博士課程に進学せず高校教員を選んだ 論文博士を取得するまでの話
結果として博士号を取得したとはいえ、実際に大学院に通っていた時、私がどのように考えていたか、振り返ることも大切だと考え、博士課程に進まなかった理由について回顧してみます。
修士課程にいたあの頃は、博士課程進学を簡単に諦めていたように思います。
私が通っていた大学院での博士課程進学のための要件である資格試験はクリアしていたし、大した結果ではなけれどオリジナルの結果を修士論文にまとめていました。
しかし兎にも角にも自分に自信がありませんでした。数学で結果を残すのは雲を掴むような感覚に似ていて、できたという実感というか確証のようなものがない限り前に進んではいけない、そんな気持ちを抱いていました。
外的要因としても、私が学生の頃は就職氷河期であったため、就職できなかったらどうしようという焦りや、アカデミックポストがなかなか空かないという現実、経済的な基盤が塾講師のアルバイトと育英会の奨学金のみであり脆弱であったことは博士課程進学を諦める言い訳には十分でした。
とにかく私は割と簡単に博士課程進学を諦めてしまっていました。
結果として博士号が取得できたと考えると、進学断念を後悔しているわけではありませんが、
簡単にあきらめる必要性があったのか
諦めなかったことで別の人生があったのかなぁ
と今更ながら思うこともあります。
人生どこかで何かを諦める時があるかもしれません。
でも高校の時の担任は、
努力は必ずどこかで誰かが見てくれているんだ
と何度も言ってくれていました。
高校の頃の私は本当だろうかと思っていましたが、あながち嘘ではなかったようです。
別の記事でも書いた通り、教育現場で10年ぐらい頑張っていたら、期せずして師匠から声をかけていただいたのはこの言葉の正しさを証明しているような気がしてなりません。
一度諦めた博士号取得もチャンスが巡ってくるということが実際私には起こったわけですから、諦めても諦めきらないことって大事なのではないでしょうか。
またあの時に博士課程進学を諦めたからこそ、今の高校教員という職に就き充実した日々を過ごせているのも確かです。
「諦めること=悪いこと」とは限らないのではないでしょうか。
「諦めること=新しい道への第一歩」と考えるのもありなんだと振り返って思います。
いくら推敲しても駄文しか書けないなって自分の作文力のなさを感じています。
文章って何回も書いているうちに上手になるんでしょうかね。



コメント
2「諦めても諦めきらないこと」こういう考え方もあるだなと思いました。私は、やってみたい事はやってみたいという気持ちが勝ってしまい、「諦められない、譲れない」と考えます。自分が納得できるまでやり続けてしまいます。変わりに自分にとって「どーでもいい事」はどーでもいいって感じです。
問題はそれを他人に押し付けないことです。人の上に立つ者として最低限のモラルは学問より先にあります。