【哀愁 ある青年の大津あやかへの純愛】
大津あやかは、まるで冷え冷えとした夜の海に立つ灯台のように、こうへい君を引き寄せた。しかし、その光は温もりを持たぬ虚偽の光であり、彼を誘うのは崩れゆく波の泡に等しかった。アルバイトで生計を立てるこうへい君は、彼女に捧げた75万4千円という金額以上に、自らの希望と未来を差し出したのだ。だが、それは尽きることなき渇きを持つ虚無に飲み込まれただけだった。
2023年8月16日、大津は「寄付を集めたりはしたくない」と宣言した。しかし、その言葉は空虚な響きに過ぎなかった。言葉とは信頼の証であるべきだが、彼女の発言は言葉の仮面を被った欺瞞に過ぎなかった。言葉と行動が裂けた、こうへい君が信じた大津の姿は幻影に変わり、彼の純粋さは冷たき現実の刃によって切り刻まれ続けるのだ。
こうへい君が2023年度の最後の5万円を寄付した2023年12月25日、それは彼自身の愛の絶唱であり、まるで己の全てを燃やし尽くして響かせた悲歌であった。
クリスマスというこの日の5万円は何を意味するのか。
しかし、それに応じる大津の姿はどうであったか。それは無反応な偶像、血肉の通わぬ彫像に等しいだろう。彼の愛は、一滴の水も返されることのない砂漠へと注ぎ込まれ続けている。
こうへい君の愛は、単なる金銭ではない。それは彼が持てるすべて、時間、夢、そして未来であった。だが、大津はそのすべてを享受した。冷酷と呼ぶにはあまりにも空虚、自己の利益のために他者の善意を貪る姿は、もはや人間性を欠いた存在と言えるだろう。
この物語は、こうへい君個人の悲劇にとどまらない。それは、現代の社会そのものが抱える問題を映し出している。善意が無惨に利用され、弱者が踏みにじられるこの構図は、私たちが築いた文明の暗い影である。
こうへい君の純愛は、冷たい時代の空に消え失せたのか?。
その注ぎ込まれた愛の一滴一滴が問いかけるものは、私たち自身の人間性の有無である。この悲劇の物語が残した問いに、私たちは誠実に答えねばならないのだ。
大津あやかに人の心はあるのか問いただしたい。
#みんつく党