大河ドラマ「光る君へ」

躍動せよ!平安の女たち男たち! 創造と想像の翼をはためかせた女性 紫式部

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をしへて! 佐多芳彦さん ~刀伊の入寇で勲功を挙げた武者たちの衣装

大河ドラマ「光る君へ」第46回で描かれた平安時代中期の寛仁3年(1019)3月末~4月に、中国大陸北東部を拠点とする民族「東女真(じょしん)族」とされる賊が大宰府管内に侵入した事件「刀伊(とい)の入寇(にゅうこう)」。風俗考証を担当する佐多芳彦さんに、刀伊を追討した武者たちの衣装について伺いました。

――襲撃してきた刀伊の追討に向かう大宰府兵の格好について教えてください。

政庁の広場に集まった大宰府兵は、京都の治安を守る検非違使(けびいし)と同様に、平安時代末期の絵巻物『伴大納言絵巻(ばんだいなごんえまき)』や『清獬眼抄(せいかいがんしょう)』という文献資料などから、それぞれの立場に応じた格好を再現しています。当時の装備などを正確に再現したいと思っても、まず材料が手に入りません。また、スケジュールなどの事情もあります。このため、既存のものをうまく活用しながら、クラシックに見えるように工夫を凝らしています。

――大鎧(おおよろい)を身にまとい騎乗している武者たちの特徴を教えてください。

2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」において平安時代末期から鎌倉時代初期の武士の姿が描かれましたが、北条義時をはじめとする坂東武者たちが着ていたのは直垂(ひたたれ)で、袴(はかま)は膝(ひざ)まで上げて、脛当(すねあて)を付けていました。一方、刀伊の追討へ向かう藤原隆家、平為賢らが大鎧の下に着ているのは水干(すいかん)で、袴(はかま)を長めにはき、脛当は付けていません。水干の丸い襟は、上級貴族の正装である束帯(そくたい)にも見られる朝廷の制服の特徴の一つであり、これはこの当時の武官たちの標準的なスタイルになります。また、平安時代中期にはまだ脛当はなかったと考えられるため、「光る君へ」では脛当は使用していません。それから、はき物も人物によって乗馬用の靴(くつ)であったり、草鞋(わらじ)であったりと変更しています。そして、太刀を佩(は)いている人物はいますが、腰刀は差していません。

――大宰府兵が手にする武器ですが、統一されていないのですね。

当時はまだ、組織的な軍隊が整備されていたとは言えません。またこのときは「刀伊の入寇」という緊急事態ですので、武器として利用できるものは何でも手にし、住民や土地を守るために必死に戦ったと思います。

平安時代中期において最も恐れられていた武器は弓矢であり、朝廷において武装を整える=弓を手に取ることを意味していました。「鎌倉殿の13人」で北条義時らが使用していた弓は、藤巻(とうまき)の弓といって藤(とう)を巻いて補強が行われていましたが、この当時はまだそのような技術はなかったと考えられるため、大宰府兵が手にしている弓は、藤が巻かれていない、丸木の弓になります。

それから、当時はまだ薙刀(なぎなた)はありませんので、双寿丸らが持っている武器は矛(ほこ)になります。

――1本だけ形が異なる矢を装備しているようですが、これは何でしょうか。

ほかと形が異なるこの矢は、鏑矢(かぶらや)といいます。鏑矢は、放つと先端付近に付けられた鏑(かぶら)という鳴器から音が鳴る矢の一種で、音声信号のやり取りによって、味方への連絡や合戦の合図などで使用されていました。刀伊の入寇に際しても鏑矢が放たれたのですが、その音響を初めて聞いた刀伊がこれに驚き、混乱したという逸話がありますので、武者たちには鏑矢を装備させています。ちなみに、鏑矢の先端に付いているYの字の金具は雁股(かりまた)といいます。また、敵への攻撃などに使用する通常の矢は、征矢(そや)といいます。

――隆家の呼びかけに応じて参陣した財部弘延と大神守宮ですが、平為賢らと比べるとずいぶんと軽装備ですね。

財部弘延と大神守宮は大宰府の役人ではなく、在地の首長というような立場の人物になります。大宰府の役人と在地の武者とでは、立場や経済力などが当然違ったでしょうから、用意できる武装にも差があったと思います。そのうえで、この刀伊の入寇を描くにあたっては、大宰府の役人と在地の住民が藤原隆家のもとで一致団結し、襲撃してきた刀伊を追討したことを映像としてよりわかりやすくお伝えするため、グループによって格好に差を付ける演出をしています。このため財部弘延と大神守宮の装備については思い切って、挂甲(けいこう)や短甲(たんこう)といわれる埴輪(はにわ)が身に着けているようなクラシックな甲冑(かっちゅう)を採用しています。

 

――警固所の役人も変わった甲冑を身に着けていますね。

これは綿襖冑(めんおうちゅう)という、中国風の甲冑になります。大宰府は外交の窓口の一つであり、おそらく都よりも中国の文化の影響を受けた品々が使われたり、残されたりしていたと思います。このため、時代性や地域性を示すねらいでこの綿襖冑を採用しました。門の上に取り付けられているのは手楯(てだて)といって、古代に九州の南部地方に住んでいた隼人が使用していた盾(たて)になります。

鎌倉時代に作られた『法然上人絵伝(ほうねんしょうにんえでん)』に手で持つ小さな盾が描かれていますので、このような盾も残っていたのではないかと考え、取り付けています。

ちなみに、第41回において平為賢の一団が盗賊の討伐へ向かう際には、先頭を歩く部下の一人が大将である為賢の兜(かぶと)を手に持って歩いていましたが、第46回では『伴大納言絵巻』に描かれている姿を再現し、先頭を歩く部下が大将である隆家の兜をかぶっています。

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