虚ろな十字架月初にこの本を購入した時にもチラッと書いたけど、『虚ろな十字架』はもともとは単行本で買って読んだ作品でもある。だからこの本が死刑制度について、死刑廃止論反対についての物語であることは承知してるけれど、でも、何時もの事ながら詳細部分はよく覚えてない。...とまあ、毎度毎度のお話です。
でも、なんでまた自分、東野圭吾の作品を文庫本を待たずに単行本なんかで買ったのか??
たぶん当時の書店でのpopなんかがこの「死刑制度」についての是非を喚起してて、おそらくは無意識に手に取ったんじゃないかと思うんですな。初版が2014年って事だから、自分もその時期とたいして変わらない段階で手に入れてたんじゃないかと思うけど。

メインのストーリーは、一人娘を殺害した犯人に死刑判決が出た後、離婚した中原道正・小夜子夫妻の物語で、数年後に今度は小夜子が刺殺される事件が起き、すぐに犯人・町村が出頭する...といった内容。この町村の娘婿である仁科史也がプロローグに登場してきて、この人お得意の作品世界が展開するのだけれど、そのプロローグの視点である井口沙織の物語はなかなか主筋の物語とリンクして来ないんですな。物語はあくまで中原の視点で進行し、小夜子が離婚後に死刑制度廃止論に対して反対の立場から雑誌の取材活動や著作の執筆をしていたと言う事実を知り、中原道夫はかつての義母や弁護士から依頼され、死んだ元妻の裁判に関わっていく事になる...
ここで出てくるのが、裁判における「被害者参加制度」。被害者や遺族が検察官の様に意見を述べたり、被告人に質問が出来ると言った制度で、それまでは裁判官と弁護士と検察官だけのものであった裁判を、被害者や遺族の裁判にするということ。そしてそれが死んだ小夜子の遺志だと思うと、故人とは行動を共にしていた担当弁護士は言う訳です。だからこの裁判はただ量刑を決めるだけの裁判ではなく、罪の重さを訴える裁判にする。そのためには、恐らくは無期刑との判決が出るであろうこの裁判で、被害者遺族の側からあくまでも死刑の求刑の声を上げるべきなのだと...
発端となった事件は、中原道正・小夜子夫妻の一人娘・愛美(小学2年生)が、金品元的で自宅に押し入った男に殺害されたという事件。男はやがて逮捕されるが、1審では無期、その後の控訴審で漸く死刑が確定するも、愛娘を理不尽に殺害されてしまったという現実に夫妻は打ちのめされ、一緒に居るとどうしても事件を思い出すし、顔を見ているのが辛いからと、やがて離婚を決意するんですな。
小夜子と別れた後、中原は当時勤めていた広告代理店を辞め、母方の叔父の後継者としてペット専門の葬儀会社を引き継ぐことに。そこに娘の事件当時の担当刑事・佐山が現れる訳です。実は中原の元妻である小夜子が、江東区木場にある自宅マンションの近くで刺殺されたのだと言う。で、何か事情を知らないかと言う事ですな。でも中原は離婚後ずっと小夜子とは連絡もとっていないし、彼女の近況についても、木場に住んでいた事すら初耳であったと答える。
間もなく町田という男が犯行を認め出頭してくるが、佐山は町田と言う老人の犯行に疑問を持っている様子。男がアパートのある北千住から、わざわざ木場まで遠征して犯行に及んでいる事、凶器を処分せず家に持ち帰っている事。犯行の時間を考えても不自然だし、腑に落ちない点が多いのだと。
町田には娘が1人いて、その娘婿・仁科史也が東京での生活費の面倒を見ており、今回の裁判の費用も史也が持つらしい。町田の犯行を理由に、史也の母親と親戚筋は史也の妹を通じて、息子に妻である花恵との離婚を勧めるが、史也は耳を貸すこともないんですな。おまけに史也と花恵の息子・翔は明らかに両親には似ていないという展開。史也が離婚要請に頑として応じない理由も、花恵の父親を彼女の反対を押し切ってでも東京に引き取る理由も謎として物語は進行する訳です。

小夜子の通夜席に出席した中原は、そこで小夜子の大学時代の同級生であり、小夜子に仕事を紹介したという日山千鶴子から声をかけられ、彼女が書いた雑誌の記事を送ってもらうんですな。そして千鶴子の出版社から『死刑廃止論と言う暴力』という単行本を出版する予定だったという話も聞く。その原稿は事件当時に警察に押収されたパソコンから見つかったのだが、冒頭から強い決意でこう書かれていた。-死刑廃止論者には犯罪被害者たちの姿が見えていない-
被害者家族は復讐感情だけから死刑を求めるのではない。もちろんそれで被害者が蘇ることもない。死刑を求めるのは、それは他に何も求めるモノがないから、救いの手が見当たらないからであって、もし死刑を廃止と言うならば、代わりに何を与えてくれるのか??と問いたいと。
彼女は自論を展開するために、いくつかの実例もあげ、その中には自身の愛娘を奪われた体験も語られる。そしてその事件の関係者の中に、かつて裁判で敵対した被告側の弁護士の名前と、彼とのやりとりがあることに驚く。平井と言うその弁護士は小夜子のインタビューに答え、『家族を殺された人々が死刑を望まないケースなどない』と答え被害者家族の心情に理解を示しつつも、死刑制度についてはこう語る。『基本的に無くせれば良いと思っている。でも自分が死刑に疑問を感じるのは、死刑では何も解決しないという事。事件はそれぞれに別物で、遺族も全く違うのに、結果が"死刑"だというのでは結論は同じ。それぞれの事件にはそれぞれに相応しい結末があるべきだと思う』..と。
原稿はこの平井の意見の後で、小夜子の『私にはわからない』という、彼女の心の迷いともとれる文章で途切れ空白となる。小夜子の母親からその原稿を預かった中原は、小夜子が何を想い、取材を通じてどんな心境になっていったのかを知りたいと思うようになる訳ですな。そしてまず、中原もまた平井を訪ね、死刑廃止論を批判する内容の本を書こうとした彼女が平井とどんなやり取りをしたのかを尋ねると、平井は逆に中原の娘の事件の裁判の結果について問い返す訳です。犯人に死刑が宣告された時にどう思ったか?? 死刑が執行されたと聞いた時何かが変わったか?? 最高裁まで上告しようとした弁護側に対し、犯人がそれを『面倒くさい』という理由で取り下げたのを聞いてどう思ったか??
平井は『死刑は無力』だという。犯人は結局、死刑を刑罰だとは受け取れず、自分に課せられた運命だと捉えてしまったのだと。死刑判決は犯人の意識を変えさせることが出来ず、だから真の意味での反省にも到達しなかった。だから死刑は無力なのだという訳です。

日山から小夜子の原稿に手を入れ、共著で『死刑廃止論と言う暴力』を出版しないかと持ち掛けられた中原は、彼女から通夜の席で紹介され、死の直前まで小夜子に相談を受けていた万引き常習者の話を聞く。漸くここでプロローグの語り手である井口沙織が物語にリンクしてくる訳です。沙織の万引きのケースは特殊で、罪の意識に苛まれた上での、自分を責めるが故の犯行であり、小夜子はそこに疑問を抱いていた様子だったと。そして沙織の部屋で対面したとき、彼女の部屋に樹海の写真があった事を日山は語るんですな。小夜子の遺品の中にもデジカメで撮影した樹海の写真が残されおり、中原はそれが何か事件と関係あると推察する。更に遺品の中に小児科クリニックのセミナー広告があり、担当していた医師・仁科史也が沙織と同じ富士宮市出身で、しかも小夜子を殺した町田の娘婿だった事に偶然とは思えない縁のようなモノを感じる訳です。

中原が直接仁科史也と対面するあたりから、物語は加速度的に真相に向かって展開していく事になるんですな。最初、小夜子側の遺族代表として対峙した際、史也は中原が真相にたどり着いていないまでも、警察発表とは違う事件の背景を知り得た事を推察する訳です。そしてここからは仁科の妻である花恵について、彼女が結婚詐欺まがいの男に騙され、妊娠し、死に場所を求めて樹海を彷徨っていたことや、その花恵を樹海から連れ戻し、子供と花恵を引き取る決心をした史也についてが語られる。その時に史也は、樹海に来ていた理由を"墓参りのようなもの"だと語るのだけれど、その本当の理由を知るのは小夜子が仁科家に訪れた際。
小夜子は井口沙織の相談にのるうちに、彼女の贖罪の理由を知ってしまう。それは彼女が中学生の頃に妊娠し、生まれたばかりの子供の口を塞いで殺し、青木ヶ原樹海に遺体を遺棄した21年前の事件で、その当時の沙織の交際相手であり、子供の父親は、当時高校生だった仁科史也な訳です。もちろん、出産も殺害も死体遺棄も2人きりで行ったという。殺人を犯した犯罪者は全て死刑に処すべきだという考え方の小夜子には、この事件を知って見過ごす事は決して出来ない。だから沙織に対し自首するように説得し、共犯である史也ともコンタクトをとってきた訳ですな。そして史也不在の夜に仁科家に訪れた小夜子の話を、隣室で聞いてしまったのが町田であったと。町田は小夜子の後をつけ、花恵の家の台所から持ち出した包丁で彼女を刺し殺す...

なんとなく犯行の動機が『祈りの幕が降りるとき』の父親の心情のそれに近い気もするけど、典型的なダメ親父である町田も、男に騙され自殺しようとした娘とお腹の子を救い、生活保護を受けていた自身を東京に招いてくれた娘婿に、それなりに恩義を感じていたという訳です。
物語の中で語られる"虚ろな十字架"とは、小夜子にとっては殺人者が刑務所で受刑することの意味のなさを意味している。殺人犯を刑務所に〇年入れておけば真人間になるなんて、誰が断言できるのか??彼らをそんな"虚ろな十字架"に縛り付けることに意味はあるのか??と。
でも英恵は中原に言うんですな。あなたの元の奥さんの考え方は間違っている。史也はその後の人生のすべてを罪を償う事に捧げてきたのだと。確かに21年前にひとつの命を奪ったかもしれない。でもその代わりに自分と息子の命を救い、医師として多くの命を救い続けている。刑務所に入れられても反省しない人間は多くいるし、そんな人が背負う"十字架"は確かに"虚ろ"なのかもしれない。でも史也の背負った十字架はそんな虚ろな十字架などではなく、重い重い、とても重い十字架だったのだと。