Diary
11月25日(月)
今月前半、妻が出張中の父子二人生活の際には、かなり安定して過ごしていた子どもだったが、妻が帰国直後からあからさまに一転してしまった。
こうした変化については事前に予想していたものの、変化の振れ幅が予想外だったため、身体的にも精神的にも完全に参ってしまい、先週は日記を書く気にもなれなかったわけである。
うむ。
そんな折、実は先週末から台灣旅行を予定していたのだが、こうした子どもの状況もあり、しかも今回は同行者もいるのでちょっと難しいのではないかと懸念を抱いていたところ、同行者の方から心強い励ましの言葉や協力の申し出があったので、思い切って決行した。
ところが、到着初日から子どもが熱を出してしまい、結局、帰国までのほとんどの時間、私と子どもはホテルで缶詰。妻と同行者が朝昼晩とホテル周辺の食堂から様々な料理をテイクアウトしてくれたおかげで、台灣ならではのまた違った楽しみを得ることができたことが、唯一の慰みであった。
なかなか熱が下がらなかったため、一時は帰国も危ぶまれたのだが、フライト直前になんとか解熱。昨晩、無事に帰国した次第である。
まあ、そんなこんなで、当初の懸念とは違った問題で悩まされる結果とはなったが、妙な形の気分転換にはなったわけで、いやさて今週はどうなることやら。
あと海外旅行で身体が鈍るなんて、これが初めての経験だ。
とは言え、今回の旅行で一番記憶に残っているのは、哀しいかな帰りのフライトで観た『マッドマックス:フュリオサ』でしょうか。
ちなみに帰りのフライトは、映画の上映時間と同じ2時間20分ぴったりで羽田に帰ってきました。早い。近い。
11月1日(金)
授業には参加しないし、宿題もできないし、このまま学校に行かない、なんてことも言い出しかねないと思っていたので、万が一のことも考え、とある通信教育の無料体験サービスに申し込んでいた。
この通信教育は、以前、不登校のお子さんを持つ友人から教えてもらったのだが、ほとんど行くことのできなかった小学校の学力は、この通信教育のおかげで問題なく身についたそうだ。今現在、お子さんは高校受験真っ只中で、志望校目指して頑張っている、とのこと。
そんなわけで、うちも良い機会なので、ものは試しにと申し込んでみたのだが、ちょうど昨晩、学習用のタブレット端末が届き、早速、国語と算数の問題に積極的に取り組んでいた。
まあ、学校も通信教育も、まだどうなるかは分からないが、学ぶ意欲や喜びを失わないようにはしてやりたいと思う。
うむ。
ちょうど今朝の新聞の一面に「不登校小中学生 過去最多 約34万超」とあった。子どもは減っているにも関わらず、不登校は11年連続で増加している。しかも、この5年で約二倍の増加と言うのだから、今の学校の在り方に決定的な問題があることは確かだ。
私が子どもの小学校の様子をパッと見ただけでも、教員の待遇や人員不足、指導内容とは矛盾する管理型教育、子どもたちへの過剰な課題負荷などなど、どれひとつとってもかなり深刻な問題だと感じることばかり。
子どもが増えるか減るか以前に、子どもにとってはただ辛く険しい茨の道が続くだけなのだ。
もちろん親にとっても。
昨日も学校や学童で問題なく過ごせたようです。とりあえず、今日さえ乗り切れば、この一週間は何事もなく過ごせたことになります。
子どもに関わる周囲の大人や友だちの丁寧で温かい対応の影響も大きいと思いますが、子ども自身の変化も大きいように思います。
子どもの成長は早いです。
11月2日(土)
問題なくやり過ごすことができそうなこの一週間だったが、週末金曜日になって、学童クラブからの退室通知が予定時間を過ぎてもなかなか届かず、学童からも連絡が無い。
この様子だと、おそらくまた何かトラブルがあったのだろう。まあそう簡単に、こちらの期待通りに上手くいくわけないよな、と思いつつ、心の奥で淡くじんわり落胆が広がっていく自分の正直さも肯定してやる。
学童に迎えに行くと、職員の方に付き添われて明らかに落ち込んだ様子の子どもが姿を現した。シャープペンシルを無くしてしまい、探していたら帰りが遅くなってしまった、とのこと。残念ながらシャープペンシルはまだ見つからず、できれば学校に探しに行きたい、とのこと。
うむ。
トラブルと言うほどのことでは無かったので、少しホッとしつつも、今から学校? 週明けじゃ駄目? というのが正直な気持ちだったが、職員の方が一緒に探しに行こう、と言ってくださるので私も同行。
結局、教室でも見つからず、そのまま帰ろうとなったのだが、週末に持ち帰るはずの体操着や上履きを学童クラブに忘れてきたことに気付き、学童へとんぼ返り。
果たしてなんと、体操着や上履きを入れた手提げ袋の中から、シャープペンシルを見つけ出したのだった。
うむ。
クラスの仲良し三人で、先生に内緒でこっそり使っているシャープペンシルということは知っていたので、とても大切にしているのは分かる。分かるだけに、だったらもっとさぁ、となってしまう。
しかし、嫌な顔ひとつせず、この探索に終始ずっと付き添って下さった職員の方には、本当に頭が下がるばかりだ。できることなら年収三億円ぐらい貰って欲しいと思う。本当に。
この帰り道に子どもから「明日は〇〇ちゃんちに〇〇ちゃんと一緒に泊まるから」と突然言われました。「みんなの親は了解済みなの?」と問うと、「うん、みんな大丈夫だって」と自信を持って返されたのですが、その時はまだ半信半疑でした。
家に帰ってから、泊まる予定の友だちの親御さんに確認してみると「16時以降でお願いします」とごく当然な感じの返事がきて、逆に驚いてしまったのですが、今朝方「下の子が発熱したのでお泊り会は延期にして下さい」という連絡があり、結局、中止になってしまいました。
子どもの言葉を少しでも疑った父をお許し下さい。
11月4日(月)
今朝、妻が海外出張に行ってしまった。
しばらく帰って来ない。
去年も妻は同じ時期に出張に出たのだが、見送りに行った際に子どもが大号泣してしまい、先行き不安な幕開けとなってしまった。
そんなこともあったので、今年は子どもの方から見送りには行かないと決め、波乱の幕開けを意図的に回避したのだった。
うむ。
子どもが微妙な時期なだけに、妻は後ろ髪引かれる心境で家を後にしたようだが、こんな時に限って、今週は私も客先に出向かなければならない仕事があり、直帰できる体制を常にとることができない。
ただその一方、先週は特に大きなトラブル無く過ごせた、という心強い事実もあることはある。
もちろん、だからと言って今週が大丈夫とは限らないのだが、考え出したらキリがないので、とにかく、その場その場を乗り切るしかない。
それによくよく思い返してみると、育児なんてその場凌ぎの連続だったではないか。こちらの思惑や期待なんて、いつも見事に裏切られてきた。
今日は午後から友だちが遊びに来てくれて、「ひま つまんない」の無限波状ループからは逃れることができました。
というわけで、明日からしばらく父子生活です。
11月5日(火)
というわけで、父子生活二日目。
昨晩、深夜に子どもが怖い夢を見た、と言って起きてきて、そのまま私のベッドで一緒に寝た。久しぶりの添い寝。
起きてくる直前に小さな地震があったので、それで目覚めてしまったような気もするのだが、母不在の影響も少なからずあるのかもしれない。
うむ。
私の出勤が子どもの登校時間より少し早いので、今週は朝の一時間だけ毎日時間休暇を使う。
就業時間に5分か10分遅れるぐらいのことなのだから、少しは融通きかせてくれよ、とも思うのだが、憐れなサラリーマンは管理社会の哀しき習性に従うしかない。共依存ズブズブの憐哀関係。
うむ。
そんなわけで、三連休による生活リズムの崩れと深夜の悪夢の影響で、今朝は遅めの起床。週はじめでもあるので、どんな感じで起きてくることやらと身構えていたのだが、意外とあっさりめ。
朝食もしっかり食べ、妻とビデオ通話をし、ポケットにラムネ菓子を忍ばせ(いいのか !?)つつ、送り出しに不慣れな父に文句を言いながら、友だちと一緒に元気に登校していった。
とにかく、学校からも学童クラブからも連絡がないことを祈るばかりの父である。(学童クラブから入室通知が届くとだいぶ気が楽になります)
見送りになってしまったお泊り会が、近日中、妻の不在時に行われることになるかもしれず、まさか、こんな形で一人で過ごす夜が来ようとは、思いもよりませんでした。
まだ分からないけど。
11月6日(水)
父子生活三日目。
週はじまりの昨日は、何事もなく帰宅した子どもだったが、取り組み途中の通信教育を入浴のため切り上げなければならなかったことに臍を曲げ、その後も少し強い言葉で私に八つ当たりをしてきたので「いくらなんでも父ちゃんだって傷つくよ」と注意したところ、号泣してしまった。
一人で家事をこなさなくてはならないという逸る気持ちが先に立ち、子どもに対して急かすように声掛けしてしまった部分もあったので、私も少し反省しつつ、でもやっぱり譲れないところはしっかり伝えるようにしようとも思うのだった。
うむ。
ただやはり、しばらく父子二人きりの生活なので、なるべく無益な衝突や不毛な摩擦は避けようと思い、今朝はもっと子どもに寛容になろうと思いを新たにして目を覚ましたのだが、子どもは朝からテレビを見ながら30分もかけておにぎりひとつを食べ終えた挙げ句、登校直前に時間割の荷物の整理をしはじめる始末。
そこまでは私も心穏やかに対応していたのだが、登校時間が過ぎているのに、友だちを待たせたままトイレに行ってしまい、トイレから戻ってきてもラムネ菓子を持って行こうとぐずぐず選びはじめたので、流石にこれは譲れないと思って「友だちを待たせているんだから、もういい加減にしなさい」と注意したところ、見事に決裂。
色々と言い争っているうちに「トイレなんていつ行くか分かんないんだからしょうがないじゃん!」と子どもが論点をずらしはじめたので、「トイレの話なんか誰もしていない!」と遮ると、「もういい!」と言って、何も持たずに家を出ようとしたので、それ以上は何も言わずに放っておいた。
すると、しばらくして乱暴に支度を整えたかと思うと、友だちを置いて一人で学校へ行ってしまったのである。
うむ。
まさに無益と不毛が勢揃いの朝なのであった。
そんなわけなので、とにかく今日も、学校からも学童クラブからも連絡がないことを祈るばかりの父である。
一時間の時間休暇を取っているため、朝はかなり余裕があるのですが、こういう事があると一気に疲れてしまい、何も手につかず無駄に過ごしてしまいました。
うちの子は時間管理が苦手なのですが、放置しようが対応しようが、いずれにせよ何かしら衝突か摩擦が生じるので苦労させられます。
子育てって何なのでしょうか。
11月7日(木)
父子生活四日目。
色々あったけれど、二人での生活がようやく軌道に乗ってきて、なかなか良い感じになってきた。妻には悪いけど、この調子ならまだしばらくはロンドン出張を頑張ってもらい、外貨をバンバン稼いできてもらってもいいかな、なんて。
うむ。
昨日、子どもがかなり久しぶりに学童クラブで算数の宿題を終わらせてきて、私もかなり久しぶりに丸付けをさせられた。たぶん自発的に宿題に取り組んだのは二学期で初めて。何か心境の変化でもあったのだろうか。
昨晩の夕飯のたらこパスタは、過去最高の出来栄えを達成し、ちょっと多めに作ってしまったのだが、子どももペロリと食べてしまった。たらこパスタはこれでコンプリート。
ちなみに今夜は、ハンバーグ・オムレツ・焼き肉・炒飯という夢のお子様定食を夕飯にする予定。「夢の」と言いつつも内情は俗に言う「残り物祭り」である。
子ども部屋での就寝が定着してきた子どもだが「まだ寝入るまでは一緒にいて欲しい」というので、そのようにしているが、この寝かしつけさえなくなれば、夜の生活ルーチンにだいぶ余裕が生まれると思っているのだが、どうなのだろう。
うむ。
今朝は子どもと一緒に家を出ようと思い、先に玄関を出て子どもを待っていたのだが、なかなか出てこない。またトイレ? それともラムネ? と思って、少しうんざり仕掛けたところに、子どもがホッカイロを持って出てきた。
確かに今朝は寒いけど、まだ早くない?
とまあ、妻不在ながらも順調な循環に戻りそうな子どもの気配を感じつつ、とはいえ今日も、学校からも学童クラブからも連絡がないことを祈るばかりの父である。
週内に行われる予定のお泊り会の全容がなかなか分からず、子どもの話だけ聞いていると、それ無理なんじゃね? と思う要件が続々と出てきていて、そろそろ親が介入しないと駄目なのかな、と思いつつ、できる限り子どもたちで内容を詰めさせるよう、ぎりぎりまで我慢しようとも思っています。
11月8日(金)
父子生活五日目。
客先で二時間のレクチャーを行う予定だったのだが、ここ最近の冷え込みにより、右の脇腹から背中にかけて、いつもの神経痛のような激痛に襲われ、前夜からうまく眠ることができないまま朝を迎える。
睡眠不足と激しい痛み。このままでは使い物にならないので、強めの痛み止めと眠気覚ましのカンフル剤を飲んでから家を出て、どうにかこうにかレクチャーは終えたが、職場に向かう気力はなく、そのまま帰宅。
家で少し休んでから病院へ行き、内臓疾患の可能性も含めてレントゲンやエコーで検査して貰ったところ、いつもの神経痛だろう、とのことで処置をして貰った。
身体もいくらか楽になったので、子どもの学校のスクールカウンセラーさんに連絡を取り、ちょうど予定が空いているとのことだったので、そのまま面談。
前日に学校の先生と二週間ぶりに連絡を取った際、感情が抑えられなくなる場面は減ってきているが、特定の科目の授業は参加せず、タブレットで自習をしている、というような話を聞いていたので、前回同様、そうした話を聞いてもらったり助言をもらったりした後、次の段階として、心理検査を受けることを勧められた。
検査を通して子どもの特性や傾向を知ることで、もっと具体的な支援にも繋げていけるし、家庭での対応も楽になる、とのこと。
うむ。
カウンセラーの先生が、私にも感情を爆発してくれると、こちらとしてはしめたものなんですけどね、まだそこまでの信頼関係が築けてなくて、と苦笑いしながら言っていたので、どういうこと!? と思ったのだが、感情の爆発は信頼関係と表裏一体の関係にあるらしく、一度そこまで持っていければ、あとはいろいろと改善を促す技術があるそうなのだ。
爆発待ちか。
カウンセラーの先生は、おそらく私よりも年下と思われ、どちらかと言うと華奢で控えめな印象の女性の先生なのだが、なんだか怖くなってきた。
まあ、そんなわけで、金曜日は日記の更新をできませんでしたので、改めてここに。
11月9日(土)
父子生活六日目。
妻の帰国予定日なので父子生活も最終日。夕方の便で妻が帰って来るため、空港までお迎えに行くことにする。日中、天気は良かったのだが、私も本調子ではなかったので、配信を見たり工作をしたりして、子どもと家でまったり過ごす。
夕方になり、空港へバスで向か追うと思ったのだが、バスに乗る直前になって、子どもがトイレに行きたいと言う。出掛けにトイレには行ったはずなのだが。少し訝しく思いつつ、バスに乗り込んだ。
バスは約三十分で空港へ到着する。子どもは何度も乗っているはずなのに「あと何分で着く?」と不安げにしつこく聞いてくる。少し訝しく思いつつ、その都度答えてやっているうちに到着。
妻の飛行機は早めに到着したらしく、急いで到着ロビーへ。ロビーで10分ほど待って妻と合流。
そのままトンボ返りでバスに乗ろうと思ったら、また子どもがトイレ。やはり訝しく思いつつ、バスに乗り込み、ほどなくして発車。
発車直後、子どもがまたトイレに行きたい、と言いはじめたので、次の停留所で降りようとするも、空港内の停留所では降車はできないと運転手に断られてしまった。子どもにその旨伝え、もう少し我慢できないか訊ねると「だからバスなんか乗りたくなかったんだ!」と言って、パニック状態になってしまった。
これまで見たことない取り乱し方で、大きな声で泣きはじめたので、周囲の乗客も心配してくれて、バスの運転手に再度掛け合って、空港内の別のターミナルで降ろして貰う。つうか、そもそも降りられないって何なんだ?
子どもが落ち着くまで一時間ほど空港内で過ごしたものの「バスには乗りたくない」と言うので電車で移動。その後は何事もなく、美味しいお寿司を食べて帰宅した。
気を利かして、お迎えなんて行かなかった方が良かったのかもしれない。帰国早々の妻には悪いことをした。
うむ。
結局のところ、このことに関してはまだ原因がよく分からないのだが、ただこれでもし、今後バスに乗れないとしたら、ちょっと大変。
まあ、そんなわけで、土曜日も特徴的な出来事があったので、改めてここに。
11月11日(月)
妻が帰国し、束の間の父子生活も終わり、家族三人揃って迎えた週明けである。
帰国直後で洗濯物が多いのは仕方ないことだが、家のあちこちに荷物が散らばり、食事の準備や後片付けも量が増え、なにかにつけてタイミングを見計らいながら家事を進めなければならないことに、ちょっとした苛立ちを覚えてしまう。
まあ、しばらくすれば慣れるだろう。
それとは別に、これまで比較的落ち着いていた子どもだったが、また再び身勝手な態度や乱暴な行動がちらほら垣間見られるようになり、そちらはそちらで対応に苦労している。
そんなわけなので、先週の父子生活が既に懐かしい。
うむ。
そう言えば、スクールカウンセラーの先生から「お母さんが帰ってきた後、お子さんに何かしら変化があると思うので、注意しておいて下さい」と言われていたのだが、先日の空港バスでの一件や今の過激な言動などは、まさにそれなのかもしれないなと、助言の的確さに感服している。
まあ、こうした行動も、安心や甘えの発露と考えれば可愛いものなのだろうが、まだ可愛いとは思えない私の未熟さよ。
さて今週はどうなることやら。
日曜日は、家の掃除をざっと終えたあと、妻のサークル活動を覗きに行ってきました。
場所は隣町にある地域住民で管理運営している公園で、干し柿を作ったり花梨の実を取ったりした後、皆で持ち寄った料理で皆でワイワイと喋りながら楽しく昼食。
参加者は子育て世代と子離れ世代の女性が多く、うちの子どもはブーブー文句を言いながらも、そこで友だちになった子と楽しそうに一緒に遊んだりして、結局、最後まで参加していました。
私の感想は「へぇ~、ふぅ~ん、なんか楽しそうじゃん」という感じでしょうか。おじさんは上から目線で駄目ですね。
11月12日(火)
妻帰国後の週の始まり。
早速、朝から自室で通信教育のタブレットを始めてしまい、支度や朝食は後回し。何度か声を掛けても止めず、時間ギリギリになってようやく終了。
さてこの調子だと、夜はどうなることかと臆していたのだが、食事や風呂などは思ったより順調。
この感じだと、妻帰国の反動もこの辺で終わりかなと思いきや、そうは問屋が卸さない。寝る前になってまた通信教育のタブレットを始めてしまい、分からない問題が続いたことで立て続けに誤答となってしまい大号泣。
最早これが我が家の通常運転。むしろ先週の父子生活の安穏こそ例外だったのだ。
うむ。
そんなわけで、今朝も早速、自室で通信教育のタブレットを始めてしまい、支度や朝食は後回し。
今朝は一度だけ声を掛け、あとは子どもを信じて待つのみ。支度する時間が無くなっても待つ。朝食を食べる時間が無くなっても待つ。
私が家を出る時間になって、ようやく顔を見せたかと思うとそのままトイレに直行。まずは自分でタブレットを止めたことを評価して、あとのことは妻に任せて私は家を出る。
余計な介入や介助をせず、子どもを信頼してとにかく黙って待つこと。私が一番苦手とすることだが、今の子どもにとっては一番必要なことかもしれない。
この感じだと、友だちとの待ち合わせには間に合わないので、妻が学校まで送って行く事になりそうだな、と思っていたのですが、友だちが待ってくれていたそうです。
本当にありがたや。
待って貰えるって大事なんですね。
11月13日(水)
妻帰国後から何かと不安定な子どもである。
昨日は、いつも通りに学童クラブからの退室通知が届いたのだが、なかなか子どもが帰って来ないので、最近の子どもの不安定さを考慮に入れ学童へ直行。学童に到着する直前に連絡が入り、友だちが子どもの靴を間違って履いて帰ってしまって立ち往生している、とのこと。
結局、間違えて履いて帰ってしまった友だちのお母さんがすぐに靴を届けに来てくれたおかげで事なきを得たのだが、まあ、もうちょっと臨機応変に行けただろうに。
うむ。
というわけで、昨晩はそのこと以外では大きなトラブルはなく、寝際になってなぜか子どもが「今日は私のベッド使っていいから」と言って、私が子ども部屋で寝ることになった。
うむ。
さて、ここ最近、子どもが学校の準備というものを全くしなくなってしまったため、ランドセルの中に持たされたプリントや手紙がないか確認することが、私の朝の日課のひとつに加わった。
今朝もランドセルの中から、イベント参加のお知らせと理科と算数のテストと国語の漢字の小テストとぺっちゃんこになった折り紙が何枚か出てきた。
気になったのは国語の漢字の小テストで、うちの子は特に国語の授業にあまり参加できていないうえに、宿題もまったくやっていないので、結果は惨憺たる内容。
この結果が更に状況の悪化に拍車をかけないことを祈るばかりと思っていたのだが、このことが原因なのか何なのか、今朝は登校時間の15分前になっても布団から出てこず、流石に痺れを切らして声を掛けに行くと、布団から顔を出して目を開けているのに、呆けたようにボーっと天井を見つめたまま、何度か声を掛けても反応がなく、そんな子どもの姿を見ていたら、どうしようもなく居た堪れない気持ちになってしまった。
どうしてあげればいいのだろう。
漢字の小テストは、漢字の意味をしっかり理解したうえで、読解力も試される内容になっており、複数回答すべてに正解しないと一問ぶんの加点がされない、といった、素人目にも三年生にしてはかなり難易度が高いものでした。
しっかり取り組めば、かなり力が付く内容だとは思いますが、一定数が振い落されることを前提とした内容であることも確かであり、その残酷さに十分な手当てがされているようにも思えません。
幼いうちに振い落される子どもの心の傷はもちろんですが、こうした子どもの小さな挫折の積み重ねが、社会として大きな損失になり得ることを、どれだけの大人が考えているでしょうか。
11月14日(木)
昨晩は、妻子で和気あいあいと過ごしていたのにも関わらず、私が寝際に要らぬことで水を差してしまい、子どもと衝突。せっかく安穏に過ごせた一日の最後だったのに、すっかり水の泡にしてしまった。
最近、子どもと衝突するたびに、自己嫌悪が増してゆく。またやってしまった、という気持ちと、いつまでつづくんだろう、という気持ちが相まって、居た堪れなくなる。
いっそのこと、何もかも放り出してしまいたい、という衝動に駆られることも少なくないのだが、ただ、そうした後向きな感情がまた、合わせ鏡のように子どもに伝染してしまっている気がして、更にまた罪悪感に襲われ、落ち込む。
本当に疲れた。
つくづく私は父親に向いていないなと、痛感させられることの多い今日この頃である。