会における、精神疾患への差別の問題、家族という関係的にも空間的にも閉じられがちな小集団の問題、医師という「エリート」(地方では特に)が抱える問題などが凝縮された作品と想像される。23年間に及ぶ家族自身の記録は、きわめて重い。 12月7日の公開後はぜひ観に行こうと思う。 公式サイト: https://dosureba.com/

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  • commentatorHeader
    小林恭子
    (在英ジャーナリスト)
    2024年12月3日17時7分 投稿
    【視点】

    記事を読んで、とても素晴らしい作品であることが伝わってきました。 在英ですが、私もぜひ見てみたいです。 日本にいる家族の一人が精神手帳を持っています。「高次脳機能障がい」という診断です。 この障がいは人によってそのあらわれ方がさまざまですが、多くの場合、見た目は障がいがない方と変わりません。話しても、特に変わったところはないと思います。 でも、一緒に暮らしている家族だとよくわかります。 それを外の人に説明するのがとても難しいです。不可能と言ってもよいかもしれません。どれほど「こうなんですよ、こういうことを言ったら、こういう意味なんですよ」といっても、通じたことはありません。 障がいを持つ当人が「昨日、こんなことがあって、私はこんな体験をしたんですよ、xxに行ったんですよ」と言ったら、これを頭ごなしに否定しなくても、「本当かな?」と思って聞いてほしいのですが、どれほど説明しても、わかってもらったことがありません。本人はうそをつくつもりがなくて、「本当に起こったこと」と思っているので、そのように話してしまうのです。「それって、昨日だったかしら?」と聞き返してみたり、「その体験は別の時じゃなかったっけ?」と言葉を補足したりすると、「ああ、そうだったね」、あるいは「あれ?そうだったかな。覚えてないけどね」で笑って話が進みます。 就職のときも大変で、面接でもまともに面接官の質問に答えることができないので、「不真面目な人間だ」と思われてしまうことがあります。一度、一緒に行ったことがあるのですが、終始ムスッとして、「何を達成したいか」という書類には「ゆっくり休みたい」と書いていました・・・。 この映画によって、特定の家族の物語を知るとともに、精神病を持つ人の社会の仕組みや障がいを持つということ、その家族はどうしているのかなどがわかってくるように思います。貴重な作品になりそうですね。

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