愛で物語を終わらせよう。
ハロー!みんな元気?あたしけいご。今日は「罪悪感は体に穴をあける」って話と「死の犠牲者はいない」っていう話と「愛で物語を終わらせる」っていう話をさせてちょーだい。自分が生きていることに罪悪感を持っちゃうと、体に穴があいてしまって、おいしいもの食べたり、小さなことに感動をしたりして、幸せや喜びを体に詰め込んでも、罪悪感の穴から漏れてしまうのよ。傷つきたくないと思って生きていると、そのことで、人を傷つけてしまう。ネガティブな思い、要するに、愛ではなくて恐れの種を撒き散らしてしまうの。
物語ってあるじゃない。ドラマと言い換えてもいいわ。誰もが物語を生きていて、物語に救われることもあれば、物語に苦しめられることもある。自分は親から愛されないで育ったというのも物語だし、本当の思いを口にするとみんな離れてしまうと言うのも物語よね。あたし、思うんだけど、愛って物語を終わらせることだと思うのよ。愛は解放。情は支配。物語を生きるということは、何かを引きずりながら生きるってことだと思うの。カラッとしている人って、引きずっているものがなんにもないのよ。赤ちゃんは、その典型よね。
本当の思いを口にすると、それは愛だから、物語を終わらせることができる。なかったことにしてもいいんだけど、なかったことにできないのは、その人が大切な人だから。ともすると自分よりも大切な人だから、自分を傷つけてまで、自分の人生を犠牲にしてまで、悲しみを背負い続けるのだと思うの。だけど、死の犠牲者なんて、ただの一人もいない。だからこそね、自分を愛するということが大事になるのよ。罪を背負う必要はないのよ。あたしたちは、愛を背負う必要があるのよ。愛だけが、悲しみの物語を終わらせることができるのよ。愛は解放。それは、悲しみの物語から自由になって、愛を放つ人になると言うことなの。
傷つきたくないとか、嫌われたくないとか、恥ずかしい思いをしたくないと思っていると、人に差し出す優しさが、よそよそしいものになってしまう。それがおとなのお付き合いとか、人とのちょうどよい距離の取り方みたいにいう風潮もあるけど、大事なのは、根底にある思いだと思うのよ。愛なのか。恐れなのか。人と関わることを恐れていると、人と関わることを恐れる気持ちの方が、相手に強く伝わってしまうものなのよ。どれだけ礼儀正しい対応をしたとしても、あなたとは関わりたくないと、あなたの言葉ではなく、あなたの態度が言ってしまっているのよ。どれだけポジティブな感情を相手に抱いていたとしても、ネガティブな部分だけが、相手に伝わってしまうのよ。
だからね、なんだか調子が悪いなとか、なんだか何かを引きずっている気がするなと思った時は、いったん立ち止まって考えてみてちょーだい。大事なことだから、何度でも繰り返すわ。かわいそうな人はいない。自分が犠牲者になることも、誰かを犠牲者にすることも、やめるのよ。死んだ人は生きているのよ。死んだ人を殺したらダメよ。究極の意味では、あたしたちは死ぬことなんてないのよ。愛は解放。情は支配。恐れは自分も他人も傷つけるけど、愛は自分も他人も救うのよ。罪悪感で物語を続けるんじゃなくて、愛で物語を終わらせるのよ。そのためにも、自分を愛するってことが大事になるのよ。こわいわよね。最初はとてもこわいと思う。だけど、慣れてくると、最初は大きな岩に思えたものも、小石みたいに思えてくるから。小石の上なら、これまでよりもずっと楽に、自分の道を歩けるように絶対なるから。どんどんナチュラルに愛を放出できるようになるから。じゃあ、またね。愛しているわ。バイバイ。
おおまかな予定
12月3日(火)愛知県名古屋市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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