父の背中を追いかけて
5/15はパパの53歳の誕生日。
記念すべき初記事は、私の「夢野」という名前をつけてくれた父のことについて記すことにしました。
普段はあんまり思い出さないけど、この日ばかりはたまには思い出してあげようかな。
なんて気持ちでこの文章を書いています。
そんなこともあったな
実は私のお父さんは私が高校3年生の夏休みに事故で亡くなりました。
当時9歳の弟も一緒に。
夜釣りに行った時の水難事故でした。
地元の川で、2人で夜釣りをしていた時に落ちちゃったみたい。
なんで落ちちゃったのとか、どっちが先に、とかももう迷宮入りで
本当に無念で、今でもこれ全部夢か〜?と思ったり、思わなかったり。
もう誰にこの事実を伝えたかも覚えていないし
お父さんの話が出た時に生きている体で話すのにもそろそろ飽きたので
いっそのこともうみんなに言っちゃいたいな〜と思っていたのもあり、この記事を書くことにしました。
このことがあったから気づけた部分も強くなれた部分もある。
この経験があったから
いつ私がこの世界から去る日が来るか分からないし
だからこそ、やりたいことは「今」やらなきゃ。そう思えるようになった。
もしこの経験がなかったら
色んな人に褒めてもらえる「行動力があってすごい」という長所も
もう少し控えめだったかもだし
誰かの悩みに寄り添えたらなって心理学科に入っていないし
きっと浪人もしていないし
休学してジョージアに!なんて選択に出会えていないと思います。
全てのことが今の自分に通じているのだ!
人よりちょっと大切な人とのさよならが早かっただけ。
誕生日や命日はちょっとセンチメンタルになるけど
元気に楽しく生きてるから心配しないでねっ
私のパパは消防士
小学生の時はお父さんの職業の話になる度に
すごく誇らしい気持ちになりました。
「人の命を助ける」「誰かの役に立つ」という父の姿に憧れてか
小さい頃の私の夢は警察官だったな。
警察密着24時と名探偵コナンが好きだったのと
消防士は身長が足りなかったことが理由だった気がします。
大人になるにつれてやりたいことや大事にしたい価値観も変わり
日本の公務員は髪色とかピアスはNGっていうお堅さから興味が削がれていったけど
ずっとパパの職業は私の誇りでした。
左から2番目。当時26歳の父。
パパについて
パパは超絶寡黙で、私の20分の1くらいしかしゃべらないけど
なぜか英語と中国語がしゃべれて(聞いたことないけど)、絵が超絶上手くて
なんにもない河原でキャンプをさせてくれたり
静岡の川で鰻をモリで突いてさばけたり、サバイバル能力がずば抜けてて
ロッククライミングとか、カヌーカヤックとか
アスレチックを子供達のために自分で公園に作れちゃったりとか
今考えると全然普通のお父さんではなかったんだよなと。
うなぎが大好きな父。大学が探検部で多種多様なサバイバル経験を積んだらしい。
パパも休学してたって
おばあちゃんに聞いた話なのでうろ覚えなのですが
当時にしては珍しくパパも大学時代に休学してたらしい。
しかも、理由はアメリカ一人旅に行くため。
え〜?俗に言うヒッピーってやつ?!最高じゃ〜〜〜〜ん!
亡くなってから聞いた海外とパパの接点が意外とあって
今の私の姿をパパが見たら
顔には出さないだろうけど喜んでくれるに違いないなあ。
なんて、目頭が熱くなるよね。
私は17歳の時にパパとお別れして
20歳で初めて海外に行ったので
パパがアメリカに行った話もなんで休学したかの話も
おじいちゃんの退職金でママと行ったらしい世界旅行の話も
なんにも聞けてないんだよなあ。
そんな面白い生き方してたのなんて
普段の寡黙仏頂面1200%からは想像もつかなかったな〜
仏頂面1200%の父と、武器を手にしてご満悦な私。キャンプにて。
ジョージアに来て色んな生き方をしてる人と出会って
たくさん私の考えも話してきたけど
これを、パパにも聞いて欲しかったなって、今、とても強く思います。
やりたいことを見つけようともがき続ける私をきっと誇りに思ってくれるよね〜
最高のママとパパ
ママも最高だよって話。
この間アルメニアの母の日に
日本のママにいつもありがとうのメッセージをしたら
「どこでも生きていける明るく前向きなよい子に育ってくれてありがとう」
って言ってくれて泣いちゃったんだ。
この人間性を育んでくれたのも
自分のことを好きでいるまま大人になれたのも
間違いなく両親のおかげなんだよな。
私みたいにベラベラしゃべり続ける陽気で太陽みたいなママと
超寡黙なのにハイスペックでいつも後ろで冷静に見守ってくれた月みたいなパパ
そんな対極の2人の間に爆誕した私。
間違いなく宇宙一の幸せ者だな〜と(諸説あり)
見つめ合うと素直におしゃべりできない2人。幼稚園での4歳の誕生日会にて。
高橋家女三人衆
妹も最高だよって話。
残された私たちは、あのことがあってから前より随分仲良くなれた気がします
妹と私は子供の頃はとんでもなく仲が悪くて大変でした
そんな妹は今立教大学の3年生なのですが、なんとノマドニア参加を考えているそうな。
いいねえ。親子3人で休学生か〜、血は争えないってこういうことだね〜
私も妹も、人と同じ道を選択することに魅力を感じれない天邪鬼なので
ジョージアではなくメキシコを選択したいそうなのですが
姉はまじでジョージアに来てほしい(笑)
結局は貴方が選択した未来を私は応援するけどね!
なぜならパパとママがそう育ててくれたから。
私の人生は私が決める。他人の人生もそれは同じ。
色々言いたいことはあっても、グッと飲みこんで育ててきてくれた
心配だけど、夢ちゃんなら大丈夫だよねって
そのスタンスのおかげで23歳になった今ものびのびと世界を楽しめております
この生き方に、あとはお金がついてきてくれれば言うことなしです♡
少し脱線してしまいましたが、人生を悩んでいる妹へ私が姉として贈れる言葉は
「とりあえずやりたいこと全部やってみな!」ってこと
姉妹で父に負けず劣らずのクレイジーな生き方をしていこうや〜!
どんな選択をしても、はなちゃんなら大丈夫だよ
はなちゃんもママも、いつも私という存在そのものを応援してくれてありがとう!
2023年一次帰国してででも出席したかった妹の成人式。愛犬も。
パパへの言葉
感謝していること
愛情いっぱいに色んな経験をさせてくれたこと
色んなチャレンジも全部自分で決めて自分でやってみろー!ってやらせてくれたこと
色んな人生の選択肢を増やしてくれてたこと
夢野っていう素敵な名前をつけてくれたこと
寡黙な分背中で語ってくれたこと
きっと私は知らぬ間にずっと貴方の背中を追いかけてきて今ここにいるんでしょう。
天国でゆっくりしてるパパへ!安心してくれ!
あなたの自慢の娘は、超絶面白い人たちに囲まれながらスーパー面白い人生を力強く歩んでるぞー!
ここまで読んでくれた方へ
これを機会に
親孝行はしようと思った時にはもうできないって誰かが言ってたけど、本当にその通りだと思います。
後悔先に立たず。人生そんなもんです。
ということで皆さま。今すぐにLINEを開いていただいて。
親でも兄弟でも親友でも誰でもいいので心に浮かんだ人に連絡を取ってみてください
大切な人と会えなくなってしまうタイミングは誰にも分からない
パッと泡のように突然消えてしまうこともあるんだよ
もし、もしもその時が再び訪れた時に
少しでも後悔しないように
今日も私はだいちゅきなマミーにメッセージを送ります(長生きしてね♡)
父の背中を追いかけて
きっと私はこれからも、追いつくことがないこの長い長い人生のマラソンを走り続けていくのだー!
それでは皆さまごきげんよろしゅう!
また、夢の野原で逢いましょう。
夢野
ユメノ
大学休学して海外でフリーランス目指す青学心理学生🎽|2022.5〜🇬🇪2023.4〜🇦🇲
ノマドニア3期卒↪︎動画制作講師(12&13期) |#動画編集|美術と旅とお酒|🇻🇳🇰🇭🇦🇪🇩🇪🇧🇪🇫🇷🇪🇸🇬🇪🇦🇲🇹🇷🇮🇱🇯🇴↪︎🇦🇲