2018.09.15

ネットを騒がす陰謀論「田布施システム」の謎を安田浩一が解き明かす

「明治天皇の末裔」が背負ってきた苦悩

そこに、かつて「王国」があった

「そう、何かあるかもしれんねえ、この町には」

生真面目な表情でそう話すのは、地元の郷土史家・林扶美夫さん(82歳)だ。

林さんは陰謀論者でもなければ、安易にデマに加担するような人ではない。

古くから「田布施地方史研究会」の代表を務め、地元に関する歴史発掘に努めてきた歴史家だ。

当然、「田布施システム」なるものは一笑に付す。

そんな林さんでも、田布施には不思議な歴史の文脈が流れているのだという。

「かつて、このあたりは熊毛王国と呼ばれていました」

天皇すり替えどころの話ではない。

王国である。

ただし、弥生時代の話だ。

「熊毛地方(田布施を含む近隣地域のこと)は、かつて瀬戸内海の要所であり、人や文化の集積地点として栄えました」

大和朝廷が完成するまで、人口が集中する地域は独自の小国家をつくった。

そのひとつが「熊毛王国」だったらしい。

町内に古墳が多いことも田布施の特徴だ。

現在、確認されている古墳の数は85基。

山口県で最古の古墳である国森古墳も田布施の町はずれにある。

また、そうした海上交通の要所という"地の利”から、大和朝廷成立後も、朝鮮半島や中国大陸とは交易の中継点として繋がりをもった。

この地に渡来人が住み着くケースも少なくなかった。

「田布施システム」を"朝鮮人支配"と結びつける説も、実はそこが根拠となっている。

実際、7世紀の「白村江の戦い」(朝鮮半島の白村江を舞台とした倭国・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍との戦争)では、戦後、多くの朝鮮半島出身者が日本に渡り、その一部は田布施で下船し、そのまま定着したという。

「いまでも、その痕跡は町内に残っていますよ」と、林さんが教えてくれたのは、「神籠石(こうごいし)」の存在だ。

「要するに"朝鮮式山城"と呼ばれる遺跡です」

日本に渡った朝鮮半島の人々は、敵の来襲に備えて山城をつくった。

切り石を、レンガを積むように並べる手法は中国大陸由来とされ(万里の長城も同様の積み方である)、これが後に「朝鮮式山城」と呼ばれるようになった。

「つまりね」と林さんが続ける。

「遠い地域の文化が残されている。

人が行き来している。

こんな小さな町でも、歴史を紐解けば、世界と繋がっているんだよ」

林さんが「何かある」というのはそういうことだ。

神籠石が物語るもの

私は神籠石、つまりは朝鮮式山城を探すべく、町のはずれ、光市との境界にある石城山の山中に入った。

アップダウンの激しい山道を歩き、突然視界が開けたその先に、神籠石は残っていた。

確かに形状は「レンガ積み」だ。

日本の城壁で用いられる石垣(菱形の石を組み合わせた形状)とはまったくの別物だ。

田布施の山中に残る朝鮮式山城

こんな山奥に、朝鮮半島の文化が生きていた。接点があった。

「朝鮮人支配」などというバカバカしい偏見の正体は、おそらくこれだろう。

「支配」なんかじゃない。

これは、異なった地域が、国が、それぞれの歩みを進めながら、どこかで繋がっていたという証拠なのだ。
 
そうした文化の交差点で、たまたまふたりの総理大臣が輩出された。

権力構造を説明するに都合の良い「天皇すり替え説」が生まれ、それを信じる人々がいた。

それだけの話だ。

「システム」を匂わせるものなど、この町には何一つ残っていない。

田布施に残るのは、歴史の営みだ。

東アジアの槌音だ。

そして、歴史をつくってきた人々の息遣いだ。

整然と積み上げられた神籠石が、そう訴えているようにも思えた。

(文中一部敬称略)

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