西田敏行さん
俳優の西田敏行さんが2024年10月17日に亡くなられましたが、今日テレビで「ドクターY」というテレビ放送があり、見ていたら元気な西田敏行さんが映ってましたので、久しぶりに流年を書いて見ます。
そう言えば、しばらくの間、振り子ビュンビュン丸達に邪魔されていたので流年盤などもブログに載せられませんでしたが、あんなのは放っておこうと思います。
尚、この流年法につきましては、次回出版予定の「干支九星鑑定録」(自費出版)に詳しく書いていますので、ご期待ください。今度の本は、鑑定法別に実占例を載せていますので、干支九星の面白さがわかる内容になっていると思いますが、かなり専門的です。暦についてもマニアックな内容が盛沢山です。ボリュームは400ページオーバーくらいです。但し、初心者向けではありませんが、なるべく初歩から(例えば盤の作り方、万年暦の見方など)説明する様にはしています。
そして、私の中では、次の出版予定の本の構想も出来上がっています。
また、既にご承知のことと思いますが、一連の騒動においてプロトンなどの海外メールを使って、全部で100件以上の匿名の怪メールを多方面に送られていて、その異常な行動にも呆れますが、それよりも、それを受け取った際の出版社の対応と他の企業や個人の対応に温度差を感じてしまい、呆れてとても続編を商業出版する気になれませんでした。
正直言って、自分の会社から本を出す著者を守るという姿勢を全く感じられませんで、随分と軽く見られていると感じましたし、匿名の誰が出したかよくわからないメールを真に受けて文句を言って来ることに大変がっかりしましたし、落胆しました。
それはさておき、話しがズレてしまいましたが、まず、西田敏行さんですが、生年月日は
1974年11月4日生まれ
丁亥8 庚戌3 丁亥1 解神酉 子 比肩持ち、月日五黄殺生まれ
享年76歳(2024年10月17日6時頃没)
そして上記の図が西田敏行さんの流年盤です。
亡くなられたのが76歳11ケ月ですから、5歳刻みにすると、75歳23ケ月となりますから、流年、流月共艮宮となり流年と流月が同流の時となります。
流年流月 艮宮 己亥2ア 壬戌6 壬寅4
の周期です。
尚、西田さんは、60歳を過ぎて亡くなられてますから、干支は2周回します。
そして、60歳を過ぎると2段目(二匝目)の干支を見ます。
まず見るべきは、亡くなられたのが流年と流月が同流の変化期であるということ。
この変化期に亡くなられる方は比較的多くいます。
そして、九星の事象は
二黒は墓、六白は命、四緑は遠方であの世とすると、ピッタリの事象です。
十二支は、亥アで刻まれなかった(手術はなかった)。
戌は滅、
寅は人の言うことを聞かない(これが原因でしょう)
死因は虚血性心疾患ということでいわゆる突然死で原因不明というやつです。
人はこの様な時に死ぬことが多いです。
では、何故一匝目の10歳から20歳の時にこの人は死ななかったのでしょうか?
それは、一匝目の艮宮の十二支は寅、丑、巳ですから丑と巳で金局三合半会です。
そして、命の十二支は亥(年盤中宮の十二支)ですから、金生水と命の十二支亥が生じられています。(生気)
しかし、二匝目になると、艮宮の十二支は亥、戌、寅となり、戌と寅で火局三合半会となります。
そして、二匝目の命の十二支は亥から申(年盤中宮の十二支)に変わっていますので、火尅金と命の十二支を尅しています。(殺気)そのため、艮宮の変化期の二匝目で亡くなりました。
因みに、西田さんは、二親に育てられています。
小さい頃に父親が無くなって、母親が再婚したために、叔母さんに育てられています。
それは、月命三碧を日盤で探して月盤に掛かる星が五黄となるので、いわゆる五黄殺生まれで、そこで出ています。
五黄殺生まれがある人は、二親の人が多くいます。
この様に流年盤を見て行くと、色々とその人の人生と重なる部分が多く出て来ます。
これを当たらないと言う人は、単に星が読めないでだけで、勉強不足以外の何物でもありません。
頑張って事象の勉強をしましょう。