斎藤知事。評論家ではない稀な人間。

- -
安楽椅子に座りながら世界を語るのは、どれだけ気の利いたことを言おうとも、現実に何かを成し遂げることとは違う。評論家としての能力は無為なので、蔑まれるべきものである。そして、一億総評論家と嘆かれるご時世において、斎藤知事はかなり珍しく評論家的な気質が欠落している。これは彼の美徳であり、空虚な思想に誑かされない仕事人間ということだが、それが原因で、様々な困難に直面している。世界内存在として世界に接するに際して、仕事を仕事して片付けているので、物事を俯瞰して社会を物語ることがない。それがゆえ、説明能力が低い。物事を弁明する場合は、評論家能力が求められることもあり、美徳が欠点になってしまっている。斎藤知事が評論家としての鍛錬を積めばいいのかというと、そういうわけではないし、性格だから性格というしかない。マスコミは「コメント」を求めているのだが、斎藤知事はコメンテーターとしての能力が低い。記事にしやすいコメントを出してあげるサービス精神はなさそうである。マスコミが斎藤知事を攻撃しているのも、発言がつまらない存在というのが大きな理由だと思われる。これはマスコミの都合である。われわれは普通に生きていて、愚にもつかない冗談に辟易とすることもあるし、面白い話はしない人のほうが精神衛生上よろしいこともある。物静かな人間と接して「これでは記事にならない」と不満を持つこともない。ワイドショー的な都合でマスコミが動いているから、こうなっている。
ページトップ