「石丸伸二氏から一銭ももらわず」藤川晋之助氏、選挙の神様は「政界の大谷翔平を探す」

インタビューに応じる藤川晋之助氏。田中角栄元首相の書が掲げられている=東京・永田町(渡辺浩撮影)
インタビューに応じる藤川晋之助氏。田中角栄元首相の書が掲げられている=東京・永田町(渡辺浩撮影)

7月の東京都知事選で165万票余りを得て2位になった前広島県安芸高田市長、石丸伸二氏が躍進した陰には、選対事務局長を務めた藤川選挙戦略研究所代表、藤川晋之助氏(70)がいた。「選挙の神様」の異名をとる藤川氏はどんな人物で、何を目指すのか―。東京・永田町に移転したばかりの事務所を訪ねた。

「石丸ミラクル」新鮮だった

――「選挙の神様」と呼ばれているが、戦績は

「選挙参謀としては130勝14敗。国会議員秘書として応援に行った選挙はもっとあります」

――そのうちの1敗が石丸氏だが、躍進したことで依頼が増えたのでは

「与野党の国会議員、首長などを目指す人たちから相談が相次いでいます」

石丸伸二氏(右から2人目)の事務所開きで気勢を上げる藤川晋之助氏(左)=6月22日、東京都新宿区(鴨志田拓海撮影)
石丸伸二氏(右から2人目)の事務所開きで気勢を上げる藤川晋之助氏(左)=6月22日、東京都新宿区(鴨志田拓海撮影)

――石丸氏からの報酬も…

「いや、石丸さんからは一銭も受け取っていません。選挙戦の最中にボランティアの人から『あなたはお金もらってるけど、私たちは無報酬だ』って言われて、『何言ってんだ、僕もボランティアだよ』って返しちゃったんですよ。それで、引っ込みがつかなくなったということもあります。長年選挙をやってきましたが、石丸さんの選挙で気付かされたことが多く、ボランティアで満足しています」

――どういう点を気付かされたのか

「彼のやり方に対して説教をしたこともありましたが、後半戦になって、石丸さんの感性を信じようと思いました。彼は街頭で『清き一票を』とは一言も言わないんですね。『皆さんに期待します』と。新鮮でした。『藤川マジック』とよく言われますが、『石丸ミラクル』でした」

――藤川選挙戦略研究所は勢いに乗って今月、一番町からパレロワイヤル永田町に移転した。ここは政界の伏魔殿

「自民党の金丸信元副総裁や村上正邦元自民参院議員会長、ハマコーさん(浜田幸一元自民衆院議員)らの事務所がありました」

――金丸氏の巨額脱税事件では、ここから割引債や金地金が押収された

「私は妖怪の館と呼んでいます」

自分の選挙は弱かった

――藤川さんはもともと「田中派秘書軍団」の一員

「23歳で山本幸雄元自治相の秘書になって12年務め、地方議員や首長の選挙を支援しました。それから故郷の大阪に帰って、自民党から大阪市議補選に出て落選。その後当選し、政治改革を掲げて離党した小沢一郎衆院議員に共鳴して、新生党に合流しました。しかし、2期目の途中で出馬した衆院選や三重県名張市長選で落選して、政治家の道を断念しました」

――「選挙の神様」も自分の選挙には弱かった

「投資や事業の失敗もあって、借金が1億8000万円ありました。山奥にこもって小説を書いたこともありましたが、うまくいきませんでした。ひともうけしようと東南アジアを放浪して、インドネシアのアチェ紛争に巻き込まれそうになったので帰国。民主党にいた小沢氏から『選挙を手伝ってほしい』と言われて永田町に戻りました」

――平成21年に民主党が政権を取った

「あのときの衆院選で群馬4区から出馬した三宅雪子元衆院議員の陣営にいて、福田康夫元首相を猛追して比例復活当選を果たしました。亡くなってしまったのは残念です…。その後、自民党でもリベラルでもない第三極を作ろうと、減税日本やみんなの党などに関わり、東京維新の会(日本維新の会東京都総支部)の事務局長を務めて一昨年に退職し、藤川選挙戦略研究所を立ち上げました」

藤川晋之助氏の事務所の窓からは議員会館や自民党本部が見える=東京・永田町(渡辺浩撮影)
藤川晋之助氏の事務所の窓からは議員会館や自民党本部が見える=東京・永田町(渡辺浩撮影)

尊敬する人物は頭山満「私は右派」

――そもそも政治に目覚めたきっかけは

「中学生のときにベトナム戦争真っ盛りで、最初は米国けしからんと感じていたんですが、だんだん共産主義の拡大を止めなければならないと思うようになりました。高校のときに日本学生同盟(日学同)に入って、国士舘大学に入学した後も活動しました」

――日学同というと、民族派学生運動

「そうです。尊敬する人物は頭山(とうやま)満先生で、平成15年に頭山先生の精神を継承する組織を作りました」

――頭山は戦前の国家主義者。藤川さんは右派ということか

「右派ですね。日本の自主性を高めるべきです」

――民主党と関わったこととの整合性は

「小沢氏がかつて『藤川君、リベラル派は、追い詰めなければ自然に保守になるんだよ』と言っていました。平成21年の天皇陛下御在位二十年記念式典で鳩山由紀夫首相や菅直人副総理、横路孝弘衆院議長、江田五月参院議長(いずれも当時)が天皇陛下万歳をしているのを見て、なるほどこういうことかと感じました」

――自民党総裁選後の衆院解散が取り沙汰され、来年は東京都議選と参院選がある。抱負は

「私は選挙を仕事にしようとは思っていません。日本のためになる人材を発掘して立候補させたい。石丸さんに『政界の大谷翔平』になってほしいと頼みましたが、彼は『私はあくまで野茂英雄。突破口です』と返しました。解散総選挙では今度こそ『政界の大谷翔平』を出したいですね」(聞き手 渡辺浩)

ふじかわ・しんのすけ 昭和28年、大阪市生まれ。本名・藤川基之。自民党田中派の山本幸雄元自治相の秘書を経て大阪市議2期。民主党の小沢グループや減税日本、みんなの党、日本維新の会などで事務局長や選挙参謀を務めた。令和4年に藤川選挙戦略研究所を設立。

<産経抄>「石丸ショック」と時代の空気感

「マスメディアは大企業病」石丸伸二氏に聞く(1)

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