およそ40年、笑いの世界でトップを走り続けてきた明石家さんま。奈良の高校時代、英語の先生から授業中に「吉本に行け」と言われたことがきっかけでお笑いの世界を意識し、笑福亭松之助に弟子入りする。
高校を卒業したさんまは、松之助が暮らす兵庫県西宮市に移り住む。4畳半風呂なしのアパートで暮らし、近所の武庫川の河川敷を歩きながら一人、落語の稽古をしたという。
笑いに必要なのは才能か?それとも努力や練習か?
さんまが大切にしている教えとは?そして今、明石家さんまが目指すものとは?
サッカー日本代表監督の森保一が切り込む。
森保: 本来であれば、明石家っていう名前、
さんま: 屋号。
森保: 屋号が付かないのに、さんまさんは「明石家」と付けさせていただいたとか。
さんま: 元々デビューは「笑福亭さんま」なんですよ、笑福亭一門なんで。あのころ、落語をしないでテレビやラジオに行くと、「落語もせんとテレビ出やがって」と嫌みを言われる時代だったんで。
それで師匠が「『笑福亭』付けてたら邪魔やろ、お前がテレビとかで劇場で漫談するとなったら笑福亭は邪魔になるから、明石家にせい」言うて。本名が明石徳三なんで、明石に家をつけて、「明石家さんま」に変わった。師匠からです、ええ。
森保: ほんとの息子みたいに思いがあるのが伝わってきます。
さんま: 確かに。なんか僕だけ大事にしていただいたっちゅうのは、人の縁という感じは、今、言われてしますね。ほんとに大事にしていただきました。ええ。
僕はものすごく恵まれてて、師匠といつも劇場に一緒に行く前に、朝、ご飯食べてから子どもを幼稚園に送って、そのあと師匠とずっとおしゃべりができたんです。稽古もつけていただきましたけども、そこで雑談がやっぱりすごい役に立ったというのは事実で。
だいたい、うちの師匠は禅なんで、内山興正さん(※)という方の本の話をずーっと教えられて、「禅とはこういうもんだ。日々新風に吹かれつつ生きろ」とか、そういうことを毎日、18歳の僕がわからんまま、いろんなものを投げ込んでいただいた感じですね。
※内山興正(1912~1998 安泰寺六代目住職 「今・ここ」を生きよと説いた)
森保: それを吸収して、自分がやるべきことに変換していけるっていうのが、さんまさんの能力なんですね。
さんま: 能力なのか、まあ相性もあったと思うんですけど。
結局、「幸せに明るく過ごせよ」っていう言葉を回りくどく、いろんな言葉で教えていただくんですけど、そこから、「生きてるだけで丸もうけ」みたいなことを、俺と師匠の話の中で、たどり着いたのは事実ですね。ええ。
森保: すごいいい言葉だなと。「何しろ、これしろ」ってずっと言われたわけじゃなくて、いろんなことを師匠が伝えてくれた中で、自分で吸収して、自分の中で生かしていかれていますね。
さんま: 本当はもっと吸収しなきゃいけなかったんでしょうけども。おそらく師匠のおっしゃっている半分ぐらいしか吸収できてないと思うんですが、自分もキャリア積んでいく上において、いろいろ吸収していくっていうのと。あとはマツコ・デラックスがね、「さんまさんはいいよね、いっぱいいいお父さんがいて」っていう表現使うんですけど、それがものすごく腑に落ちて。
高校とか大学は母、“母校”って書きますよね。母から卒業したら父と会うっていうのは、いろんな父、お父さんに出会ってきて、怒られたり、褒められたり、いいアドバイスや間違ったアドバイスをもらったりしながら、いろんなお父さんに育てられたっていうのは事実だと思いますね。だから、お父さんなんですよ。
森保: そこでさんまさんのベースが築かれて、さんまさんらしく、いろんなことが作り上げられていったんですね。
さんま: だから監督は今、選手にはお父さんなんですよ。何人目のお父さんが知らんけど、お父さんなんですよ。
森保: いやあ、もっとお父さん、しゃんとしないといけないですね。
さんま: しゃんとしなきゃ。
笑福亭松之助は93歳で亡くなる。さんまは最後まで、松之助の唯一の弟子であり続けた。
森保: 師匠と、ずっとコンタクトは取られてきたんですか。
さんま: はい、もうずっと。ずっと何かあるたびに行くし。師匠が来れないと、手紙を多いときは週1、週2ぐらいで、自分が思ったこととか、「この本が面白かったから、その部分のここは面白いぞ」とかいうアドバイスを。もう、今でも紙全部あります。
森保: すごい。
さんま: あとは、先ほど言った内山興正先生の、「今回の本ではこうおっしゃってた。で、わしはこう思う」っていうような内容。ええ。あとはもう名前言えないですけど、「あの芸人はあかん」とか言う悪口も。笑
森保: 笑。反面教師のよう。
さんま: 「あいつ、さんま会うたら注意しといてくれ」とか。そういうのも中にはありました、毎週のように。
森保: 素敵な話ですね。独り立ちしたら、師匠とはあんまりコンタクト取らないっていう方もひょっとしたらいらっしゃるかもしれない中で、その縁をずっと、大切にして来られたのはすごいと思います。
さんま: そうですね。もうありがたい感じですね。俺は結構素直だったと思うんですよ。師匠は間違っていることも、素直に受け入れていたのが事実やから、教えられる方って素直じゃなきゃダメですね、逆に。これはサッカーもそうだと思うんですけども。
森保: そうですね。素直は大きなキーポイントですね。
さんま: ねっ、意外とものを覚えるときに、素直っていうのはすごい大事ですよね。
森保: おっしゃるとおりだと思います。
さんま: だからまた違う人に出会って教えられてとか、「あっ、この間の言うてたことは間違いか」と思いつつまた勉強、とかいう繰り返しでしょ?
森保: 「これが正しい」と思いながら違う価値観の方に会ったときには、「あれ?こっちがひょっとしたら正しいのかな」って、思わせられることがいっぱいあります。
さんま: それで正しかったでもしますよね。で、その間違いも大事なんですよね。
森保: おっしゃるとおりだと思います。なので、考え方の幹があるようで、その幹は変わらないものも普遍的なものも、もちろんありますけど、幹すらも実は変わるところもあるっていう時代の流れや、自分のそれまでの価値観を考えさせられるところかなって、はい。今まさに、そういうお話を聞けているのでうれしいです。
さんま: さすが、森保。55年の経験でそういうのをいろいろ教わってきたんだ。
森保: 特に若いときは、「これだ」って思っていたことが、「えっ?これも正解だけどこっちも正解だよね」みたいな、どっちが正解なのかわかんないみたいな。
さんま: そうそう。「これも正解、これも正解、これも正解。待てよ、正解ないぞ。正解いらんぞ」って思うときあるじゃないですか。
森保: 話の中でも、ときどき何かを言い切ることも、例えば、「もう絶対白だ」って言って、そのあと「人が見たら違う色に見えるかもしれない」っていうのがありますね。
さんま: ものすごうわかる。自信ないときとか、「俺これ緑や思うたけど、同じ緑か?」とか思うときありますね。
森保: それを人に伝えるときに、気をつけないといけないなって思います。もちろんチームとかも、我々チームスポーツで、絶対的に変わらないルールの中でやっていますけど。
さんま: でも、1人ずつ性格違うわけでしょ。
森保: おっしゃる通りです。
さんま: そいつらにどうちゃんと伝わっていくのかっちゅうのも、難しいですよ。人の子、預かってるんですもんね。
ものすごうわかるね、それ。ただ、そっちはサッカーでしょ。オレらは笑いなんですよ。「笑い」というゴールに向かって、いろいろあるけど1つになるんで、目標が。だから、嫌なやつとも仲良くできて、「こいつちゃうぞ」と思うけど、目標が一緒やから「一緒に行こうよ」ってなるんですよ。だからそれはものすごくわかりますね。サッカーがあるから、でしょ?
森保: そうですね。みんなで勝利を、優勝を目指してやっている中で、みんなほんとに「俺が一番だ」っていう選手たちですけど、目標が同じなんで、「じゃあ、協力してやろう。お互いの良さを出し合ってチームとして戦おう」と出してくれますね。
さんま: すごい商売をやっていらっしゃると思います。貴方はサッカー、僕は笑いで、きょうもやらしていただいていますけども。我々はちょっと与えられる、そういうポジションにいますもんね、偶然にも。
森保: おっしゃる通りです、はい。
さんま: ありがたいですよね。
森保: 与えられて、この仕事させていただいていますし、このポジションでやらしていただいていますし、それはほんとに喜びであり、幸せなんで。
さんま: で、プレッシャーでもあり。笑
森保: そうですね。プレッシャーはありますけど、笑。でも、何て言うんですかね。人のお役に立てることも、自分たちが勝ったり、活動の中で、勇気や元気や、根気強く何かをやり続けることであったり、夢や希望を感じてもらえる仕事をさせていただいているのは、ほんとに幸せです。
さんま: ワールドカップは伝わりましたよね。日本を元気にしたじゃないですか。
森保: そうであったら、うれしいです。
2024/1/5 スイッチインタビュー「明石家さんま×森保一」EP1より