ないを見るな。あるを見ろ。
新潟在住の女性S様から「本日午後、東京で一緒にコーヒーを飲みませんか?私が熱海に行くことも可能です。自分が見えなくなってしまい、鏡になって欲しいです」と連絡をいただいた。私の正しい使い方である。体調不良のため、熱海の家に来てもらった。本当はいろいろ話したいことがあったのに、この家に来たら全部どうでも良くなってしまった。S様は、そのようなことを言った。
昨日から頭痛が増して、布団の中にいる時間が増えた。寝込んでいる時は、時間を生産的に使えていないような、時間を無駄にしているような気がして、滅入ることがある。悩む時は、今とは別の生き方があったのではないかと、現在の自分を否定している時だと思う。嘆いても、体調が良くなるわけではない。だから、そんな時は「この道こそ、私の道だ」と言い聞かせるようにしている。引き受けることで、心が落ち着く。余計なことを考えないで「今は寝よう」と思うことができる。
豊かさとは、選択肢が増えることだと言う。選択肢が増えることは生き方の可能性が増えることだから、いいことのように思える。だが、スマホばかりをいじっている時の自分は、目の前のことを楽しめなくなっているように感じる。楽しい時間や、充実した時間は、スマホを触る時間が減る。目の前のことを楽しむことなく、スマホをいじっている時の自分は「別の生き方があったんじゃないか」「今よりも面白いものがあったんじゃないか」と、無意識に、現在の自分を否定している。
熱海の家には何もない。あるものは、窓からの風景と、鳥たちの囀り、アルコールランプの灯火、お茶、本、楽器、畳、お香、こたつくらいだ。特に何を話すでもなく、静かな時間が流れている。寝たり、泣いたり、本を読んだり、それぞれが、それぞれの好きなように時間を過ごしている。やっていることと言えば、ただ、一緒にいるだけ。ただ、一緒にいるだけのことが、お互いの現在を肯定することがある。安心して、涙が出ることもある。自分自身に「おかえり」と言い合えるような、ないの中で、ずっとあるものと出会い直す。
心が失くしたものを嘆いている時も、魂は手に入れたものを喜んでいる。経験には、きっと、いいも悪いもないのだと思う。寝込んでいる日々は無駄にも思えるが、この無駄が、生き生きと生きる日が来るのかもしれない。あるいは、生き生きと生きる日が来なくとも、まったく問題ないことなのかもしれない。人から見たら無駄だと思われるような出来事にも、きらっと光る宝物のような瞬間がある。今とは違う生き方を求めるほど、現在の自分を否定することになる。「この道こそ、私の道だ」と引き受けて立つ時、引き受けた道が、無限の可能性を持つ。気の利いたおもてなしをすることはできないけれど、同じ時間を過ごすことはできる。熱海の家は、門戸を開き続けている。
坂爪さん
今日はありがとうございました!
ずっと行ってみたかった熱海の家は生命力に満ち溢れた場所でした。
そして、窓から見える山や干し柿、鳥の声が着いた途端に頭の中のごちゃごちゃをクリアにしてくれました。
さらに坂爪さんのギターが美しく心地よくて、ゆりかごに揺られているような感覚でそのまま寝てしまいました笑
頭の声に支配され、彼と同じようにならなきゃいけないとプレッシャーになり、彼が与えてくれるものを受け止めきれなくなっていたことに気づきました。
そして感じたことのない孤独感があることで、
人がいる尊さが蘇りました。
胸につかえていた重いものが帰りには綺麗に無くなっていました。
好きと尊敬の違いをもう一度自分に問うてみようと思います。
貴重な時間をご一緒できて、嬉しかったです。本当にありがとうございました‼️
おおまかな予定
11月25日(月)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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