働く環境
KICHIRI
キャリア
ストーリー
最初の担当は「揚げ場」
油と向き合ってきたと思ったら
実は向き合っていたのは
「理念」 だった。
海外直営外食事業会社
代表
城所 将太
好きな言葉は「なにもしない後悔より、やってからの後悔」。
神奈川出身で立命館大学卒業後、日本屈指の高収益企業の営業として就職。その後、きちりへ転職。幼稚園から大学までサッカーをしていた。ポジションはボランチ。サッカーを通じて学んだ試合の流れをコントロールする舵取りの役割が仕事でも活きている。
アルバイトでやっていたし、
店舗研修をすぐに終えて
店長になれる。
と高を括っていた。
転職活動していたとき、きちりの求人を見つけて面接を受けた際の面接官がアルバイトの時の立ち上げトレーナーだった。
その方が関東営業部長(現社長の平田)となり活躍している姿を見てきちりに入社を決めた。
アルバイトでは一通り店舗業務はできていたのですぐに店長としての業務ができると思っていた。
実際は一店舗目の配属店舗では揚げ場しかすることがなかったと語っている。
2店舗目池袋東口店での思い出はたくさんあるが、
臨店してくれた平田部長が洗い物を下げる場所を綺麗にしながら「こういうところをきれいにすることが大切」
と一緒に手伝ってくれたことを懐かしんでいた。
KICHIRI恵比寿店配属。
当時の上司 (店長) は
年間MVP受賞歴のある
スーパースター店長であった。
城所が入社した当時は関東に店舗を拡大している最中であった。
KICHIRI恵比寿の店長は販促(グルメメディアなど)にコストをかけずに利益を右肩上がりにしていたスーパースター店長の井上。
いわゆる関東を代表する店舗に配属されたことに城所は誇りと自信をもっていた。
しかし、店長の井上から言われたのは、企業理念の「大好きがいっぱい」を体現できるようになるまで揚げ場から一歩も出さないという方針であった。
入社初日から理念について一対一で2時間も研修をしてくれただけでなく、全てのスタッフに理念を対面で伝えている姿を見て、アルバイトの視点で見ていたきちりとはまた違うきちりを見ることになったのであろう。
後に城所は、この経験があったからこそ、次の店舗で店長代理をする際に、アルバイトの方と向き合うことの難しさや、大切さを実感したと語っている。
人にしか作りだせない価値である「おもてなし」はお客様だけではなく、従業員にも提供して血の通ったチームにしていくことこそがチームビルディングの秘訣であることを学んだのが今日の成功に繋がっている。
関東 No.1 集客店舗の店長。
そしてKICHIRI FORUM初代監督。
一気に店舗数が増え規模拡大するにあたり、従業員数も増える。そんな時にいかにして「おもてなし」に熱狂できる集団にしていくかが課題であった。
その課題に最も直面しやすい関東で一番集客のある大型店舗の店長を任された城所はFORUMの開催を提案。店舗が離れていて知らない人が増える中、定期的に集まって仲間にスポットライトを当てて感謝を伝えたり賞賛できるようなイベントにしようと声を挙げた。
初めてする事には混乱や反対意見も出てくるがここで彼のボランチをしていた経験が活きる。やりたいという気持ちが強いメンバーと保守的な考えをもつメンバーの舵取りを見事に駆使して大成功に導く。この成功がなければ今もなお続くKICHIRI FORUMはなかったかもしれない。
そんな活躍と業績貢献のおかげで社員総会ではゴールドMVPを取るだけではなく、エリアマネージャーからスーパーバイザーのサプライズ人事通達が行われ、海外進出への道が用意された。
インドネシアへの展開。
リーダーであり、
子会社経営者であり、開拓者。
日本の店長としての経験を全て活かしてきた。
スーパーバイザーになってから、日本の大手総合商社とイタリアの小売・外食事業大手の3社で合弁会社の副社長を経て、ジャカルタを拠点にしたきちりの海外子会社の社長に抜擢。
日本とインドネシア国交60周年も相まって多くの地元メディアに注目を浴びることに。
その華やかな店舗出店の裏ではまだ店舗が完成していない工事中の合間に仮説の事務所で0(ゼロ)から会社を作り上げている城所の姿があった。
努力では夢中の状態に勝てない。
夢中になることが成長成功の秘訣。
よく、なぜここまで努力ができたのかと聞かれることがあるという。城所はいつも一貫して答えている。
特に理由はない、気が付いたらここにいたという感覚。
夢中になっている状態であるということ。
転職した理由として、どんな大人になりたいかと自分に問い、当時の会社では実現できないとなった時に、きちりの営業部長(現社長の平田)と面接で出会い、この人みたいな成長の仕方をしたいと思い全く違う業界に飛び込んで夢中になれた。
成長する為に現れたハードルは数知れない。
時間がないなら作るしかない。
自分にスキルがないなら学べばいい、知っている人を頼る。
できない理由ではなく、できる方法を常に考え行動する。
今の目標は?と聞いて出てきたのがどこの国でも通用する人になりたいという目標であった。
アフターコロナになり海外事業が活性化している。
新規出店のチャンスと共に彼はさらに成長しているにちがいない。