FC2ブログ

元島根県民のお部屋(島根県の近代建築)

島根県の近代建築・近代化遺産のブログ

遠田の洋風建築(益田市遠田町)

DSC01769.jpg
今回ご紹介するのはSNS上でフォロワーさんに教えていただいた物件です。
益田市の遠田町、国道9号線沿いに、洋風建築が残されていました。
今まで何度も通った道だったハズなのですが、この建物の存在には気が付きませんでした。

DSC01776.jpg
建物の正面より。石見瓦をふいた寄棟の建物で、全体的に装飾は少なく落ち着いたたたずまいです。
中折れの庇や下見板の貼り方などから見て、この地方の伝統的な古民家とはやはり違う、
近代建築の要素を多く持っている建物という事が分かります。
網戸なども確認でき、郵便受けもあるので、割と最近までは民家として使用されてきたようにも見えます。

DSC01774.jpg
玄関部分です。
撮影している時に地元のご婦人が通りかかったので、建物について伺ってみましたが、
「他所から嫁いだので知らない(要約)」とのことでした。

〇この建物は元々何に使われていたのだろうか?
S22航空写真
(国土地理院航空写真より S22)

そもそもこの建物はいつ建てられ、どんな用途で使われていたのでしょうか。
昭和22年の航空写真を確認してみますと、それらしい建物が写っていました。
建物の雰囲気、庇の持送の装飾などからも、戦前築の可能性が高いような気がします。

戦前に農村に建てられた洋風建築と言えば、
①役場
②小学校
③産業組合(信用組合)事務所
④医院
おおかたこの4つのうちのいずれかとなりましょう。
(エビデンスはありません個人の感想です)

この建物が所在する遠田町は、昭和30年まで「安田村」という村でした。
役場はもっと益田市中心部寄りにありましたので、村役場ではないと思われます。

次に郵便局説ですが、この建物の近くに津田郵便局がありましたので、
元の郵便局舎の可能性もあるかと思いましたが、戦前の地図を見ますと、
〒マークは石見津田駅付近にありましたので、郵便局でもなさそうです。
戦前の郵便局だと、玄関近くに投函口が据え付けられていたり扉の桟が〒マークになっていたり、
瓦に〒マークが付いていたりするケースが多いのですが、そういった痕跡は確認できませんでした。

参謀本部S7
(参謀本部 S7 「益田」より)

昭和7年の地図に建物の位置を落としてみました。
安田村は明治の町村制施行の際に、津田村と遠田村が合わさって出来た村です。
駅と郵便局は津田に、役場と小学校は遠田にと、
村の重要施設は旧村のバランスに基づいて設置されているように見えます。
当該の建物はちょうど津田と遠田の中間地点の所に位置することがお分かりいただけるかと思います。

三つ目の可能性としての産業組合事務所ですが、正直分かりません。
地図を見ると村の主要施設のバランスをとって津田と遠田の境に建てたとも言えなくもないですが、
石見津田駅からも村役場からも遠い位置に産業組合の事務所を建てるかなぁという疑問はあります。
駅という重要な施設を有する村でしたら、わざわざ駅から離れたところには建てずに、
駅前に事務所を建てるケースが多いんじゃないだろうかというような気もするのです。

また、産業組合というと、たいてい、事務所のそばに農業倉庫がセットで建てられる場合が多いのですが、
この建物の周辺には倉庫らしき建物は現存していません。
前述の航空写真でも隣接する建物は写っていますが、農業倉庫かどうかは判断が付きません。

最後に医院という可能性ですが、戦前に益田の飯塚順天堂(現在のジュンテンドーの前身)が発行していた、
「石見実業時報」という新聞の昭和4年1月付の紙面に「愛仁堂 河合医院 安田村遠田」の名刺広告を見つけました。
昭和4年時点で遠田地区に医院があったことが確認できましたので、この建物が医院として建てられた可能性も、
出てきました。

郵便局でしたら郵便局施設の痕跡が、産業組合でしたら後に農協となるので後年まで使われる可能性が高い、
民家として使用されていたような痕跡もあるので、医院閉業後家族が住んでいたとすれば辻褄も合います(?)。

DSC01775.jpg
強引ではあるのですが、元々は医院だったんじゃないのかなぁというのがブログ主の意見でございました。


記事を編集した後、改めて色々調べておりましたら、国会図書館のデジタルコレクションに、
昭和17年に刊行された「安田村発展史」という資料があるのを確認して、
慌てて近所の図書館で閲覧してきました。
そして「医療機関の進展」の項にそれらしき記述を見つけました。

前略
大正の初年、遠田の中心地監助に地所を買い受け国道に添って病院風の建築を営み・・・
後略

高津(益田市高津町)の医者の家系である永富家の方がこの地で「永富医院」を開業し、
大正初年に病院風の建築を行ったという事が記されています。
場所的に「遠田の中心地」ではないような気がするのが引っ掛りますが、
この建物の事を言っているのではないでしょうか。
「監助」という地名がポイントになりますが、これはまだ調べ切れていません。

その後、河合義信という人がこの永富医院を譲り受け、上述の名刺広告にある、
「愛仁堂 河合医院」を開業したとあります。
河合義信は昭和2年にこの地を去り(上述の名刺広告は昭和4年なのでこの点は矛盾)、
岡見村(益田市岡見)で開業医をしていた大屋庄太郎という人が引き継ぎ、昭和14年まで開業、
その後は斎藤嘉市という人が引き継いだものの間も無く死去、
現在(昭和17年時点)では木束村出身の小笠原某の出張療養所となっている。とありました。

なお、安田村発展史により、他の主要施設の様子も明らかになりました。
村役場:洋風の2階建て
産業組合:村役場近隣
郵便局:昭和3年にコンクリート2階建てに改築

という事なので、産業組合や郵便局だったという説は消えました。

以上の事から、この建物は大正初年に建てられた永富医院だった可能性が出てまいりました。
もう少し調べて見たいと思っています。


【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:永富医院?
竣工:大正初年?
構造:木造
設計者:?
施工者:?

【撮影】令和2年7月

【参考文献】
安田村発展史(下巻) 昭和17年 矢富熊一郎

関連記事
  1. 2020/08/12(水) 13:25:11|
  2. 島根県の近代建築・益田市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<旧布施時計店その2(津和野町後田字本町) | ホーム | お見舞い申し上げます>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://okigoka.blog.fc2.com/tb.php/520-b5eed5dc
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)