映画『つぶやき市長と議会のオキテ』評
映画『つぶやき市長と議会のオキテ』は、広島県安芸高田市の元市長石丸伸二氏と、議会との軋轢を描いたドキュメンタリーで、就任当初からその様子を映像に収めてきた広島ホームテレビの制作だ。2024年5月に劇場公開されている。
私はXとYouTubeで石丸伸二氏を批判する動画を作成しているため、背景をよく知っており、集中して見たので2時間があっという間だった。
犯罪的行為が目の前で行われていると思った。恫喝の濡れ衣を着せられた山根議員から名誉棄損で訴えられたら負けるのではないだろうか。そう思った。
石丸市長の「まとも」に見える部分だけが選んでつながれており、議会との対立の根本原因すなわち市長の異常な部分がすべて隠されているのだ。 たとえば「あとはもう知らないですよ」「私の責任じゃありません」「私はその頃どこか遠くに行ってると思います」等の無責任発言で有名な財政説明会の場面が出てくる。しかし映画ではこれらの発言は採用されず「根本的に足りないのは危機感です。これまでなんとかなっていたからこれから先もなんとかなるんじゃないかな、根拠のない期待を持ってはダメなんです。皆さん覚悟はできてますか。私はとうの昔にできてますよ。そのために帰ってきたんです」というもっともらしい台詞だけが採用されている。
もう一つ例を挙げると、宍戸議長が4者会議への参加を拒否する場面が出てくる。「出てください」と言う市長と「国語力がないと言われたから出られません」と言う宍戸議長。テレビ版でもひときわ印象に残る刺激的な場面だ。これだけ見ればどっちもどっちに見える。しかし実態は、宍戸議長が書いた文書に対して、市長が以下のような難癖をつけたことが背景にある。
「ハンドルとアクセルが付いているのでウインカーはいらないです」とここに書いてあるようなものです。日本語としてロジックとしておかしいです。成り立っていません。三つ目、「客観的」にという言葉、もう一回辞書で引いてください。どこをどのように客観的なのか、到底理解できません。なので、正しい日本語を使って文書を作成していただくように重ねてお願いしますし、従って来月改めて同様の申し入れをさせて頂きます。今度はきちんとした回答をお願いします。そして、以後この場には国語が理解できる方にお越しいただくようお願いします。正副議長に限らないどなたでも結構です。事務局長だけでもいいです。それが通じないとそもそも話ができないです。市長はここで国語の授業をする仕事ではない。ですので、これがきちんと理解できる方のみお越しください」(以上『議会だより』第72号より)。
こんなことを言われて謝罪されることもなしに参加できる人がいるだろうか。しかもこの市長の難癖はまったく正しくなく(数々の市長の動画を見た方ならご理解いただけることと思うが、市長のこうした発言に妥当だったものはほとんどない)、国語力ができないのは明確に市長の方なのである。ところが映画では、上の市長の発言の文書の一部こそ大きく映し出されるものの、もっとも酷い部分は映し出されない。だからどっちもどっちにしか見えない。 すべてがこの調子で、市長の異常さが徹底的に隠されている。それはとりもなおさず当の広島ホームテレビが石丸氏の異常な部分を判断できているということでもある。
当然、予備知識なく映画を見た人には、対立の理由がまったくわからないので、老害議員たちが意味もなく感情的に反発しているように見え、そこが問題であるかのように見えてしまう。なにしろ映画の前半は市長の視点で描かれているのだから(後半は若手議員二人の視点)。
最大の問題が、恫喝を疑われた山根議員に関する描写である。事件発生当初は恫喝があったともなかったとも証拠がなかったことと、恐らくは市長に好印象を持っていたためと、そもそも市長が虚偽をでっち上げるとは夢にも思わなかったためだろう、山根議員が恫喝したという偏見に基づいて描かれている。 それは山根議員の発言の切り取り方でわかる。山根議員が釈明を求められた場で、問題の会議で自分が実際に語った内容(もちろん恫喝発言は含まれていない)を説明しているのだが、その場面は使われず「アドバイス、こういう状況もありますよという思いでお伝えしたところでございます。言葉足らず。誤解を生んだようなことがあったように今のお話で感じます」だけが使われている。これだけ見れば、まるで山根議員が恫喝発言自体を認めているように見える。これは当時の放送でも使われた。 しかしその半年後、密かに録音されていた音声が見つかり、山根議員が広島県庁で会見を開いてその音源と反訳文を公開した。約30分の会議のうちの24分14秒の音声である。市長が山根議員に言われたと主張している「敵に回すと政策に反対するよ」という台詞はない。それどころが市長の方が好戦的な政治信条を語っていたのである。 映画ではこの会見の場面も出てくるが、恫喝の真偽について掘り下げず、山根議員が必死に潔白を訴えている事実だけが映し出される。 試写を見たある映画ライターが「恫喝なんかしてません という女性市議の圧、ヤバいわ」と揶揄したのも当然である。そのように描かれているからだ。 もしも恫喝が真実でないとすれば、市長は就任の翌月すでに虚偽の主張によって議員を貶めようとしたことになり、政治家としての根本を問われる大問題のはずだが、映画ではそれを掘り下げない。実にあっさりしているのだ。
エンドロールでは、昨年12月に裁判で山根議員が勝訴したことがテロップで示されるが、その最後の行は「双方が控訴中である」となっており、真相がわからない印象になっている。
しかし、最初の頃はともかく、3年半も市長を追いかけた監督の岡森氏なら、映画作成時点では、恫喝が市長の虚偽だとわかっていたはずだ。敗訴判決が出た日のインタビューで、市長は相変わらずの辻褄の合わない理屈で判決を批判し、市に責任を被せたことを「面白い」と語る異常性も広島ホームテレビは撮影しているのだから。
この映画で、市長の異常さが描かれた場面が一ヵ所だけ出てくる。会見で、中国新聞の記者が質問をすると市長が「気が済みましたか?」と言って無視する極めて異常な場面だ。そして、映画はその場面に続けて別の記者会見の場面が映し出される。岡森氏が市長に対して「メディアや議会との対話が断絶している現状をどう思うのか」を聞くと、市長が「対話から逃げる卑怯者がいるからです」と答えるのだ。少なくともこの場面では岡森氏は市長の異常性に気がついている。だからこそこう質問したのだし(その後にも同旨の質問をしている)、映画制作時には、市長の言っていることが欺瞞だと分かるように、何百時間もある素材の中からあえてこの二つの場面を選んで対比させているのである。
それがわかっていながら、なぜ全体としてこのような映画になったのか不思議で仕方がない。
なお、上記のような実態を知るが故に、この映画の上映や配信の中止を訴える人がいるだろう。私はそれに賛成しない。うまく言えないが、そうした強制力によって封じるのは何かが違う、性分に合わない。議員当人がそれを求めることは当然だと思うが、私は議員には悪いが、この映画をより多くの人に見てもらい、どこがどのように欺瞞なのか、恣意的編集の恐ろしさを知らしめるとともに、このような映画を公開までしてしまった広島ホームテレビに、正しい評価を与えるべきだと考える。
その評価を覆す方法はある。安芸高田市で起こった3年半の真実を再度描き直すのだ。素材はたっぷり持っているはずだ。
僭越ながらnoteに改案のシナリオを発表してあるのでご参考願いたい。


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