ここは秋田の美郷町ですか? 秋山高志 茨城県史の研究(1980年)の195 ページより 藤井玄信(名・忠貞) 岩根村(現在の茨城県水戸市) 原南陽(はらなんよう)の門人

Joined September 2021
矢留アキ(Aki_Yadome)さんのアカウントですが、こうやって龍角散のことをポストしているのに、当方をフォローバックしてこなかったどころか、いつの間にかブロックされていたので、皆さんも気をつけてください。 中の人が龍角散、またはその関係者と何らかのトラブルがあった可能性もありますね。
8月以来の定期: 「龍角散と大阪府大阪市にある柳々堂(りゅうりゅうどう)さんは親戚である。」 という噂話がありますが、それを裏付けるための明確な根拠となる資料がないので、ご注意ください。
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これ、誤字脱字があり投稿し直したものです。失礼しました。
色々とポストして来ましたが、馬の耳に念仏状態の人たちが沢山いましたね。 そしてエックス自体も全体的な表示数が下がり、いつもは余裕で1000いったアカウントの方も、24時間で100~200なんてことも。 後は広告だらけで使いにくくなりましたね。
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色々とポストして来ましたが、馬の耳に念仏状態の人たちが沢山いましたね。 そしてエックス自体も全体的な表示数が下がり、いつもは余裕で1000いったアカウントの方も、24時間で100~200なんてことも。 後は広告だらけで使いにくくなりましたね。
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また新たな不審者情報です。 大仙市大曲の関係者、或いは出身者の中に、、、 でした。
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おさらい 佐竹の国替時に全ての佐竹家臣団が出羽(秋田県)入りした訳ではない 関東近郊に残った者も多く、そのため茨城県と秋田県では似たような名字が混在する 当家は国替えのあとに出羽入りし、久保田(秋田市)に住んでいたとされる 「国替え時に六郷、大曲に移住説」を裏付けるものなし
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再掲載:テセウスの船をやってしまったのは、秋田県の美郷町と仙北市だと言われております。なので、疑問点等はそちらへ問い合わせください。 秋田市と大仙市、東京台東区と千代田区、そして茨城県水戸市に伝わる説と合わなくなっています。 コミュニティで拡散したのは、拡散した人の責任です。
所謂、テセウスの船をやってしまったのは、秋田県の美郷町と仙北市だと言われております。なので、疑問点等はそちらへ問い合わせください。 秋田市と大仙市、東京台東区と千代田区、そして茨城県水戸市に伝わる説と合わなくなっています。 コミュニティで拡散したのは、拡散した人の責任です。
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美郷町との連携という意味合いなら問題ないでしょうが、また例によって、 美郷町の龍角散が~ 六郷の龍角散が~ とやり出すアカウントが皆さんのタイムラインにいるようであれば、それが誰だったのかをご確認ください。 その先に見えるのは?
美郷町合併20周年式典 龍角散社長ら連携4社の代表が討論sakigake.jp/news/article/202…
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Replying to @mizuho_kampo
なお江戸時代初期に藤井家はまだ水戸にいます。国替えに来たという根拠はないのです。 資料からは「国替えのあと」とされます。よろしくお願いします。 龍角散という名前が確認されているのは1835年で、この時点では佐竹義堯も藤井正亭治も関係ありません。
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古くは良く知られていた説です。よろしくお願いします。 秋田県内の各地に龍角散の出身地だとされる説があり、六郷はその1つに過ぎません。
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美郷町が龍角散の産地化を目指していることと、六郷と藤井家とが本当に関係があるかは別問題となりますので、お気を付けください。 本来は、現在の水戸市、秋田市、大仙市(大曲)、東京下町(千代田区、または台東区説あり)を行き来した家だと言われています。
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龍角散の原型となる薬があったのは現在の水戸です。それを藤井一族が習いにいったのが佐竹藩としての龍角散の処方の始まりです。 情報の出所をご確認ください。よろしくお願い致します。 秋田県の年表などともさらに話が合わなくなります。
龍角散は江戸時代初期ごろに秋田県で開発された漢方薬です。途中に配合生薬の見直しがあり、現在の処方構成に至ります。 龍角散は杏仁・桔梗・甘草・セネガで配合されており役割は以下になっています。 ■龍角散 杏仁(甘草)→せきどめ 桔梗・甘草→のどの抗炎症&痰切り&うるおい補充→桔梗湯 セネガ→痰切り 漢方薬の味が苦手な方でもおいしく飲めて大人気の龍角散ダイレクトは、龍角散に人参・アセンヤクといったうるおい補充成分がプラスされた処方構成になっています。 ■龍角散ダイレクト 杏仁(甘草)→せきどめ 桔梗・甘草→のどの抗炎症&痰切り→桔梗湯 セネガ→痰切り 人参・アセンヤク・(甘草)→のどのうるおい補充
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Replying to @mizuho_kampo
失礼します。龍角散の原型となる薬があったのは現在の水戸です。それを藤井一族が習いにいったのが佐竹藩としての龍角散の処方の始まりです。 情報の出所をご確認ください。よろしくお願い致します。
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再掲載︰これは何故か? 江戸中期には久保田(秋田市)にいた説、のち大曲(大仙市)に移住したという複数の説があること。 家系研究協議会(名字の研究会)と佐竹商店街、秋田市は友好関係にあったことなど、秋田市側の説を知らずに、いつの間にか美郷町だ、いや仙北市だとやるからこうなる訳です。
間違った情報を拡散したり、ネット上で井戸端会議をしていた連中にも原因はありますね。 それが誰だったのか皆さんも思い出してみてください。 皆さんのタイムラインにもいたはずですよ。 その先に見えるのは?
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定期: ・藤井得三郎は、正亭治の三男 ・久保田(秋田市)には兄がいた ・明治初期は久保田が本店で、東京と大曲は支店 ・得三郎は東京府(東京都)の支店長扱い ・どこかで支店(東京)と、本店が入れ替わった ・秋田市の店は閉鎖 ・菊乃丁(大町)店は別の親戚が始めた店である
・藤井得三郎は、正亭治の三男 ・久保田(秋田市)には兄がいた ・明治初期は久保田が本店で、東京と大曲は支店 ・得三郎は東京府(東京都)の支店長扱い ・どこかで支店(東京)と、本店が入れ替わった ・秋田市の店は閉鎖 ・菊乃丁(大町)店は別の親戚が始めた店である
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そして、さらに怪しい情報の出所が六郷関係者であることが断定されました。 (*’ω’ノノ゙☆パチパチ
その先に見えるのは、 当然、美郷町や仙北市の関係者ですよね。 例えば、現在の美郷町六郷出身だとしても、六郷野中、六郷東根湯田・細田地区などの生まれの人が発言したからと言って、それが正しい情報なのでしょうか? やればやるほど逃げられなくなるのです。
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その先に見えるのは、 当然、美郷町や仙北市の関係者ですよね。 例えば、現在の美郷町六郷出身だとしても、六郷野中、六郷東根湯田・細田地区などの生まれの人が発言したからと言って、それが正しい情報なのでしょうか? やればやるほど逃げられなくなるのです。
間違った情報を拡散したり、ネット上で井戸端会議をしていた連中にも原因はありますね。 それが誰だったのか皆さんも思い出してみてください。 皆さんのタイムラインにもいたはずですよ。 その先に見えるのは?
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間違った情報を拡散したり、ネット上で井戸端会議をしていた連中にも原因はありますね。 それが誰だったのか皆さんも思い出してみてください。 皆さんのタイムラインにもいたはずですよ。 その先に見えるのは?
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まだまだ龍角散に関する資料はあるようです。 龍角散は美郷町のものだと思い込み、または決めつけているから真相にたどり着けなかったのでしょう。
以前からポストしていましたが、繰り返し、龍角散は美郷町のものだとやられることにより、佐竹資料館、秋田公文書などにある資料と話が合わなくなるのですね。 そして当然、水戸側の記録もあると。 つまりは美郷町の内部情報に原因があるのでしょう。 所説(諸説)ありで対応すべきなのに。
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地元の伝承では、秋田市や大曲、六郷などを行き来し、参勤交代があれば江戸に行く家だと言われていました。 江戸中期には大曲に住み、江戸後期になると村民の世話をしていたとも。 利庵という大曲に住む医者も当家の関係者だとされますが、ここについての詳細不明。
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