遂に行き着く所まで来たか……カポーンとフウリュウな音を立てるシシオドシの音を聞きながら、藤木戸は遠い目で嫌味なほどに青い空を見た。
雲一つない良い天気だ。こんな天気の時にカラテをしたら、さぞや気持ちいいことだろう。
「では、あとはお若いお二人で」
そう言ってナコウド役の長老がそそくさと部屋を去って行った。襖を閉める音すら立てないのは、シツレイ一つでコユビが飛ぶ政治の世界を長年生き残ってきた古老だけあってサスガの礼節というべきか。
しかし、空の青さと同じで、今では嫌味なだけだ。
「いやー……ついに来ちゃったねぇ、けんにぃ」
「そうだな」
たははー、と目の前で笑うのは、一体幾らするのか考えるだに怖ろしい高給なオーガニック・ニシジン・フリソデに身を包んださくらであった。サラシを何重にも巻いて体型を整えたにも関わらず、そのバストは姉より豊満であった。
「よもや長老衆が斯くもなりふり構わなくなるとは」
「ここまで大事にするってことは、もうお姉ちゃんに隠す気もないみたいだねぇ……」
そして、その対面にいるのはスーツではなく、実家から引っ張り出してきた、モンツキ・キモノを纏った藤木戸であった。略式ではなくちゃんと黒のイツツモンであり――藤木戸家の家紋は丸に篝火である――最上級の正装を持ち出したのは、相手が相手なので当然であろう。
自らが幼少期からカラテ・メンターとして鍛えてきた少女は、今や立派に華開いた女性となっていた。
「しかし、正気か? センゴク・エラでもあるまい。俺を婿入りさせて、その長男に井河性を……」
「次男以降を藤木戸性にってねぇ……」
どちらもツキジに並べられたマグロの如く生気のない目をしているが、これは今回の〝藤木戸家と井河家のお見合い〟という、特大の横紙破りを必死に回避しようとして失敗したためである。
それもこれも、藤木戸が上手いことのらりくらりと見合いを回避し続けた結果であった。いや、上手くやりすぎた末路というべきか。
藤木戸家の家格に合いそうな家には、向こうからお断りをするようセイシンセイイ頼み込み、同期勢や後輩勢には零子や佐那の力を借りてそれとなく説得し、各方面への周到な根回しによって結婚を回避し続けたことに長老衆が業を煮やした。
だったら断るなら不敬に当たるくらいのを叩き付けてやるぞと自棄を起こしたのだ。
藤木戸は井河の傍流、即ち分家筋の更なる分家であるため、基本的に本家の言うことに文句を言えない。古い空気が流れる五車の里では普通のことだ。
だが、それをしても本来ならば本家と傍流の見合いなど、畏れ多いとして成立しないもの。五車に名家は数あり、適齢期の男性も少なくない。本来アサギに何かあった場合は、次代の対魔忍を差配するさくらの相手に藤木戸は完全に不適格である。
しかしながら、彼の功績が全てを有耶無耶にした。
五車における徒手格闘最強の誉れ名は未だ高く、いやさ、カラテ・メンターとなって以降更に若手を中心に高まるばかりで、クーデターを事前に収めた手腕や四年もヨミハラに潜入するという任務を成し遂げ、更に自らの身と名誉を呈してでも里を守ろうとした献身が評価された。
いや、今回のケースではだしにされたというべきだろうか。
そして、あれよあれよと言う間に古い価値観を持った老人達が、自分達のソレを押しつけるべく見合いをセッティングしてしまった末が、今日この場所だ。
「どうしたものか」
「どーしよっか」
揃ってチャを啜り、添えられた練り菓子を食べても答えは出ない。今は高給和菓子屋の上品な甘さが売りとなる、季節の花を模したチャガシの味も舌を上滑りするばかりだった。
「サクラ=サン、このこと、やはりアサギ=サンは……」
「知らないんだろうね。最近は折衝で東京とコッチ行ったり来たりだし、五車学園の教育主任と対魔忍惣領掛け持ちでしょ? 忙しすぎて里内でコソコソしてる情報を調べてる暇ないよ。今、ヨミハラじゃノマドと死霊騎士? とかいうの、それと淫魔族が絶賛抗争中らしいしさ」
「オニワバン共は何をしている。主人の手が回らぬところをカバーしてこそであろうに」
井河長老衆に仕える対魔忍共は何をやっているのだと、今少し理性が足りていなかったら藤木戸はチャワンを握り砕いていただろう。
こういう時、多忙な主人に代わって里の中で情報を率先して調べ、分かりやすく纏めて報告するのも近侍の仕事だというのに。
少しふうま衆の生き残った執事や侍従衆のツメノアカでも煎じて、主人への忠勤を尽くすべきではないのかと怒りが溢れ、紅梅色の瞳がセンコめいてゆらいだ。
「井河本家、割とガッタガタだからねぇ……クーデター未遂もそうだけど、四年前の〝掃除〟でも結構死んだし。ぶっちゃけマジ人手不足」
「鴉野を根切りにしたのが痛かったか? だが、ヤツは典型的な思い上がったニンジャだったからな……」
膿み出しのためとはいえ、サスガに殺しすぎたかと思うほどアサギの手足になれる人材が少ない。今は若手を登用して何とか誤魔化しているが、それもその内に無理が出てくるだろう。
今回の一件を事前察知できなかった時点で、政略面に秀でた人間がいないことが明白に過ぎる。ジッサイ、この手の実務を紫があまり得手としておらず、精通していた不知火のMIAがキドニー・ブローの如く重くアサギ陣営にのし掛かっている。
さりとて、そういった方面を得意としていた面々は大半が色々と〝やらかして〟いたので、藤木戸の粛正対象となったため致し方ないことでもあるのだが。
里を内から差配できる分、謀略の輩を生かしておいた方が厄介になったであろうから、本当に痛し痒しである。
「どうしたものか」
「いっそ、本気で結婚しちゃう?」
チャシャ・キャットめいて悪戯っぽく笑うさくらに、藤木戸は溜息を吐いた。
「華の大学生生活を棄ててまですることではあるまい。第一、オヌシが先に結婚してはアサギ=サンの面目が潰れよう」
「だよねー」
アサギはとっくに喪も明けているが、それでも再婚する気はないようで対魔忍としてのみ生きることに精力を注いでおり、後夫の話は持ち出した瞬間に殺気を滲ませる程度には拒んでいるらしい。
となると、先にさくらが結婚して子供なんぞ作ってしまったら、また政治闘争の再燃だ。邪魔なアサギを始末して、ついでに二人も何とかし、幼い子供を利用しての摂関政治なんて三流の筋書きは誰にだって思いつく。
今は考えていなくても、ぞろ野心を出す奴儕はウジのように涌いてくるだろう。
「……お庭行こっか」
「そうだな」
部屋の中でジメジメしてもしかたないので、二人はリョウテイの庭に出た。
風光明媚でヘイアン・エラの情緒を再現した庭の橋に立っても、心は冴えないまま。優雅に池を泳いでいる、一匹で下手な社会人の年収以上の価値がある錦鯉の色合いも、何処か褪せて見えた。
「さて、サクラ=サン、何人に囲まれているか分かるか」
「七……いや、八」
「正解だ。それにしても、また重囲を敷いたものだな」
このお見合いを上首尾に運ばせたい者達がいるのか、庭の警護は酷く厳重であった。外からのヨコヤリも、中からの脱出も許さぬとばかりに手練れが配置されているのだが、力を入れるのはそこではないだろうと藤木戸は襟首を引っ掴んで説教してやりたい気分になった。
「まぁ、私、お姉ちゃんが気にしないんなら、けんにぃとだったら結婚してもいいんだけどね」
「何を言い出すんだサクラ=サン」
「だって私、普通にけんにぃ好きだし」
欄干に凭れて離していた二人であるが、あまりに唐突な告白に藤木戸の右肘が滑った。
「まぁ、付き合い長いからライクかラブかの区別つかないけど、カラテのメンターとしてはソンケイしてるし、対魔忍としてはスゴイなって純粋に憧れてる」
「いや、サクラ=サン……」
「ぶっちゃけ、けんにぃとの子供なら愛せる自信あるし。てか、割と欲しいかも? ってか、けんにぃより男の人を好きになることあるのかな」
かなり生々しい物言いに藤木戸の口が縫い付けられたように動かせなくなった。
ここまで直截に慕っていると言われるのは初めてだったからだ。
学生時代の淡い恋愛を打ち明けてきた後輩でもなく、政治的な色が滲む婚姻の打診でもない、純粋な好意を叩き付けられたのは、思えば初めてのことやもしれない。
「それにほら、私、こんなだけど結構ツヨイし、けんにぃの足手まといにはならないつもりだけど」
「……どんなにツヨイ対魔忍でも」
「不意を突かれることはある、か」
言って、おもむろに欄干から離れたさくらは、藤木戸の襟首を掴んで叫んだ。
「何びびってんの藤木戸・健二!!」
「っ……!!」
唐突な怒声に庭を囲んでいた対魔忍達がざわつくのを感じた。
「スッ込んでろサンシタ!!」
藤木戸が不敬を働いたと思ったのか、姿を現す彼等にもさくらは殺気混じりの罵声を浴びせ、下がるように命じる。
「聞こえてんの!? 失せろっていったの!!」
「し、失礼いたしました。御意に」
護衛を無理矢理下がらせ、さくらは意志の強そうな猫目をキッとつり上げて藤木戸と顔の間合いを詰める。女性が男性に向けて行う親愛のそれではなく、完全に男性同士が喧嘩直前にガンをつけ合う雰囲気を感じ取り、マゾクスレイヤーと名乗って誰も嘲笑しないワザマエを持つ対魔忍が、どうしようもなくたじろいだ。
「あのね、対魔忍ならみんなそれくらい覚悟してやってんの。それを何いやだいやだ、コワイコワイで逃げてんの」
「だ、だが、サクラ=サン、俺が買っている恨みは……」
「みんな大なり小なり買ってんの! そんなもん! 人殺しじゃない対魔忍がどれくらいいると思ってるわけ!?」
対魔忍はその任務の職責上、殺人が避けられないことも珍しくない。そして、魔族と戦う以上、必ず人外の力を持つ者共から恨みを買う。
それが当たり前だというのに、その中でも血脈と絆を紡いできたのが先人達だというのに、壊されることを恐れて逃げるのは最早怠惰だとさくらは言った。
「女一匹、お前のためになら死んでやるつってんだから、ちったぁ男見せるくらいしなさいよ藤木戸・健二! いや、マゾクスレイヤー!! ちんこ付いてんのか!!」
「さ、サクラ=サン……」
しばらく藤木戸を睨み付けたあと、さくらはまるで今までの鬼気迫る言葉が全て嘘であったかのように、ほにゃりと笑った。
「はい、説教お終い。いや気分良いわ、私がけんにぃに講釈垂れることができる話が一つはあったなんてね」
「サクラ=サン……」
「ま、そういう訳だから、私がブチ切れてこの件は破談! お終い!! あー、恥ずかしかった!!」
顔を真っ赤にしながらさくらは襟首から手を離し、そのまま半身を藤木戸の影に沈めた。
「ってことで、私逃げるから! お姉ちゃんへの説明と釈明ヨロ!!」
「ちょ、サクラ=サン!?」
「二週間くらい、大学の友達と南の島にでも雲隠れしてるので、探さないで! では、オタッシャデー!」
カラダニキヲツケテネ! と去って行く影に向かって差し出した手が空を切った。
事態の推移を見守っていた警護の忍達が慌てて「さくら様は何処へ!?」と報告と捜索に駆けだしていくが、庭を飛んでいる小鳥の影にでも飛び移った彼女を捕捉することは不可能であろう。
こと隠行と逃走という一点において、カゲ・トン・ジツを自在に操るさくらを藤木戸でさえどうしようもできないのだ。この真っ昼間、そこら中に影があるなかで彼女を捕らえるのは何人にも適うまい。
「逃げるな、か」
取り残された藤木戸は、欄干に体重を預けて大きく仰け反り、滑稽な自分を馬鹿にしているように青い空を仰ぐ。
「これは痛い一撃だ。間違いなく〝徹った〟ぞ、サクラ=サン」
思わぬところで初めてカラテを教えた相手から〝痛打〟を受けた藤木戸は、警護の忍が貴様何をした! と問うてくるのを無視して、自分が逃避していたこと。
そして、思いを口にするだけの人間が持つ覚悟を弄んでいたのかも知れないと、一人後悔と反省をするのであった…………。
オハヨ!!(ちょっと遅め)
一番覚悟決まってるのって何気にサクラ=サンだなって。アサギ1でも逃げられようと思ったら逃げられたけどアサギのために踏ん張って逆転の鍵になったり、メンタル面での強靭さは一等高いと思っています。