「みんなで馬場平(モトクロス場)を走っているとか、スイッチヒッターに転向する松本匡史さんが早朝からバットを振っているとか、新聞で知るでしょ。おれは何をやっているんだ、と思ったよ。猛練習は鹿児島実高時代に経験していたから、プロで練習についていけないなんてことは一度もなかったし、練習嫌いでもなかった。伊東キャンプの間は毎日、ドラフト外で入団した同期の田村勲(故人)と合宿所の周辺や、多摩川の土手をとにかく走ったよ。参加できない悔しさを何かにぶつけないと、いたたまれなかったんだ」
定岡は3年目の77年に1軍初登板を果たしたものの、5年間の通算成績は18試合で0勝1敗だった。
「年が明けて、自主トレで伊東キャンプのメンバーに会うと、みんな充実の表情をしていてね。中畑清さん(現DeNA監督)なんか、『やり遂げたぞ』と胸を張らんばかりだよ。僕は後ろめたいというか、なんだか仲間外れのような感じ。みんなが、まぶしかった。焦りを感じたよ」
悔しさを胸に背水の陣で臨んだ80年、待望のプロ初勝利を含む9勝を挙げた。
「春の宮崎キャンプはずっと1軍。3月中旬に近鉄とのオープン戦で誰が先発するかとなって、藤城和明(77年のドラフト1位)との争いで僕に決まった。寒い中で4安打完封し、首脳陣に認めてもらえたんだ。これがきっかけかな。伊東に連れて行ってもらえなかったのは、ショック療法だったのかもしれないね」