昭和歌謡の職人たち 伝説のヒットメーカー列伝

吉田拓郎(上)ブーイングも「おれはフォークじゃなくていい」が見事に開花 ストレートな男の心情を歌う新しいジャンル

フォークシーンを牽引した吉田拓郎
フォークシーンを牽引した吉田拓郎

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演歌か歌謡曲しかなかった日本の音楽シーンで1960年代後半から、フォークソングの先駆者である岡林信康や高石ともやらの歌がメッセージフォークとして歌われるようになる。

吉田拓郎は広島では最も人気のあったグループサウンズに参加していた。ビートルズのコピーに加え、自作自演の楽曲を手がけた。65年に上京し、渡辺プロダクションに売り込むが失敗に終わり、ひとりでフォークソングを目指すと決めた。

70年、エレックレコードから「イメージの詩/マークⅡ」でデビュー。71年の「第3回全日本フォークジャンボリー」で「人間なんて」を歌ったことで注目されるが、拓郎の歌は、自身が感じ取る自由な世界を歌詞にしているから、大衆迎合の商業主義だと従来のフォークファンからはブーイングが起きた。

それでも「おれはフォークじゃなくていい」と拓郎は主張した。1年でレコード会社を変わり、CBS・ソニーに移り、71年には「今日までそして明日から」発売。型にはめたフォークの世界より、自分の感性を歌にしていく生き方を貫いた。

学生運動の果てに内ゲバが起き、あさま山荘事件に至って若者が喪失感を覚えた72年に発売された「結婚しようよ」は40万枚を超えるスマッシュヒットになった。

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