引き裂かれた家族の物語
そのエネルギーに惹かれ、完全に理解を寄せた数少ない人々のひとりが、前述した鹿島昇(弁護士で『裏切られた三人の天皇』著者)だった。
鹿島は同書のなかで次のように書いている。
<筆者はかつて田布施町の地に大室家を訪れて、ご当主の近佑氏から事の次第を詳細に説明された。
「明治天皇は私の祖父の兄で、十六歳のとき維新直前に長州藩主に呼び出され、『マンジュウをつくりに行ってくる』といって出かけたが、京都に上って即位し、以後帰らなかった。
また明治10年に軍艦で家の水場(※筆者注:海岸のこと)近くにやってきて、艦上から姿を見せ、『ソクサイ(※「息災」)かあ』と叫んだ』という。
明治天皇はアンコをつくる職人として呼び出されたというのであるが、このような苦難の半生が、のちに国家の進路を定めるときに、エンジンを逆噴射させたのではないか>
鹿島が述べるところの「逆噴射」とは、その後に続く「天皇親政」の国家建設であり、戦争へと続く道のりのことだった。
鹿島はあくまでもリベラルの立場から大室天皇説に傾き、「田布施システム」の足場を固めた。
一方、近佑さんは、おそらく親に聞かされたであろう大叔父の物語を、ずっと信じていた。
軍艦から「ソクサイかあ」と手を振る大室寅之佑の姿を、幾度も想像していたに違いない。
マンジュウをつくりに出かけたら、天皇に祭り上げられてしまった大叔父。
悲劇とも喜劇ともつかぬ話は、近佑さんにとっては、連綿と引き継がれた「家族の物語」でもあった。
すり替え説を信じた郷土史家
鹿島氏以外にも、近佑さんを天皇の末裔だと信じ込む人がいた。
隣町の柳井市に住む郷土史家・松重正さんである。
松重さんは何度も大室家に通い、近佑さんから「秘話」を聞き出し、信じ込み、地域では数少ない「明治天皇すり替え説」支持者となった。
鹿島が「すり替え説」に基づいた本を書き上げることができたのは、地元の地理や歴史に詳しい松重さんの助けがあったからだ。
その松重さんも、2017年10月に92歳で亡くなっている。
ようやく探し当てた松重さんの長男(60歳)は、「親父が"大室天皇"を信頼していたことは事実です」と言葉少なに語った。
松重さんは若いころ(戦後まもなく)は日本共産党の活動家で、県委員会の幹部まで務めたという。
しかし党内抗争に巻き込まれて離党。
その後は自民党員となり、保守系政治家として柳井の市議などを務めたという。
「そうした経歴を持つだけに、権力を支えるものは何か、といったことを常に考えていました。
私にはよくわかりませんが、正史には存在しない"何か"を親父は"発見"してしまったのでしょう」
そう述べて、やはり困った顔を見せるのだった。
松重さんが「発見」したのは、近代日本の夜明け前に、