移住者に通じない?広島の
びっくり方言13選!【地理ふしぎ】
今の40代前半より年下では
使わない広島弁備後弁も紹
介している。
「たわん(届かない)」や
「けぇ(~だから)」は今
も40代以下の層でも広島県
内ではよく使われる模様。
それと「たちまち(とりあ
えず)」は今でも若い子で
も使っている。
バイクに跨っての自虐ネタと
かで「たちまち、俺、足がた
わんけぇ(笑」とか。
なお、今の40代以下の広島県
の男は自分の第一人称の広島
弁の定番である「わし」は一
切使わない。「おれ」「ぼく」
だ。私の世代から上は全員が
「わし」。その年代が幼稚園
児の時も「わし」。
「そりゃあ、わしのんど(それ
は私のだぞ)」とか使ってい
た。
ただ、完全方言を標準語だと
思い込んでいるフシも広島県
内では多くあり、言葉の意味
が分からないので訊き直すと
「嘘じゃろ?東京生まれじゃ
いうて、うちを馬鹿にしとる
ん?」と返される事も結構あ
る。何人もから同パターンで。
これマジで。
「きっぽ(消えない人体の傷跡)」
とか、完全方言だってばよ~。
教えてもらわないと分かるか
っつーの、移住者には。移住
者はエトランゼなのだから。
ホントにその国(旧国)で生まれ
育ったのではない異邦人なの
だから。在地の言葉は理解で
きない言い回しや単語に溢れ
ているのが実相なのだから。
意味が解らないから聞き返し
ただけで切れられても困る。
「いびしぃ(気持ち悪い)」
とか「みやしぃ(簡単だ)」
とか「いたしぃ(難しい)」
とかの備後弁も完全方言だっ
てば。岡山弁の「きょーてー
(怖い)」や「ぼっけぇ(凄
い)」と同じく完全に方言。
方言文化を残すのは大切だが、
自分たちの住む狭い地方の方
言が全国版の標準語として使
われる共通語かと思い込むの
は絶対によくない。
言語は人と人との意思疎通を
図るツールなのだから。
共通言語としての標準語の日
本語を日本政府が明治に発明
して制定した意味は、日本人
が日本人同士意思疎通が図れ
るようにするためだ。
そのため、小学校入学時から
日本人は「国語」を習う。
地方の仲間同士での会話では
方言のみでもいいだろうが、
本来、日本人同士は私的初対
面の時や公用では標準語で話
すべきだ。
昔一度、社内の東京生まれ東
京育ちの人に「ほう、ほう、
ほぅね(そう、そう、そうな
のですか)」と備後弁で言った
ら、「おめぇ、ほぅほぅ言いや
がって、俺を舐めてんのか!」
と切れられた事がある。
広島県人が切れたのと逆パタ
ーンのように思えた。
全国区での方言通しはよろし
くない。私のミスだ。東京もん
には標準語もしくは私自身の
「標準」言語である江戸東京
弁で話すべきだった。「いか
さま、左様に御座るか」とか
言ったらよけいキレただろう
が(笑
いずれにせよ、広島人にしろ
東京人にしろ、他の各地方に
しろ、自分とこの言葉が標準
でありそれ以外を話す人間を
認めない、という心根は非常
に統一国家の国民である日本
人としてよろしくない。
最近、広島県内の40代より若
い人たちはごく普通に「さ」
「さぁ」「じゃん」を使う。
だが、それは標準語ではなく、
東京弁・横浜弁だ。
絶対に「さ」「じゃん」を使
わなかった大阪人でさえ使い
始めている。
東京横浜方言を日常会話で使
っていて、東京生まれ横浜育
ちの人間からすると妙な感じ
がとてもする。
最近の現象として逆に東京横
浜人が関西弁である「めっち
ゃ(すごく)」を多用し始め
ている。
広島弁でいうところの「ぶち」
にあたる(笑
意味は very だ。
そのうち、東京横浜人も「~
やん(東京横浜弁での「じゃ
ん」に相当)」を使い始める
のだろうか。
ギャグネタ的な大阪人特有の
言い回しの断定の後に続ける
「しらんけど」は最近東日本
の人たちにも面白がられて、
ネタとしてよく使われている。
ただ、イントネーションが
東日本の人たちは本場本物の
大阪の人たちとはまるで違う。
それ紛い物(笑
東日本の人たちは「シランケ
ド」を平坦に標準語のような
イントネーションで「ド」に
アクセントを置いて言うが、
真大阪人は「ケ」の部分が高
音になり「ド」で下がる。
そして、使い方としては強烈
な断定の後にサラリとサクッ
と続けて無責任性を出してと
ぼける時に使う。「これは日
本一やで!知らんけど」とい
うように。強烈な断定の後に
ボソッと呟くように言うのが
真大阪弁での「しらんけど」
の使い方だ。
「ほんまにそうかどうかあて
が知るかいな」というニュア
ンスを含んでいる。
東京弁でいうならば「んな
こたぁ知ったこっちゃねえ」
というニュアンスだ。
自分で断定しておきながら、
なんという薄らとぼけ方(笑
歴史的に人の海の中で揉まれ
た逃げ口上を確保しておく大
阪人特有の言語文化と思想性
が現れた一事例だろう。マジ
モードで返されて突っ込まれ
たら「知らんけど言うたやん
か」という逃げる回路を作っ
ておく、というような。
標準語で言うところの「それ
が定かであるかは、詳しくは
わたくしは存じ上げませんが」
ともかなり違う意味合いと思
惟を含んだ言い回しが大阪の
人たちが使う「しらんけど」
だ。
「せやかて、知らんけど言う
さかい、まぁええか」と言わ
れたほうも受け取る回路形成
でもあり、人間関係に鷹揚さ
と懐の深さを生んで、いらぬ
軋轢を避ける緩衝の役目も大
阪での「しらんけど」は効力
を出している。薄らとぼけた
言い回しだが、「活きた言葉」
として現在も存在している。
方言は単語が別地方とは別物
であるのと同時にイントネー
ションが標準語とは異なる変
化を見せるケースが多く、意
味合いも独自の真意が存する
場合が多いので、言語を使用
する際には注意が必要だ。
ちなみに、広島県福山市在住
の私の叔母が昭和30年代前半
に高校の修学旅行で完成した
ばかりの東京タワーに行った
時、「アンタラハヨゥコケー
キテェヘタリンヒャ~」と言
ったら引率の教師から「頼む
からここに来てまでフランス
語話さんでくれ」と言われた
らしい。
(貴方たち、早くここに来て
おかけなさいな)という意味
だが、東京在地の人たちには
解せないだろう。
« 貸したら廃車になって帰って... | トップ |