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2024年8月 2日 (金)

高良玉垂宮神秘書 10 番外 ~高良神と神功皇后の異類退治 ②~

 

今回も概要なので、詳細はアメブロの記事で。

高良玉垂宮神秘書 10 番外 ~高良神と神功皇后の鬼退治 ②

 

次回で「高良玉垂宮神秘書」の回は最後。
神秘書で唯一、異類退治が記載された場所を記す。

この回は、番外編として、神秘書に記された「以外」のものを幾つか記載。

詳細は上記、リンク先にて。

 

異国征伐の時に干珠満珠にて国土を治め給う。

高良神と神功皇后は、筑紫において異類退治をしていた。

彼らのそれは数多あるが、様々な形、神の名を変えて伝えられ、一つだけを見ると分からない。
全てを俯瞰すると見えてくる。

 

尚、記紀による「神功皇后が筑紫にいた一年ほどの期間」では、これらの伝承をすべて成し遂げることはできない。

☆1 志賀島の志賀海神社の伝承。

☆2 「命ツクシ神」=羽白熊鷲の話。

大根地山の麓の冷水峠に出没。

周辺の神社の伝承から、彼らに繋がる。

大根地山の神功皇后。
筑紫神社の筑紫神、玉依姫。
筑前国風土記の甕依姫。
荒穂神社の五十猛命。

 

☆3 朝倉の二つの美奈宜神社の伝承。

上の羽白熊鷲とは別と思われる。
二つの社の神は同神。

☆4 射手引神社の伝承

☆5 福岡県の福津に伝わる伝承。

*楯崎神社の大己貴神と宗像神は、異類を退治していた。
後に神功皇后。

*波折神社では、住吉神、瀬織津姫、神功皇后が鼓島で邂逅する。

 

☆6 他に雷山など

 

 

 

 

( つづく )

 

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2024年7月26日 (金)

高良玉垂宮神秘書 9*高良神と神功皇后の異類退治 ①

彼らは異類退治をしていた。

「祓いの神」住吉と瀬織津姫は、彼らの別名であり、それが由縁である。

☆前回の記事

(「高良玉垂宮神秘書 8*ここまでのまとめ

****

一年ほど空きました。

ほったらかしは忍びないので、概要のみ書きます。
(そのまま書くとGoogle にダメ出しくらうので)

気になられた方は、アメブロの記事に飛んでください。

(「高良玉垂宮神秘書 9*高良神と神功皇后の異類退治」)

 

「高良玉垂宮神秘書」では、高良神は異類退治をしていた。

何度も「異類」の名はあるが「彦権現」と記載されているのは二カ所のみであった。

その一つ。

異類の攻め来るぞ、と思し召し。(中略)
ほどなく、行て彼人にはむ、高良のたまわく、人形を、と仰せけるにより、それより人形とは名付けたり。
彦権現、異国人にてまします間、彦権現はかりごとを成し給う。
それにより国を司ることなし
諸国旦那はつをもつはらとするなり
高良の彦権現は、もつはらの敵神なり
(「高良玉垂宮神秘書」解読、抜粋)

人形原の由緒となる記述。

高良神はこの地まで来た時に、人形(ひとかた)を見る。
異類かと思ったら、人形原にある石人であったというわけだ。

 

異類とは「彦権現」のことであった。

この地には、古墳があり、石人がある。
しかしそれらが作られたのは、高良神よりも後の時代の事。

おそらく、古墳の主との縁(子孫など)を伝えるものかもしれない。

 

この項で、高良神は方々を廻る。

神功皇后らが亡くなった後のことのように書かれているが、それらの地は、彼女の伝承地であった。

 

もう一カ所は「高良峰」。

こちらは後に、記載。

 

( つづく )

 

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