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敗戦直後の「地獄」は、物資の隠匿に狂奔したエリートの不正によってもたらされた〔後編〕 貴志謙介『戦後ゼロ年 東京ブラックホール』より

 五輪イヤーの実相に迫るノンフィクション『1964 東京ブラックホール』の刊行を記念し、前編に引き続いて、著者・貴志謙介氏の前著『戦後ゼロ年 東京ブラックホール』の第三章「隠匿に狂奔するエリート」を公開します。
 焼野原となった東京では、敗戦の年の国家予算に相当するほどの物資が隠匿され、結果、庶民の生活はひっ迫しました。ヤミ物資の存在を聞きつけ、市民たちは元陸軍倉庫や外務省に押しかけます。彼らを待っていたのは、ごまかそうとするも馬脚を現す旧軍人、禁制品の酒瓶はじめ大量の‟証拠”を眼前にシラを切る役人でした――。
 マサチューセッツ工科大学名誉教授のジョン・ダワーが「国民に対する悪質な犯罪」と評した、戦後日本の構造的腐敗の原点を見ていきます。

※本文中の筆者もしくは編集部による注は( )で示し、引用箇所の注は[ ]で示しています。また、漢字は原則として旧字体は新字体に、歴史的仮名遣いは現代仮名遣いに改め、句読点・読み仮名を適宜補いました。

横領は占領開始後も続いていた

 隠匿物資をめぐる驚くべき物語はまだまだ続く。
 ヤミに消えた資産は、敗戦直後の2週間に消え去った軍需物資だけではなかったのである。占領軍は、上陸から数か月の間に旧日本軍から引き継いだ資材である、いわゆる「特別物資」を、「公共の福祉と経済復興のために使用する」という条件で、日本政府に引き渡した。
 物資の大半は「建設資材と機械類」であり、その管理は、「内務省から委任された財閥系企業の五人の代表からなる委員会」に任されたが、莫大な価値を持つ特別物資に、またしてもハイエナが群がり、またたく間に行方不明になってしまったのである。
 当時の大蔵大臣・石橋湛山は、この不祥事につき、1947年に国会で答弁に立ち、「一〇〇〇億円の価値あるものがどこに行ったのか知る者はひとりもいない」と述べた。さらに次のような主旨の証言をしている。
「降伏当時、日本政府からGHQに移管し、その後占領軍が日本に引き渡した[返却した]物資、いわゆる特別物資のリストを受け取った。これらは、価格として一〇〇〇億円相当であった」(「衆議院 隠退蔵物質等に関する特別委員会議録第八号」、昭和22年8月13日)
 1000億円と言えば、敗戦の年の国家予算に匹敵する莫大な金額である。しかし、当時、GHQ経済科学局の顧問を務めていたコーエンは、石橋が証言した1000億円という数字は、過少に見積もられており、1945年のレート(1ドル=15円)で計算すれば、少なくとも2000億円はなければならないとする。
 さらにコーエンは、米軍から返却されたのちに横領された特別物資と、先に述べた隠匿物資はほぼ同じくらいあったとも指摘している。とすれば、両者を合わせれば、行方不明の物資は4000億円相当に上ることになる。
 コーエンの試算によれば、消え去った物資の総額は、「一九四七年のレートで日本の全工場および鉱山の総生産額のおそらく二年分に匹敵」するもので、「二二億ドル弱に達した七年間の占領全期間中の対日米援助総額をも超えるもの」であった。いずれにしても、現在の値打ちに換算すれば、数十兆円を超える気の遠くなるような莫大な資産である。もっともコーエンは、それでもすべてというわけではないと言う(『日本占領革命』下巻)。
 こうした資材は、ヤミ商人を通じて、そのままヤミ市に流れたか、あるいは軍の倉庫、廃墟、防空壕、山奥、洞穴、地下、海底など、ありとあらゆる秘密の隠し場所へ持ち込まれて、隠匿された。ヤミ市に流れた物資はいかにも多種多様で、膨大な工業製品がふくまれる。むろん元は軍需物資として保管されていたものである。
 シャラーは、さらに次のように語る。
「略奪された物資はブラックマーケット[ヤミ市]を大きく成長させる材料になりました。しかしヤミ物資を手に入れる影響力もお金もない庶民は、ただお腹を空かせるばかりでした。戦争中、耐えがたい苦しみを味わったふつうの日本人にとっては、まったく悲劇と言うほかありません。戦争、そして敗北という多大な犠牲を払ったのに、また新たな犠牲を強いられることになったのですから」
「一方で、犯罪組織と政治家、そして軍人は、ヤミ市に物資を横流しして、ひと財産を築きました。占領が始まってからおよそ2年間も、こうした悲劇が続いたのです」

 事実、庶民は、戦時中よりも苦しい暮らしに追いやられた。ヤミ物資の横行によって凄まじいインフレが進行し、産業が復興する見込みもなく、失業者は1300万人に達した。その結果、ヤミ市ばかりが繁栄するという悪循環が進行した。
 しかし隠匿物資を横領した軍人・実業家・官僚・政治家にとって、こうした状況を利用して儲けることは特権の一部であり、したがって、事態の改善は一向に進まなかった。

板橋事件――旧軍人の醜態

 翌年(1946)1月21日、板橋区御代の台の元陸軍造兵廠倉庫で、軍人が隠していた物資が大量に見つかった。事情を知らされて怒った周辺の住民3000人が現場に押しかけた。
「見つけたぞ隠匿物[略]造兵廠に押寄せた三千」
 23日付の「朝日新聞」に、大きな見出しが躍る。造兵廠の倉庫で「大豆三百八十俵、木炭四百五十俵、大量の米やゴムが見つかった」というのである。あとから調査した結果、隠匿物資がさらに大量に見つかったこの顚末(てんまつ)は「日本ニュース」でも取り上げられ、センセーションを巻き起こした。ナレーションはこうだ。
「押しかけた人々の目が見つめるもの。のどから手の出るほどほしい物資が山と積まれております。大豆380俵、木炭450俵、その他、米、靴の底革、ゴム底など、こんな物資が東京都板橋の元陸軍造兵廠の寄宿舎の湯殿や防空壕のなかに、職業軍人によって隠されておりました。この不正を暴いた生活擁護同盟では、板橋、滝野川、豊島の区民に訴えかけ、隠匿物資を人民の手に渡せと要求。ついにマル公[公定価格]の半額で分配を始めました」
 このとき、造兵廠の責任者・小林軍次元陸軍少将は、詰め寄る群衆に偽の書類を見せてごまかそうとする大失態を演じた。しかし姑息なごまかしはすぐに馬脚を現し、住民の怒りの火に油を注ぐ結果を招いた。
 テレビのない時代、映像メディアと言えば、映画館で幕間(まくあい)に上映される「日本ニュース」「毎日ニュース」「朝日ニュース」などのニュース映画が主役であった。映画の黄金時代ゆえ、多くの国民が板橋事件のニュース映像を見ていたはずだ。映画館の画面いっぱいに隠匿物資の山が映し出されたとき、自分たちの苦しい食生活を思わなかった者はいないだろう。旧軍人の背信行為に憤りが湧き上がってきたに違いない。
 板橋事件がきっかけとなり、各地で次々に、隠匿物資が見つかった。ニュース映像の続編を見れば食糧や毛布、ありとあらゆる隠匿物資が見つかっていたことがわかる。こうした物資がヤミ市に流れ、高値で売られていたことも明らかになった。
 だが、隠匿物資全体から見れば、これはほんの一部、大海の一滴に過ぎない。

外務省にも隠匿物資が

 1946年5月6日、外務省にヤミ物資が隠されている噂を聞きつけ、関東食糧民主協議会ほか労働団体の市民300人が押しかけた。メーデーに50万人の労働者が集い、食糧問題の打開を訴えて血の叫びを上げた直後の出来事である。この隠匿事件もニュース映画に取り上げられた。
 応対した事務次官はシラを切ったが、カメラは部屋の片隅に無造作に置かれた禁制品のウイスキーを見逃さなかった。さらにカメラは、倉庫に隠されていたみそ、醬油、米、炭などヤミで蓄えた山のような隠匿物資をとらえた。役人としては冷や汗をかいてもおかしくない場面と思えるのだが、事務次官はあわてず騒がず、物資の隠匿を認め、調査を約束した。
 しかし、その後、調査を進めた形跡はない。外務省が隠匿物資の元凶というわけではない、とでも言わんばかりだ。それにしても、民が飢えで苦しみ抜いているときに、エリート官僚が大量の禁制品を半ば公然と倉庫に貯め込んでいたのである。山積みになった禁制品の酒瓶はじめ、証拠が眼前にあるのに、のらりくらりといいわけをする厚顔ぶりには恐れ入る。
 占領軍は、総力戦の遂行に狂奔した日本の官僚をそのまま温存して統治を行った。官僚たちは、無傷のまま、戦後を生きのびた。憲法が新しくなっても、「公僕」という感覚が根づくはずもなく、大衆を高みから見下ろす尊大さも、そのまま生き残ったのであろう。
 そもそも政府による隠匿物資の摘発は、占領軍の視線を意識した見せかけのポーズであって、官僚組織も警察も本格的な不正の追及などやる気はない。要するに、組織を挙げて、暗黙のサボタージュを続けていたのである。本気になって調査すれば、いずれ自分たちの首を締めることになる。「赤信号みんなで渡れば怖くない」の世界なのである。
 ジョン・ダワーに、この問題についての見解を質した。彼は、言下に、この事件を「国民に対する悪質な犯罪」と断定した。
「何百万もの復員兵の多くが病気で苦しんでいるときに、政府の役人や警察、資産家たちが軍需物資を横領しました。それらの物資はどこかへ隠匿されるか、もしくはヤミ市に横流しされました」
「そのため国民の生活は苦しくなりました。これは国民に対する犯罪です。このような罪を犯した政府の指導者を尊敬すべき理由がどこにあるのでしょうか」

隠匿物資が東京地検特捜部を生んだ

 軍需物資の横流しは、政府の暗黙の了解の下、内密に行われ、国民には実情が隠されていた。あからさまな軍人の行為を目撃し、不正に気づいた国民もいたけれども、政府の中枢にいない限り、横領の全体像はわからない。
 その組織的なたくらみが広く一般に知られるようになったのは、1947年7月25日、遅ればせながら衆議院に「隠退蔵物資等に関する特別委員会」が設置されてからである。委員会は、隠匿物資問題について全面的な調査に乗り出し、GS(民政局)のコートニー・ホイットニー局長、チャールズ・ルイス・ケーディス次長とフランク・ヘイズ中佐はこの動きを支援した。コーエンは調査の結果を要約してこう記している。
「SCAP筋と、加藤勘十の[隠退蔵物資等に関する]特別委員会が明らかにした日本側の資料をつなぎ合わせたところによると、次のような真実が明らかになった。つまり、戦争末期に残された大部分の軍需物資は、たんに盗まれてしまったということである」(『日本占領革命』下巻)
 危惧されたとおり、隠匿物資の摘発は、思うように進まなかった。のちに国会に設けられた特別委員会の報告書を見ると、そのことがよくわかる。調査に当たった担当者たちは、事件の調べが進むにつれ、上は内閣、中央官庁に始まり、あれこれの代議士、札付きの政治の黒幕たち、新興成金、そして下は地方の下っ端の官吏や警察官まで、あらゆるレベルから著しい反発を受けたと記されている(「衆議院 隠退蔵物資等に関する特別委員会報告」、昭和22年12月20日)。
 先に述べたように隠匿された物資は、ブローカーの手を経て、ヤミ市で‟処分”されたが、そうした取引で得られた莫大な資金がしばしば政治家に流れたことも指摘されている。献金を受けた政治家は、旧支配層と結託し、戦後政治の舞台裏で暗躍を始める。すでにそうした癒着構造ができあがってしまったあとに、隠匿物資を取り戻すなどという号令を発しても手遅れであり、事が成就する見込みなどあるまい。
 コーエンは、隠匿物資の摘発をめぐって、GSのなかで、どのような動きがあったかを記録している。それによれば、遅まきながら、「一九四七年八月、ホイットニーGS局長が個人的にこの問題に関心を示し始めた。それから数か月、ホイットニーGS局長、ケーディスGS次長およびその補佐官たちは司法省および検察当局とたびたび会合し、隠匿物資摘発調査に協力することを申し合わせた。検事総長のところには新たに千五百人以上の調査官が増員され、特別調査本部が各地域ごとに設立された」という(『日本占領革命』下巻)。
 隠匿物資に関する特別委員会は、新たに不当財産取引調査特別委員会に改組され、引き続き活動した。
 ちなみに後年、この組織が、ロッキード事件はじめ数々の疑獄事件にメスをいれる組織「東京地検特捜部」へ発展する。GHQきっての敏腕オフィサーであったケーディスは、1948年2月、捜査官を集めて、異例の訓示を行った。隠匿物資をめぐる調査の意義を「法の下での平等を実現することである」と宣言し、彼らの奮起を促そうとしたのである。
「明治憲法や徳川将軍の時代には庶民を大切に扱わず、お偉方に対しては罪がおよぶことのなきようにせよ、という状態が続いてきた。再び、権力者が罪を問われないままで終わるのかどうか、世界は注視している」(Political Reorientation of Japan September 1945 to September 1948)
 だが、GHQには、ケーディスを目の敵にする者がいた。右翼や軍国主義者を擁護するG2(参謀第2部)を牛耳るチャールズ・ウィロビーである。ウィロビーは、GSへの協力を拒み、あるいは妨害した。GHQ内部の派閥争いによって足並みが乱れ、隠匿物資の横領事件への摘発は、結果として、挫折してしまう。

闇の人脈が、多くの疑獄事件をもたらした

 コーエンは、『日本占領革命』のなかで、敗戦後の日本における隠匿物資の横領を次のように位置づけた。
「これはおそらく国家の持っているものを市民が盗んでいった例としては、近代に入ってから最大の例であろう」(『日本占領革命』下巻)
 軍人やエリートによる数兆円の略奪。コーエンは、近代史上まれに見る組織的な不法行為によって、敗戦で弱体化していた戦前の支配層が息を吹き返し、戦後社会の実権を奪うきっかけを得たと見る。
「大恐慌をきたしていた軍部は初めから放出できるものは何であれ、手近なチャンネルを通じてできるだけ早急に処分しようとしていた。こうしたチャンネルは、戦前の日本社会の権力者たちによって支配されていた。その結果、当然のことながら、軍の放出物資は日本の旧体制を強化することになった」(同前)
 国会に設けられた隠匿物資の特別委員会は、予算にも恵まれず、権限もなかったにもかかわらず、多くの捜査官を動員して、この問題に真摯に取り組んだ。彼らは、ケーディスの協力もあって、高い調査能力を発揮し、深層に迫り、横領が社会や経済におよぼした脅威を告発した。
 しかし、隠匿物資を取り戻すことには完全に失敗した。横領した軍人やエリートが罪に問われることも一切なかった。委員会の調査報告は、こう締めくくられた。
「戦争中軍閥と協力し、終戦時の混乱を利用して、自己の関係せる軍需工場の物資を横領し、巨万の富を積んだ者もいる。彼等のあるものは政界にも足場を築くために、自身選挙にうって出たり、関係深い者を身代り候補に立てたりした。かかる人々は民主主義の仮面をかぶってはいるが、一皮はげば、国家経済をいつまでも混乱させておこうとする醜い闇商人である。[略]
 これ等の物資を正当なルートに乗せようとする努力はすべて不正取引と法律の不備により、さまたげられて来た。[略]
 終戦時の軍需物資処理を繞(めぐ)り、多くの不正行為があった。多くの人々が成金となり、闇市場の温床がつくられた」
(「衆議院隠退蔵物資等に関する特別委員会報告」)
 隠匿物資の横領は、経済ばかりでなく社会のありかたをもゆがめた。地位と特権に恵まれた旧支配層を潤(うるお)し、ヤミ成金を生み、資金は政治家に還流する。それが政官財の腐敗構造を生む。その仕組みと人脈は戦後社会に組み込まれ、長く生きのびた。事実、戦後の疑獄事件の多くが、そうした闇の人脈がかかわって続発した。
 ちなみに不当財産取引調査特別委員会は、復興資金の不正融資をめぐる疑惑にも調査を広げた。そこから、占領軍の一部を巻き込んだ昭電疑獄(1948)、若き日の田中角栄が取り調べを受けた炭鉱国管疑獄(1947〜48)などの、巨大なスキャンダルが表沙汰になる。そして、こうした政官財の絡む疑獄事件の摘発も、イタチごっこのように果てしなく繰り返されていくことになる。
 ジョン・ダワーの指摘を待つまでもなく、まさしく隠匿物資の横領事件は、「戦後日本の政治経済体制の礎石のひとつとしての構造的腐敗を確立させた」のである(『増補版 敗北を抱きしめて』上巻)。
 食糧難、失業、生活苦にあえぐ人々は、国家のエリートによる空前の横領事件に対して、まったく無力であったのだろうか。
 敗戦後、堰(せき)を切ったように世の中にあふれた雑誌や新聞には、食糧や資材を隠匿し、ヤミで太る特権階級に対し、激しい怒りをぶつける記事が増えた。多くの人々が国家の不正に対し声を上げ、抗議を繰り返したことは、戦時中を思えば、画期的なことであったかもしれない。少なくとも、人々は、国家の中枢で権勢をふるうエリートの内実について、多くの真実を学んだに違いない。
 しかし結局、大衆の怒りは天に届かず、理不尽な横領が罰せられることはなかった。大量の隠匿物資や食糧の大半は、摘発されることもないまま、戦後ゼロ年のブラックホールのなかへ、永久に消え去ってしまったのである。

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プロフィール
貴志謙介(きし・けんすけ)

1957年生まれ。1981年、京都大学文学部卒業後、NHK入局。ディレクターとしてドキュメンタリーを中心に多くの番組を手がけ、2017年に退職。主な番組に、NHK特集『山口組』、ハイビジョン特集『笑う沖縄・百年の物語』、NHKスペシャル『アインシュタインロマン』『新・映像の世紀』など。著書に『戦後ゼロ年 東京ブラックホール』、共著に『NHKスペシャル 新・映像の世紀 大全』(どちらもNHK出版)など。

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