珍しくアサギが会談に指定した場所は、いつものリョウテイではなく、都内某所にあるホテルであった。
ホテルといえば暗黒退廃前後施設というイメージが四年間のヨミハラ隠遁生活でこびり付いてしまった藤木戸であるが、ここはそんないかがわしい場所ではなく、普通の高級ホテルだ。
五車資本で運営されており、対魔忍関係者が東京近郊で活動するための隠れ蓑であって、対魔忍や政府の人間しか使わないことになっている。
風景に溶け込むために最上階にはラウンジも設けられており、バーもある。
そこで藤木戸はアサギだけでなく、静流と供にカウンターに腰掛けていた。
「……まぁ、ここまでのことになるまで気付けないなんて、私も大概バカで迂闊ね」
はぁーと地面に吐息が垂れ込めてスモークの如く滞留しそうな溜息を吐き、ビジネススーツ姿のアサギは頭を抱えた。その両腕に挟まれるバストは実に豊満であった。
「私も見たかったわね、お見合いを次々投げられて困惑してる藤木戸くん」
「シズル=サン、オヌシ他人事だからといって……」
愉快そうに微笑む静流もまた、バーの制服である猥褻メイド服から深紅のスーツに着替えていた。そのバストはスーツの布地が哀れになるくらい豊満であった。今日はヨミハラの情勢を直接報告するため、久し振りに地上に上がってきていたので、あんな物を着ていては痴女扱いで通報不可避であるため当たり前の衣装チェンジといえる。
「のまないとやってられないわね……マスター、マタドールを」
昼はセクションⅢの関係でお偉方や議員様、警察官僚と言葉で丁々発止の斬り合いを行い、そして長老衆が邪悪ではないが迷惑極まりない悪さをしたという報告を聞いたアサギのニューロンにはアルコールが必要だった。それもできるだけ強い物が。
「かしこまりました」
このホテルに勤めているのは受付からベルボーイ、そして今、シェーカーを振り始めたマスターまで全て五車関係者だ。五車内で働くのではなく、外で生きて行くことを選んだ者達の受け口でもあるため、情報の秘匿性は極めて高い。
甘口だが酒精の濃いテキーラベースのカクテルを一発目に頼むあたり、今日アサギは潰れるまで飲むつもりのようだ。
「ふふ、最強の対魔忍であっても、政治関係は昔から苦手だったものね」
「替わって欲しいくらいよ静流……あなた、五車の長やってみない? 一対魔忍に戻れるなら喜んで身を引くわよ」
「ヨミハラ町会だけでも苦労してるんだから、御免被るわ。ああ、マスター、私はチャイナブルーを」
一方で同期達の醜態をアテにすることを決めたらしい静流のチョイスは大人しい。度数も最近流行のストロングな酎ハイよりずっと弱い、鮮烈な青が目映いカクテルを頼んだ。
「藤木戸くんは?」
「……俺も酔いたい気分だ。カミカゼを。シェイクではなくステアで」
「かしこまりました」
藤木戸も色々ありすぎてニューロンが疲れているから、今日は酔っ払って色々と忘れたい気分になったようだ。チャドー呼吸を敢えて行わず、しかもウォッカの角を削りすぎないようシェイクではなくステアで頼むあたり、大分ニューロンとメンタルが疲弊していると見える。
恐らく、さくらから胸ぐら引っ掴まれて受けた説教が相当に効いたのだろう。
「まったく、どいつもこいつも……」
「おおー、いい飲みっぷり」
ギュッとキツいサケがベースのカクテル、しかも度数もカワイクない代物をほぼ二口で呷ると、アサギは礼儀だけは守ってグラスを叩き付けるような真似はせず、そっと置いた。
しかし、コースターに乗せたグラスは即座に押し出され、次を要求する。
「マスター、次はアレクサンダーを」
「ベースは如何致しましょう」
「ブランデーで。思いっきり甘ったるくしてちょうだい」
その注文に静流は本気で酔い潰れる気だなコイツと悟った。クレーム・ド・カカオと生クリームを使うカクテルは、何と驚きの二二度越えなるきつさを全く感じさせない甘さによる飲みやすさで脳髄を蕩かしてくる。一種のレディーキラーでもあるのだが、この場合当人が進んで頼むのはセプク覚悟とも言えるのだろうか。
「事後承諾! 独断専行! よかれと思って! 大概にしときなさいよもう!」
「まぁ、対魔忍なんて、我が強くないとやってけないものねぇ」
「誰が責任取って方々に説明すると思ってるのよ!」
こりゃ大分カンニンブクロが暖まってるなぁと同期の醜態をアテに美味い酒を飲む静流、そのアサギを挟んだ隣で藤木戸もウォトカベースのキツいカクテルを一息に乾している。このバーは味も一流なのだから、もっとゆっくり飲めばいいものをと少しだけ呆れた。
「その上、格好悪いから!? 最初から私に言えば全部片付いたんだけど! 分かってる藤木戸くん!」
「それは……その……まぁ……」
そして、世にも珍しいマゾクスレイヤーが言い淀むという光景! 彼にヤキモキさせられている面々や、恨み骨髄な魔族達が見たらさぞ溜飲の下がることだろうが、今日は残念ながら静流だけのサケのアテだ。
「正直、俺もここまで大事になるとは思っていなかった……」
「なるに決まってるでしょう! 藤木戸くんも新人下忍じゃないんだから、そこら辺いい加減自覚してくれない!?」
「メンモクシダイモアリマセン」
「いい!? 上席からして一番格好悪いのって、自分が責任取らなきゃいけないかもしれないことが、何も知らないところで進行していた上、盛大にスベることなのよ! 私、今回ばかりは本気で切腹しようかと思ったわ!!」
シャカシャカ丁寧にシェイクされて、泡立つ絶妙な舌触りが良いはずのカクテルが、碌に味わわれることもなく喉を滑っていくのをマスターはどう思って見ているのだろうか。静流はもういっそテキーラでも檸檬で飲めよと思ったが、これはこれで面白いので静観を決め込む。
それに、アサギが言うことは彼女も思っていたからだ。
藤木戸は自分の扱いが軽いところがある。正直、下忍時代、いや、学生時代からフットワークがまるで変わっていない。それこそ誰も目に留めることのない、一対魔忍であるような素行が目立つ。
それはもういっそ、蛮行といっていいほどに。
「しかも、藤木戸くん、上忍になって何年目だと思ってるわけ!? いい加減気楽な下忍みたいな挙動は控えて欲しいんだけど!!」
「いや、俺のウリと言えば神出鬼没故に行動が読めぬことであって……」
「それは敵相手だけにしてちょうだいって話! 今回、あんまり分かってないだろうけど、本当に里中が振り回されたんだからね!?」
「アッハイ」
上忍といえば、本当に限られた者だけが選ばれる名誉ある職なのだ。後進を導く先陣であると同時に若い彼等の盾にして見本、同時に外へ向かって対魔忍とはこういう存在だと知らしめる金看板であるにも拘わらず、藤木戸は本当にやりたい放題が極まっていた。
それも並の上忍ではない。
悪の巣窟、東京キングダムとヨミハラに巣くう者共がマゾクスレイヤーの名を聞けば震え上がり、生きて逃げ落ちただけで名が上がるような怪物。敵を評価すれば怯懦と取られるような界隈において、本気で畏れられることがどれだけ大変か、この男は分かっているのだろうか。
だのに必要だと自分が判断したらぷらぷらと気軽に赴いて、自分の行動に政治的力学がもたらす影響というものをまるで分かっていない。
それこそ、アサギだからこそ許したが、これといって会議を通すでもなく水城家の個人メンターになるなど、場合によっては名家のパワーバランスが動きかねない案件だ。
井河傍流の癖をして水城家派閥に加わるのかと、当時の頭首が不知火でなければ――当初から彼女は明確にアサギ派閥であったし――五車政界がザワついて、お見合い攻勢はもっと早くに始まっていてもおかしくない。
「今の水城家は御父君が健在で代理頭首をなさっているから何とかなったけど、何かの間違いでゆきかぜが頭首位に就いていたら、それこそ政治的に色々爆発してたわよ!?」
「そこまで考えていませんでした……」
「不知火がいたからこそ許されていたんだから、そういうとこをもっと考えてちょうだい! マスター! ゴッドファーザーを!」
「畏まりました」
もう激怒しつつサケをガバガバ呷るアサギにカクテルを寄越すマシーンに徹することにしたマスターは、唯々諾々とシェーカーを振るばかり。普段なら良い感じに仲裁してくれる彼に藤木戸はチラチラ視線を送っているが、さしものマスターも「こんな下らねぇ会話の仲立ちしたくねぇよ」と思ったのか無視を決め込んでいた。
それは静流も同様で、藤木戸の味方をすることもなければアサギを止めることもしない。
むしろ、本当は少し性悪なところがある彼女は、面白い面白いとサケが進むばかり。
これを期に少しは懲りたら良いのだ。
ヨミハラでサツバツナイトをやっていた時も、やれアレが欲しいだの彼処を爆破しただの事後承諾で色々言ってきて、町内会で振り回されたからアサギの気持ちが痛いほど分かるのだ。
「藤木戸くん、グラス空いてるわよ」
「……雪国を」
なのでサケが空になっている藤木戸に更に飲むように勧め、酔っ払った二人の醜態に燃料を投下して楽しむことを止めない。
それに、この男は学生時代からこうだったので、零子や佐那、そしてアサギと静流にツバキ達でカバーしていた部分も多く、さて何度迷惑を被って、それを彼が知らない内に片付けてやったのやら。
無自覚に上級生を煽るわ、上官と平気で喧嘩するわ、家の格式を守っているようで人生の芸風で台無しにしているわで色々あった。
まぁ、それも無理はない。当人が対魔忍ではなく“ニンジャ”という挙動を貫いているのだから。
それを思えば、こんな面白い舞台を最前列で観劇するくらいの役得はあってしかるべきであると静流は考える。
「今回の一件で五車の頭領が独り身であるのは如何なものか、とかチクチク言い出す馬鹿が出てきたら、どう責任取ってくれるわけ!?」
「そこはできうる限りのことを……」
「何ができるか言ってごらんなさい!」
「……ドゲザします」
「それで私がいつでも許すと思わないでって前に言ったわよね!」
でも許しちゃうんでしょう? とニヨニヨしつつ静流は二杯目のチャイナブルーをゆっくり味わった。
この二人、本当に学生時代から変わっていない。恭介がいなくなってから、何となく湿っぽい雰囲気が漂っているが――二人は頑として認めないだろうけども――割と〝丸い〟選択肢ではあるのだ。
井河傍流で、今や五車が抱える魔族に対する恐怖の象徴たる二人が結託したとあれば、大抵の者は震え上がるだろう。
どちらかを脅すために相方を質に取ろうとしても、いやそもそもどうやって? なんて冷静になった瞬間に計画を白紙に戻さなければいけないような鬼札コンビ。
当人達は自覚していないのか、そもそも敢えて考えないようにしているのか分からないが、偽装結婚するだけでも悪さをしている政治家や官僚、五車上層部、そして魔族に対して強力な衝撃を与えられるだろうに。
静流としては思うところがないでもないが、その場合は喜んでシュウギブクロを包むつもりであった。
まぁ、学生時代は若かったし馬鹿だったわねと過去の己を振り返りつつ、彼女はマスターがアテにならないと思うやいなや、現金なことに「そろそろ何とかしろ」と言いたげな視線を送ってくる藤木戸を意図的に無視した。
乙女心を擽る癖して、刺激するだけ刺激して放っておく朴念仁には、針の筵が似合いだと内心で微笑みながら。
「ユウジョウは何処へ……」
「ちょっと聞いている藤木戸くん!」
「アッハイ」
絡み酒が全開になったアサギに肩を組まれ、グチグチと上層部やら何やらの文句を言い始めて止めようがなくなった同期に藤木戸はされるがままになった。アサギのブレーキが完全に破損したのは、妹に先を越される……というより、言いたかったことを先に言われたことも大きかったのだろう。五車頭首の乙女心も、それはぐちゃぐちゃになろうというものだ。
その後、文句と苦情の坩堝となった酒宴は数時間続いたものの、アサギも余人の目があるのは分かっているのか、支払いのためにカードを出すと一人で酔いを感じさせぬ足取りで部屋に戻っていった。
ここで藤木戸に介抱されて部屋に戻ったとあれば、どんな噂を撒き散らされるか分かった物ではない。
しかし、かなり飲んでいるし回っているのは雰囲気から分かるので、シャワーを浴びることはできないだろう。女の意地としてメイクだけ落として、あとはベッドにダイブするのが確定している背中を見送って静流は手をおざなりに振った。
「シズル=サン……」
「自業自得よ藤木戸くん。あと、私的には状況判断ってヤツ?」
「ヌゥー」
残された二人は、空いた席を一つ詰めてもう少しだけサケを飲む。藤木戸は叱られまくったせいで酒精がちゃんとニューロンに届いていなかったから。
そして、静流はもう少しだけ、珍しく困り果てて疲弊している横顔を眺めていたかったから…………。
コンニチハ!
時間軸的にゆきかぜダディーはまだ存命なので、そこまで話が拗れませんでした。記憶が正確なら対魔忍ユキカゼ本編一年前にKIAだそうなので。
そして大いに荒れるアサギ。さて、妹から揺らされた心は一体何を意味しているのか。次回でトンチキシナリオも完結。